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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十章 詐欺師の大仕事
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【33】深淵の使徒


 ティアはレン、エラと共に村の少し小高い丘に移動した。丁度そこから、到着した援軍を迎える塔主達の様子が見てとれるのだ。

 エラが掲げられた旗を見て、「ヴァルムベルク軍ですね」と断言した。

 レンがその数を数えながら、エラに訊ねる。


「ゲラルトの実家……ヴァルムベルクって、帝国西方の辺境伯じゃん? それがどうして、こんな東の端まで来たんだろ」


「今、西のリディル王国との関係は比較的平和ですよね? だから、ヴァルムベルク軍は時々、南方の戦線に派兵されているんです」


「南方戦線抜けて、こっちに救援に来たってこと? それにしても足が早すぎない? ヒュッター先生、ずーっとダーウォック遠征に行ってたのに、どうやって連絡取ったんだよ」


「ですよね……本当にそういう幻術なんじゃないか、って気がします」


 レンとエラのやりとりを聞きながら、ティアは目を凝らして、援軍の将を見る。

 ハルピュイアであるティアの目には、その顔がよく見えた。

 馬から降りたのは、くすんだ金髪にヒョロリと痩せた背の高い男だ。眉が困ったように垂れている頼りなげな男である。

 ティアの横で目を凝らしていたレンが、「ゲラルトに似てねーな」と呟いた。

 確かに、あまりゲラルトに似ていない──というより、ゲラルトがいつも前髪で顔の上半分を隠しているから、比較しにくいのだ。

 ティアは耳をすませた。男の声が聞こえてくる。


『ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケと申します。この度、我が主より東方自治区の危機を知らされ、馳せ参じました』


 覇気のない声だ。やはり、あまり強そうには見えない。

 それなのに、肩甲骨の辺りがムズムズした。ハルピュイアの本能が何かを訴えている。


 ──アレを獲物として見たら、どうだろう? 痩せているが、あの体には筋肉が詰まっている。まだ若くて健康そうだし、獲物としては充分……。


 その時、ヘンリックが首を捻ってこちらを見た。

 狼にも似た鋭い眼光が、真っ直ぐにティアを捉え……。


「──ッ、ピウッ!?」


 ティアは思わず尻餅をついた。全身の産毛がチリチリしている。足に力が入らない。


「ティア、どうした!?」


「ティアさん、大丈夫ですか!?」


 レンとエラに支えられながら、ティアはヒュウヒュウとか細い呼吸を繰り返した。

 遠くからは、ヘンリックと塔主のやりとりが聞こえる。


『失礼しました。視線を感じたもので……丘の上の子ども達のようです。こんな大勢が押しかけたら、何事かと思いますよねぇ……はは』


 ようやくハルピュイアは理解した。

 あれは、気軽に捕えて繁殖相手にできるような人間じゃない。魔物を狩る側の存在だ。


(あれは、すごく強い生き物だ……)


 もしかしたらメビウス首座塔主と同等、或いはそれ以上かもしれない。

 ヒュッターが呼んだ援軍は、間違いなく状況をひっくり返すだけの特大戦力だ。


「ペヴヴ……セビルとゲラルトをあの人に会わせちゃいけない。見つかったら、絶対逃してもらえない」


 ティアの呟きに、エラが困惑した様子で言う。


「そういえば、セビルさん言ってましたね……火竜を剣で倒したって」


「マジかよ、やべーなセビルのダーリン」


「うん、あれは、すごくすごくやばい人間」


 人間側が圧倒的に不利だった戦況が、変わろうとしている。

 ただ、それが自分にとって良い方向に働くのか否か、ティアにはまだ分からなかった。



 * * *



 日が暮れていく。

 人狼一族のフィンは、黒い狼の姿で塔の屋上に続く階段を、トボトボと登る。

 毛むくじゃらの手に握られているのは、ゾフィーが選んでくれた本だ。これを兄達の前で読んでいると罵倒されるから、こっそり隠れて読もうと思ったのだ。

 兄達がそんなものを読んでいるから軟弱なんだ、牙を取り戻し損ねた半端者、情けないやつ、一族の面汚し、とフィンを罵倒する。字が読めるようになって、褒めてくれるものは、誰もいない。


(ユリウスだったら、褒めてくれた)


 そんな甘えたことを考えてしまう自分が嫌になる。裏切ったのは、自分なのに。

 悲しくて寂しくて惨めな気持ちになっても、本を読んでいる間だけは、忘れていられる。でも、この本を読み終えたら、自分はもっと寂しくなるだろうな、という予感もあった。


(ゾフィーはハッピーエンドが好きだって言ってたけど……人と魔物のハッピーエンドは、違うんだ)


 人のハッピーエンドは、魔物にとってバッドエンドだ。

 魔物のハッピーエンドは、人にとってバッドエンドだ。


 魔物が人に執着し、害する生き物である限り、それは変わらない。

 人狼としては最弱のフィンですら狩りの衝動はあるのだ。獲物を見ると爪を振るいたくなる。追いかけたくなる。噛みつきたくなる。


(……ユリウス達が無事に逃げてくれますように。どこか遠くで、いっぱい幸せになってくれますように)


