【24】中年の胃は繊細なので
──時間は少し遡る。
「う〜ん、良い魔力。そろそろ前座の余興が終わる頃かな〜」
ヒュッターがさす日傘の下で、吸血鬼ジルは〈楔の塔〉を見て呟いた。
なおヒュッターには魔力の感知なんてできないので、「なんか水晶がボロボロ禿げてんな〜、つーかクソデカ植物あるんだけど、あれなに? そういう魔物? 怖っ」ぐらいしか分からない。
(これって、戦況はどうなってんだ? 人間と魔物、どっちが勝ってんのか全然分かんねぇぇ……)
日傘係の詐欺師は、ダラダラと冷や汗を流した。
ヒュッター達が向かっているのは〈楔の塔〉の南、つまりは正門側である。
ジル曰く「裏口からコソコソ入ったら、皆が美しい俺を見られなくて可哀想でしょ?」。
(一番可哀想なのは俺だよ畜生。このままだと正門側にいるローヴァイン塔主とかち合うぞ……そしたら俺は人間側の裏切り者確定じゃねぇか!)
「それじゃあ行こっか。前座なんてさ、俺みたいな大物には似合わないでしょ?」
日傘の下で吸血鬼が振り向き、ポーズを決める。
従者如きにもいちいち決めポーズを見せてくださるお優しいご主人様に、ヒュッターは「感服しました! 感動しました! ジル様素敵ー!」という態度を向けた。
「仰る通りでございます。舞台が盛り上がりに盛り上がった最高潮のタイミングでジル様が姿を現せば、観客は皆一目で心奪われることでしょう」
「でしょでしょ〜」
「それにあたり、提案がございます」
正門はもうすぐそこである。付近を包囲している援軍の姿もよく見える。
逃げるなら、今しかない。
「自分は、ジル様の登場シーンを妥協したくありません……いいえ、妥協なんて許されない。ジル様が現れる瞬間は、誰もが瞬きを惜しむほど華々しくなければ」
「うんうん」
「そこで、自分は場を盛り上げるために楽器を奏でようかと思うので……ちょっと村に戻って、楽器を取りに行ってきても良いっすかね?」
つまりは、楽器を取りに行くふりをして逃げよう作戦である。
ヒュッターの心を込めたお願いに、ジルはニコニコしながら言った。
「大丈夫だよ、しもべちゃん。お前の喉は楽器にだって負けていない。その歌で俺の登場を盛り上げておくれ」
(ちくしょう、ポッポーダンス歌っちゃうぞ。それで良いのか吸血鬼! ……やったら殺されるからやらんけど!)
ヒュッターはぐすっと洟をすすり、目頭を押さえる。
「ジル様にそう言っていただけるなんて光栄です……自分、精一杯歌わせてもらいます……っ!」
逃げられないオッサンのガチ泣きである。
それでもヒュッターは往生際悪く逃げ道を探した。なんとかここを離れる理由が欲しい。
「そうだ! 現在の〈楔の塔〉は魔力濃度が濃くなってるんです……よね? ジル様の勇姿を拝めないのは残念ですが、自分は正門前辺りで歌いますね」
「それなら大丈夫。お前、水を持ってるね?」
ジルの目がヒュッターのローブを見る。
ヒュッターはポッポーズを連れて離脱する気満々だったので、実はそこそこ大荷物だった。ローブの中には飲み水や、手品に使う各種薬品、気つけの酒なども隠し持っている。
「よくお分かりで……」
「チャプチャプ音がしたからね。随分色々持ってるじゃなぁい?」
どうやらこの魔物も耳が良いらしい。下手な誤魔化しは通用しなさそうなので、ヒュッターは日陰に入って日傘をたたみ、ローブに隠していた水袋と木のコップを取り出した。
「水をどうされるんです?」
「そのコップにちょっと注いで。半分ぐらいでいいよ」
言われた通りにヒュッターが水を注ぐと、ジルは手袋を外し、自身の指に牙を突き立てた。
指先でぷくりと膨らんだ血の雫がフヨフヨと浮き上がり、コップの中に音もなく落ちる。
「俺の血を薄めたものを飲むと、お前はちょっとの間、魔力濃度が濃い土地でも活動できるようになる」
「……ちょっとの間って?」
「ちょっとの間」
長命な上位種の魔物の「ちょっとの間」。怖すぎる。
ヒュッターは手元のコップを見下ろした。本音はただただ「やだー、ばっちぃー、飲みたくねー」である。他人の血なんて誰だって飲みたくない。だが、これを断ればジルがどう出るかが分からない。
(つーか、それって眷属の人間が水晶領域に出入りできたってことだよな……なるほど、それでこうやって素敵なお召し物を調達してたってわけか。ただ、そんなに大勢は出入りしてないな。流石にそれをしたら〈楔の塔〉の調査室が気づく。下手したら、他の魔物達もそのこと知らなかったんじゃないか?)
