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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【1】根回しローズさん


 エーベル塔主が詠唱をして、ローズの手首に浮かぶ紋様を指でなぞる。それをゾフィーは固唾を飲んで見守っていた。

 やがて、極々薄いガラスが割れるような儚い音を立てて、ローズの封印が消える。

 まだ封印を解除されていないゾフィーは、恐々とローズに訊ねた。


「ローズさん、封印解除ってどんな感じだったぁ? 痛かったり痺れたりしない?」


「全然痛くなかったぜー。ほら、ゾフィーも解除してもらえよ」


 ローズは朗らかに答えて、手を握ったり開いたりを繰り返す。

 大丈夫かな、痛かったら嫌だな、とソワソワしながら、ゾフィーは自身の両手を前に差し出した。

 エーベルが詠唱をして、ゾフィーの手首の紋様をなぞる。

 この封印解除の術式は、個々に設定されており、つい先ほどまでミリアム首座塔主補佐が秘匿していたらしい。だが、彼女はヒュッターの説得に心を動かされ、死の間際に解除術式を遺したのだという。


(ヒュッター先生って、本当にすごいんだなぁ……幻術で本物そっくりの鳩出してたし)


 手首でパキッと儚い音がして、紋様が消える。

 こういう時は、試しに何か術を使ってみるべきなのだろうけれど、ゾフィーが使えるのは人を殺す呪術だけなのだ。


「ローズさん、何か魔術使ってみてよ〜」


「よーし、やってみるぜ!」


 そう言って、ローズは詠唱をする。防御結界の魔術だ。

 丁度ローズの前方に、斜めの板を張ったような防御結界が生まれる。ゾフィーを二階から逃す時に作ってくれた、あの防御結界だ。


「やったぜ! 体を斜めにしなくても、斜めの結界ができた!」


「……ローズさんってさぁ、隣の国のすごい魔術師なんだよね?」


「七賢人だぜ!」


「防御結界を斜めに張れたぐらいで、喜んでちゃ駄目じゃない?」


 七賢人というのは、なんというか、とてもすごい魔術師なのだ。

 竜の胴体に風穴を空けたとか、詠唱無しで最高位の魔術を使ったとか、呪術を二百以上使えるとか……耳にする噂は「ちょっとそれ盛りすぎじゃない?」というぐらい派手である。

 そして、ローズはそんな七賢人の一人なのだ。

 エーベルが探るような目でローズを見て、訊ねる。


「……約束通り、〈楔の塔〉奪還作戦では、貴方に先陣を切っていただきます」


「何その約束!?」


 ギョッとするゾフィーに、ローズはいつもの彼らしいのんびりとした口調で言う。


「そういう約束だったんだ。封印を解除してもらったら、オレが頑張るぜ〜って」


 モジャモジャの赤毛の下で、鮮やかな緑の目がエーベルを見据える。


「オレが頑張る代わりに、見習いのみんなには手を出さない…………約束守ってくれよな? ユリウスの身柄を保証する。ゾフィーが望まないなら、誰も呪わなくて良い。そういう約束だ」


