【13】最後のオーク
オークが棍棒を振るう。それを回避しながら、ゲラルトは死角を見極めることに専念した。
この全身が筋肉の塊のような魔物は、生半可な斬撃では倒せない。まして、ここは魔力濃度が濃いのだ。浅い傷はすぐに塞がってしまう。
(一撃で致命傷を与えねば、勝ち目はない)
ゲラルトは一般人よりは剣を使える方だが、それでも大柄な大人と比べたら攻撃が軽い。体重は武器だ。なんで兄は痩せているのにあんなに攻撃が重いのだろう、あれはちょっと別の生き物だから比較しちゃいけない、と常々思っている。
また棍棒の一撃がきた。絶対に剣で受けてはいけない。確実に剣と手首の骨が折れる。受け流すことすら無理だ。
回避に成功しても肝が冷える。自分の頭をグシャグシャにできる大きい塊が、ブゥンと音を立てて顔の真横を通り過ぎるのだ。怖いに決まっている。
(こちらが勝っているのは小回りが利くことのみ。それ以外は全て、敵の方が上と思え)
逃げ回りながら、ゲラルトはなるべく木々が密集している場所にオークを誘導した。一撃で決めるためにも、敵の死角を取りたい。障害物や遮蔽物の存在はゲラルトに有利に働く。
それが分かっているから、オーク側もむやみやたらに棍棒を振り回すような真似はしなかった。鋭い目でゲラルトの位置を見極め、必殺の一撃を放とうとしている。
──これは、戦士との戦いだ。
ゲラルトは戦いが嫌いだ。物事を暴力で解決するなんて時代錯誤だと思う。戦だ決闘だと騒ぐ家族に、話し合いをすれば良いじゃないか、と何度思ったことか分からない。
だが、自分が直面して初めて分かる──話し合いの難しさを。
話し合って決着を付ける以前の問題だ。話し合いのテーブルに着くことすら、こんなにも難しい。
ゲラルトはこのオークを相手に、平和的に交渉するための手札がない。オークは人間の女を攫い、子を産ませることで繁殖するのだ。
人間は、人間に有害な生き物を生かしておけない。それが現実だ。
ただ一つ、これだけは聞いておきたかった。
「……何故、不意打ちをしなかったのですか?」
このオークは出会い頭に、ゾフィーを置いていけばゲラルトとユリウスは逃すと言った。
だが、わざわざそんなことをせずとも、不意打ちでゲラルトとユリウスを殺してしまうことだってできたはずだ。
「はて、言われてみればその通りだ」
オークは棍棒を構えたまま、考え込む。喋ってもなお油断はなく、ゲラルトの動きを注視したままで。
「オークは子どもが少ない。我は久方ぶりに生まれた子故、非常に大事にされて育った……故に、子は宝であるとの意識が働いたのやもしれぬ」
ユリウスとゲラルトは、このオークの目から見て子どもだった。だから、不意打ちで殺さず、逃げることを勧めた。
その事実にゲラルトは胸が苦しくなった。
人と魔物で共通する価値観もあるのだ。だから分かり合えるのではないか、なんて考えが頭をチラついてしまう。
「……降伏の意思はありますか?」
「こうふく? なんだそれは」
この続きを口にするのが、嫌だな。とゲラルトは思った。
だが、剣を握り戦場に立ったのなら、この言葉を告げなくてはならないのだ。
「……人に従い、飼われて生きる意思は、ありますか?」
「それはとても愚かな問いだ、人間」
オークが動く。ゲラルトも覚悟を決めた。
ヴァルムベルクの戦士は、戦狼と呼ばれる。ゲラルトは戦狼として吠えた。
「ぉおおおおおおおおお!」
気迫で押し負けるな。というのが剣聖たる祖父の教えだ。
振り下ろされた棍棒を回避し、敵の懐に入り込む。オークはその鋭い牙でゲラルトに食らいついてきた──その口に、ゲラルトは片手に持った短剣を捩じ込む。
ここに来る前、ルキエに用意してもらった魔力付与済みの短剣だ。