 魔物のフィンは、一緒の幸せを望んではいけない。だから、どこか遠くで幸せになってくれることを願う。

 フィンは屋上に繋がる扉を開けた。

 水晶で覆われた屋上は、夕焼けの橙を反射して燃える石のように輝いている。そんな美しい場所に先客がいた。

 黒い髪の少女と、白い髪の魔物──神の子フィーネと、魔物の王だ。

 フィンは咄嗟にその場に跪いて頭を下げた。

 魔物の王とは、それほどまでにフィンとは格の違う生き物だ。王が恐怖を撒き散らせば、それだけでフィンの心臓は止まりかねない。


「顔を上げよ」


 魔物の王の声が命じる。

 フィンは震えながら顔を上げた。橙色の世界が、魔物の王を鮮やかに染める。

 王の手首に飾られた飾り紐と同じ色だ、とフィンはどこか現実味のない頭で思った。


「この景色は、独り占めするべきではない。美の共有を、わたしは歓迎する」


 魔物の王はフィンが胸に抱いている本を見た。

 捨てろと言われるだろうか、献上せよと言われるだろうか。フィンが震えていると、魔物の王は言った。


「……本。物語を作り、紙に記し、装丁を施す、人の技術の集大成。それはとても良いものだ。お前はそれに執着したのだな」


 そうなのだろうか? そうなのかもしれない。

 だって、他の魔物達はあまり本に興味を持たないから。だとしたら、この執着はフィンだけのものだ。

〈楔の塔〉の仲間達との思い出を持つ、フィンだけの執着だ。

 フィンは本を抱きしめ、ぼぅっと夕焼け空を見る。

 魔物達が〈楔の塔〉を占領して、もうすぐ二日が経とうとしている。あと二回夜が来て、日付が変わる頃に、〈愚者の鎖デスピナ〉の力は消え、西の壁は消滅する。魔物達が真の自由を得るのだ。

 フィーネが風に揺れる黒髪を指先で押さえ、フィンに訊ねた。


「狼さん、あなたは自らの始まりである、深淵を覚えているかしら?」


「……深淵から生まれた、〈原初の獣〉様と違って、オイラは母親の腹から生まれたから……深淵がどういうものなのか、よく分からない……です」


「ならば、貴方にも見せてあげるわ。全ての魔物と繋がる、深淵の泉を」


 フィーネの言葉の意味が、フィンにはよく分からなかった。

 その口ぶりはまるで、深淵の泉がこの土地に現れるみたいではないか。

 深淵は人の心の負の感情と、魔力が結びついて生じた、世界の淀みだ。その深淵から魔物は生まれる──ただ、世界から魔力が失われつつある今、深淵の泉は殆ど枯れ果てている。

 水晶領域にも深淵の泉はあるが、それもほぼ枯れかけで、魔物が生まれるのは百年に一度ぐらいだと聞く。

 懐疑的なフィンに、魔物達の神様となる少女は慈悲深く微笑みかけた。


「今この時の〈楔の塔〉ほど、深淵が生じるに相応しい場所はないわ」


 魔物の王が小さく頷く。


「〈水晶領域〉には人がいない。魔力は充分なれど、人の業は集まらぬ──だが、ここには充分すぎるほどに人の業が、悲劇が、悪意が、集まっている」


 人の業によって維持されてきた〈楔の塔〉。

 そして、水晶汚染による魔力濃度。

 負の感情と、魔力、その二つの条件は満たされたのだ。


「ここを始まりの地としましょう」


 少女は両手を広げ、夕焼け空を仰ぎ見る。


「人と魔物に救済を。わたし達はこれから〈深淵の使徒〉となるの」



 * * *



〈飛翔の魔術師〉ウィンストン・バレットは飛行魔術で高速飛行をしながら、背中に背負った人物に声をかける。


「あー、大丈夫ですか、フレデリクさん」


 返ってきた声は、返事というには曖昧な唸り声だった。

 フレデリクは全身の至る所に包帯を巻いている。骨も数箇所折れているらしく、背負った体はじっとりと熱い。怪我が原因で熱が出ているのだ。

 安静にしていた方が良いのは明らかだったが、〈楔の塔〉の現状を聞いたフレデリクは、どうしても行くと言ってきかなかったのだ。

 そんな体でできることがあるのか、と言われたら、「ある」。それが魔術師だ。ましてフレデリクは飛行魔術使いだから、足の骨が折れていても飛び回れてしまう。

 ただ、飛行魔術は消耗が激しいので、魔力温存のため、バレットが彼を背負って移動しているというわけだ。

 バレットは飛行魔術の長距離飛行に長けた魔術師だが、戦闘の類は得意ではない。魔物と遭遇したら、戦うより逃げることを選ぶ。


「兄者ぁ──!」


 バレットの少し後ろで声がした。こちらは、頼んでもいないのについてきた、フレデリクの弟オリヴァーだ。

 真上に飛んだ後、真横に飛ぶという、二段仕込みの飛行魔術でバレットを追いかけてきている。

 ランゲ兄弟の弟の方は才能が無いと言われていたが、なかなかどうして、飛行魔術の持続時間だけなら大したものだ。

 バレットの方はフレデリクを背負い、少しスピードが落ちているのは事実だが、それでも、引き離されないだけ立派である。

 その時バレットの背後で、途切れ途切れの呟きが聞こえた。


「……家に帰れ……役立たず」


 バレットは背後のオリヴァーに声を張り上げる。飛行魔術中は大声でないと聞こえないのだ。


「弟さんには家に帰ってほしいそうですが──!」


「俺のことは気にするな、兄者ぁー! 兄者が倒れている間、気が気ではなかったが、休みは十全にとっている! 体力も魔力も気力も充分! 今こそ〈赤き雨〉のオリヴァーの真価を見せる時!」


 背中から「クソ愚弟ぃ……」と殺意に満ちた呻きが聞こえたが、バレットは聞こえなかった振りをした。


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