 ゾフィーは口を大きく開いて、ローズを見た。

 そんな約束、エーベルが承諾するはずがない。それなのに、エーベルはあっさりと頷く。


「えぇ、貴方が提示しただけの働きをなさるのなら、約束は守りましょう」


「契約書を作ってくれるかい? 大事な約束は紙に残せ、って言われてるんだ」


「良いでしょう」


 エーベルが席を立った。契約書一式を用意しに行くのだろう。

 エーベルが部屋を出たのを見計らって、ゾフィーはローズに詰め寄った。


「やめなよ、無理だよ、ローズさん! 防御結界斜めに張れるぐらいじゃ、魔物に勝てないって!」


 ローズは見習い達を守るために、自分が犠牲になろうとしているのだ。

 斜めに傾いた結界で魔物の攻撃を一身に受け止めるローズを想像し、ゾフィーは目に涙を浮かべた。

 そんなの嫌だ。ゾフィーは誰も犠牲になってほしくない。


「ローズさんが、犠牲になることないよぉ!」


「大丈夫大丈夫。寧ろ、魔物相手の方が都合が良いんだ。だって、加減を考えなくていいからさ」


 朗らかな声音に、一瞬背筋が冷たくなった。何か、サラリと恐ろしいことを言われた気がする。

 ゾフィーが腕をさすっていると、ローズが大きな体を屈めて声をひそめた。


「それより、ゾフィーは今のオレとエーベル塔主との会話を聞いてたよな?」


「そりゃ、聞いてたけど……」


「じゃ、耳貸してくれよ」


 ローズはゴニョゴニョとゾフィーに耳打ちをする。

 その内容に、ゾフィーは呆気に取られた。


「ローズさん、そんなこと考えてたの……?」


「あぁ、できる手は全部打って、みんなを守るって決めたんだ」


 そう言って笑うローズは、ゾフィーの知るローズだ。

 モジャモジャで、ちょっと頼りなくて、でも本当は頼りになる大人のローズだ。


「ここからは別行動だ。封印を解いたオレを、偉い人達は放っておいてくれないだろうし、オレは、長くはここにいられないから……」


 その言葉に別れの気配を感じ取り、ゾフィーはきゅぅっと眉根を寄せる。


「……ローズさん、これでお別れなの?」


「うーん、どうだろうなぁ……できれば、最後にみんなに会いたいけど、事が済んだら出て行かないとだし……」


 ローズはモジャモジャの髭上から顔をかき、眉尻を下げて笑った。


「だからさ、オレが今言ったこと、ゾフィーが皆に伝えてくれよ」



 * * *



 夜、見習い達が捕えられている部屋に一人で戻ったゾフィーは、ローズの伝言を皆に伝えた。

 見習いの仲間達は皆、神妙な顔でそれを聞いている。

 最初に口を開いたのは、セビルだ。


「……ローズめ、憎いことをする。兄上と手を組んでいる癖に、わたくしの保護も視野に入れたか!」


 この発言に、レンは「うん?」と首を捻る。

 レンはローズの正体が隣国の七賢人、五代目〈茨の魔女〉で、黒獅子皇と手を組み、古代魔導具〈彩色庭園〉の回収に来た、という話は既に聞いている。


「黒獅子皇と手を組んでるから(、、)、セビルの保護を考えたんじゃねぇの?」


「違うな。兄はわたくしの保護など考えていないし、〈楔の塔〉側もさっさとわたくしを追い出したいのだ。だが、塔主達はローズとの契約により、わたくしを兄に差し出すわけにはいかなくなった」


 つまり、ローズは「見習いの仲間を守りたい」という私情で、〈楔の塔〉と契約を交わしたのだ。

 そして、その守りたい仲間にはセビルも含まれている。


「ヒュッター先生もローズも兄上側の人間だが……兄上の言いなりではなく、己の意思で動くところは実に好ましい。できることなら、わたくしが横取りしたいぐらいだ」


 そう言って笑うセビルの目は、爛々と底光りしていた。レンは密かに戦慄する。


(こいつはマジで、配下に欲しがってる……〈夢幻の魔術師〉と隣国の七賢人を!)


 ローズは無事にリディル王国に帰れるのだろうか。

 もし、セビルがローズを捕まえ、無理な勧誘をしようとしたら、止めてあげよう、とレンは密かに誓う。レンはローズに色々と助けられてきたのだ。


(もう、ローズさんとカードゲームしたり、勉強したり、できないのかな)


 レンはポケットの中に手を突っ込んだ。そこには、魔女に貰ったキャンディとは違う小瓶が収まっている。

 これは、ローズから託された切り札の魔法薬だ。いわゆる魔力付与を施した強力な薬液である。

 そういうものは、魔術の得意なユリウスやロスヴィータに託した方が良いのではないか、戦闘手段の少ないレンに気を遣ったのではないか、レンがそう言うと、ローズは首を横に振って、こう言った。


『それは、魔力量の少ない奴が使う方が都合が良いんだ。レンは見習いの中で、一番魔力量が少ないだろ? だから、いざという時のお守りぐらいの気持ちで持っててくれよ』


 多分、自分は甘やかされているなぁ、という自覚はある。だけど、それがレンは嬉しかった。

 ただこのお守りの魔法薬、使うとまぁまぁ大変なことになるらしい。使わなくて済むのなら、それに越したことはないアイテムである。

 使うかどうかは、慎重に見極めなくてはいけない。ローズもそれを分かっているから、レンに託してくれたのだろう。

 エラが一同を見回して口を開いた。


「ここからは、ローズさんとは別行動。私達だけで動かなくてはいけません。作戦の最終確認をしましょう」


 既に準備は整っている。ロスヴィータは術に必要な小枝をたっぷりとマントに仕込んでいるし、ユリウスはアグニオールの火力を調整した。

 ルキエはできる限りの道具を用意してくれたし、ティアの飛行用魔導具も万全だ。

 レンも、筆記魔術に必要な紙とペン、それと投擲用の筒を装備している。


「皆さんそれぞれ目的はあると思います。フィンさんともう一度話したいですし、ロスヴィータちゃんは〈原初の獣〉に勝ちたい、古代魔導具も回収できるならしたい」


 エラの話を聞きながら、レンは横目でティアを見る。

 ティアには、誰にも言えない目的があるはずだ。

 姉に拒まれたティアは、もう一度姉に会ったらどうするのだろう。何を願っているのだろう。

 ティアのために、レンは何をしてやれるだろう。

 エラが硬い声で言う。


「それらを踏まえて、最優先でこなすべきことは、〈楔の塔カリクレイア〉に刺さった水晶の鋲を抜いて、水晶汚染を解除することです。これを念頭に置いて行動してください」


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