長剣とは別に小剣を携帯するのは、父の教えだった。敵の懐に入り込んだ時は、その方が使い勝手が良いのだという。
このオークの生命力なら、口を貫かれ、それでも最後の力でゲラルトを叩き潰すぐらいはできるだろう。
だが、オークは棍棒を手放し、口に刺さった短剣を抜いた。その厳つい顔は血に塗れ、それでもゲラルトを見る目は獣ではなく、戦士のそれだ。
「我は最後のオークだ。他の魔物に比べ、オークは繁殖の効率が悪い」
同じ人を攫う魔物でも、ハルピュイアは人間の男を一人攫えば、複数のハルピュイアが卵を産める。
人間の女に子を産ませるしかないオークでは、滅びが速いのは必然だった。
オークはゴポリと血塊を吐き、口の端を持ち上げた。まるで、笑っているみたいに。
「この首をもって、オークの絶滅を告げるが良い」
ガクリと巨体が膝をつく。
ゲラルトは剣を構えて訊ねた。
「……名はありますか?」
「ルナグ」
「……最後のオーク、ルナグは勇敢な戦士であったと伝えましょう」
ゲラルト──本名ゲルハルト・ブランケは、戦いが嫌いだ。
戦士の誇りだ尊厳だなんてものは、自分の道理を通すための言い訳だ。暴力による支配を正当化するための、都合の良い思い込みだ。ずっとそう思っていた。今もそう思っている。戦士になりたいと思ったことなんて、一度もない。
それでも今だけは、この一時だけは、この戦士に恥じない戦士でいようと思った。
このオークの誇りと尊厳を、なかったことにしたくなかったのだ。
ゲラルトは踏み込み、剣を振るう。
こうしてまた、一つの種族が滅びを迎えた。
* * *
ティアと分かれたレン、セビルの二人は庭園にある庭師小屋を目指した。そこに地下に繋がる階段があることをユリウスが確認している。その先にフィーネが閉じ込められていた部屋、通称〈揺籠〉があることも。
故に分かれて行動する際は、必ず誰かがここから侵入しようと決めていたのだ。
ただ、ここに全員が集中して乗り込むわけにはいかなかった。このルートが揺籠に向かう一番分かりやすい入り口だからだ。
複数の人間がこの道を知っていることを、魔物側も把握しているはず。ならば、見張りをつけるのが妥当だろう。
「やはりいたな」
庭師小屋が小さく見えてきたところで、セビルが小さく呟き、木々の陰に身を潜める。
庭師小屋の周囲には、茶色っぽい影がウロウロしていた。おそらく茶色い毛皮の魔物達だ。幸い、今はこちらが風下だが、ハッキリと視認できる距離まで近づいたら、おそらく向こうに気づかれるだろう。魔物は耳と鼻が利く。
セビルの剣の腕前は人間の中では優れている方だが、魔物が弱体化している状態で、かつ一対一なら勝てるかもしれない、という程度。
今は水晶汚染で本来の力を取り戻した魔物が複数いる。強行突破は難しい。
(ただ、フィーネって子の住処である揺籠付近は、ある程度知能のある魔物で固めているはず……人間を無差別に襲う魔物が近くにいたら、危なっかしいもんな)
レンは斜めがけにした鞄から、ルキエに用意してもらった物を取り出した。
「じゃ、打ち合わせ通りいくぜ。美少年は度胸と愛嬌!」
「任せろ。どちらも、わたくしに不足はない」
「……度胸は有り余ってるもんなぁ」
「愛嬌もだ。どうだ、愛らしく麗しいであろう」
セビルが黒髪をかき上げ、美しく微笑む。
確かに麗しい。麗しいが圧がある。
「愛嬌に覇気が勝ってるんだよなぁ……魔物相手にはちょっと引っ込めてくれよ。警戒されちまうからさぁ」
不思議だ。魔物の巣窟にいるというのに、ティアやセビルがいると、軽口が出てくる。
(すげーよな。オレ、ろくに魔術も使えない見習い美少年なのにさ)
なんだか笑い出したい気持ちで、レンはルキエに用意してもらった道具を握りしめた。