ジルは、さも「嬉しいでしょう! もっと喜んでいいよ!」と言わんばかりの顔でヒュッターを見ている。駄目だ、奴は耳が良いから飲んだふりでは誤魔化せない。
これはもう逃げられない。それなら、少しでも相手の印象を良くする方向に頭を切り替えるまでだ。
ヒュッターは感極まったように全身を震わせ、眼鏡をずらして手の甲で目を覆った。
「自分のような下賎の者が、御身の一雫を賜われるなんて……うぅっ、こんな幸福があって良いのでしょうかっ」
「ふふふ、そんなに喜んでくれるなんて嬉しいよ。それだけ、お前は俺のお気に入りってこと」
「今日は人生最高の日です……! 永遠の夜に乾杯!」
ヒュッターは血の混じった水をゴクゴクと一気に飲み干す。特に体調に変化はないし、吸血鬼パワーに目覚めてすごい力を手に入れた! という感じでもない。
肩凝り、腰痛、筋肉痛にも変化なし。中年のオッサンの体は、今日も凝り固まっている(昨日のショータイムで筋肉痛なのだ)。
「その血ね〜、原液のまま口にすると口の中が爛れるんだけどぉ〜」
ヒュッターは思わず噴き出しそうになった。
大丈夫か、マイ胃袋。ただでさえ加齢で消化力が弱っているのに。肉の脂身すら耐えられぬ胃に、はたして吸血鬼の血は耐えられるのか。
「もうちょっと量を増やすとぉ、寿命を延ばしたりもできるんだよねぇ」
一瞬、血の気が引いた。「もうちょっと量を増やすと」と言っていたから、多分ヒュッターの体にそこまでの変化はない。せいぜい、魔力に耐性がつく程度なのだろう。
ただ、ジルの言葉は看過できない。
「ジル様、それ以上はいけません」
「なぁに? 俺に指図?」
ジルは露骨にムッとした様子だ。
うぉぉぉ怖ぇぇぇ、首飛ばされねーよな、俺……!? と内心震えつつ、ヒュッターはあくまで忠臣のていで進言する。
「寿命を延ばしたい、永遠の命が欲しい、死にたくない、というのは人間なら大なり小なり考えることです。そして、その手段があるということを権力者が知ったら……貴方様の身に危険が及ぶやもしれません」
ヒュッターは儲け話が好きだが、これは「金になるな」より「やべぇな」が勝った。
下手をしたら、各国の支配者が帝国東の自治領を手中に収めようと乗り出しかねない。そうして洒落にならない規模の戦争が起こる。吸血鬼の血は、そういう類の劇薬だ。
「……どうか、血の力はその胸にお秘めおきください。御身のためにも」
そういう話はベラベラしちゃ駄目! 超大事になるから! 俺の手に負えないから! ……とヒュッターは声に出さず叫ぶ。
ジルはその目を細めた。笑っているようにも、値踏みしているようにも見える。口の端に浮かぶ笑みは楽しげだ。
「俺はねぇ、この話を聞いて、『俺のしもべ』ではなく『不死のしもべ』になった人間は、殺すことにしてるんだ」
美しい魔物は楽しげな顔で、背筋が凍るようなことを言う。
吸血鬼の血を適量摂れば、不死になれる──それを知った者の中には、ジルに取り入ろうとした者もいるだろう。不死のためなら何だってする、まさに「不死のしもべ」だ。
持ち上げた唇の端から白い牙が覗く。赤い舌がチロリと舌舐めずりをした。
「やっぱりお前は賢いねぇ。狡いのに狡くなりきれない。そういうところが気に入ったから、従者にしたのだけど」
果たしてこの吸血鬼は、ヒュッターの心をどこまで読んでいるのだろう。言動こそ軽薄だが、完璧に騙せるほど馬鹿じゃない。
たまに優しげでも、それは人間基準の優しさではないのだ。
「さぁ行くよ、しもべちゃん。楽しい空中散歩のお時間だ」
ジルは胸元に刺した水晶の鋲を引き抜くと、ヒュッターの右手を握手でもするかのように握る。
次の瞬間、ジルの体が宙を駆け上がった。それは人間の飛行魔術とはだいぶ違う。ジルの足下に見えない階段や道があり、そこを人間の全力疾走よりだいぶ速く移動しているのだ。飛行というより、空中大爆走と言った方が正しい。
片手で掴まっているだけのヒュッターの体は、空中にプラプラ揺れる。
(ぎゃああああああああ!!)
ヒュッターは咄嗟に悲鳴を飲み込んだが、ヒュッターに気づいた者は何人かいた。
正門前にいた赤毛のモジャモジャ頭──ローズが空を見上げて声を上げる。
「あー! ヒュッター先生!?」
ローズの声につられて、ローヴァイン塔主やアルト塔主をはじめ、魔術師達が空を見上げた。
「本当だ、ヒュッター先生だ!」
「そういえば、さっきから見かけないと思ったら……」
「まさか、ヒュッター先生、たった一人で上位種の魔物を食い止めて……!」
そうなんです、怖い魔物に攫われてるんです、助けてください。とヒュッターは思った。
だが、ジルの移動はあまりに速すぎたし、ヒュッターに攻撃が当たる可能性があるので、地上の魔術師達は攻撃ができなかったらしい。
ジルは悠々と城壁を乗り越えて、〈楔の塔〉の敷地内に入り込む。
その時、空から声がした。
「ヒュッター先生を返せぇぇぇ!!」
ヒュッターは心底ギョッとした。
こちらに向かって飛んでくるのは、飛行用魔導具の翼を広げたティアだったのだ。




