表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十章 詐欺師の大仕事
256/256

【15】野菜スープデリバリー


 三塔主のエーベル、ローヴァイン、アルトの三名は、一室に集まり、方針のすり合わせを行なっていた。

 今後の方針について、〈楔の塔〉の魔術師達に告げるにしても、三塔主の間で方針が定まっていないせいだ。

 魔物を殲滅し、〈楔の塔〉を取り戻したい、という気持ちだけは三人とも変わらない。

 だが、エーベルは外部の人間に助力を求めることを拒んでいるし、〈楔の塔〉奪還後は再び古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉を使用する方針。

 一方、ローヴァインは外部の人間であろうと助力を求めるべきであるとし、既に幾つかの機関に独断で救援の手紙を送っている。

 そして〈楔の塔〉奪還後は、古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉の使用は中止すべきという方針だ。

 アルトはローヴァインを支持しているが、仮に外部に助けを求めても、〈楔の塔〉の壁が消えるまでに間に合わないことは理解していた。

 何より、外部の人間に助けを求めたが最後、今度はその外部の人間に〈楔の塔〉を支配されかねない。エーベルが外部の協力を拒むのも、尤もなのだ。


(……あぁ、いかんな。思考がまとまらん)


 アルトは眉間の皺を指で揉む。老齢にこの騒動はなかなか応える。


「エーベル、考えを改めるつもりはないか?」


 ため息混じりにアルトが訊ねても、エーベルは穏やかに微笑んで「えぇ」と頷くだけだ。

 昔から、変わらない。



 アルトにとって、アウグスタ・エーベルは年下の先輩だ。

 アルトの方が幾らか年上だが、エーベルの方が〈楔の塔〉に入門した時期は早かったのである。

 エーベルは昔から穏やかに微笑んでいる、おとなしい女だった。

 とびきり美人というわけではないが、従順で可愛らしくて、男達に言い寄られているのをよく見かけたものだ。気が強くて近寄り難いと言われたアルトとは真逆である。

 あの頃から、アルトは漠然とエーベルに対し嫌悪感を抱いていた。エーベルは当時の塔主のお気に入りで、何かと目をかけられていたからだ。

 男に媚を売る女、と心のどこか見下していた。


(……どうして私は、優しくなかったのだろう)


 一度だけ、優しくしようと思ったことがある。

 エーベルが妊娠し、死産した時だ。

 あの時のアルトは、エーベルが背負わされた役目を何も知らないまま、月並みな慰め文句を口にした。

 気を落とすなだったか、無理はするなだったか──自分が何を言ったかはハッキリ覚えていないのに、あの時もエーベルが穏やかに微笑んでいたことだけは覚えていた。

 今なら分かる。エーベルは当時の塔主にお手つきをされたのだ。同じような女が何人もいた。

 エーベルの娘は死産ではなく、〈楔の塔カリクレイア〉の生贄となったのだ。そうして、彼女はそれを見守り続けた。


「エーベル……一つ、聞かせろ」


 絞り出すような声のアルトに、エーベルは柔らかな声で「はい」と相槌を打つ。


「……私が、塔主にお手つきをされなかったのは、年齢が理由か?」


「それもあるかもしれませんが、やはり一番の理由は貴女が優秀だったからでしょう。芸術と魔術の融合を実現した才ある貴女を、前塔主は尊重した。使い潰したくはないと考えた」


 才ある、なんて気安く言うな。とアルトは声なき声で叫んだ。

 芸術家としてのアルトは、自分の才能の無さに打ちひしがれてばかりの人生だった。

 だが、どうしてその叫びをエーベルに聞かせられるだろう。


「わたくしは魔力量が多いだけの凡人で、天才ではなかったから、尊重されなかった。それだけの話です」


 エーベルは誰よりも地獄を見て、踏み躙られてきた──使い潰されてきた存在だ。

 それなのに、彼女にとっての地獄である〈楔の塔〉を守ろうとしている。〈楔の塔〉の存続が、彼女の存在意義になっているのだろう。


「ですから、凡才であるわたくしは、わたくしのやり方で、〈楔の塔〉と人類の平和を守ります」


 穏やかに言うエーベルを、どうして糾弾できるだろう。安全な場所にいて、何も知らずに平和を享受していただけの自分が。

 歯噛みするアルトを、ローヴァインが痛ましげに見て、口を開く。


「お前が置かれた境遇にも、〈楔の塔〉の在り方にも思うところはある。だが、俺はあくまで戦術顧問として第二の塔〈金の針〉塔主になった身だ。だからこそ言うぞ。外部に助力を乞うべきだ」


 ローヴァインは言葉を切り、部下から受け取ったばかりの報告書を机に広げる。


「調査室の調査結果だ。〈楔の塔〉の敷地内は現在、水晶汚染によって魔力濃度が急激に上昇している。これがどういうことか分かるか?」


 エーベルに代わって、アルトが苦い顔で答えた。


「魔物達は、水晶の鋲を体に刺すことで自らを弱体化させ、魔力濃度の低い土地での活動も可能にしていた。だが、〈水晶領域〉に匹敵する魔力濃度の土地なら……わざわざ水晶の鋲で弱体化する必要はない」


 昨晩の襲撃の時、魔物達は体のどこかに水晶の鋲を刺していた──つまり、昨晩の魔物は弱体化していたのだ。あの強さで。

 だが、〈楔の塔〉の魔力濃度が上がった今、水晶の鋲を刺す必要はない。

 アルトは歯噛みした。


(……最悪の状況だな)


 魔物達は弱体化せず、全力で戦える。

 一方、人間側は魔力中毒で小一時間も活動できずに死ぬ。

 そして、この水晶汚染を仕掛けたのは、おそらく〈楔の塔カリクレイア〉の契約者フィーネ。彼女は人類に反旗を翻し、魔物の側についたのだ。

 今のフィーネは水晶の一部を任意で操れるという。その水晶に貫かれて、メビウス首座塔主は敗北したのだ。


(フィーネの叛意は、まだ公になっていない。だが……露呈するのは時間の問題だ)


 フィーネが魔物側についたことは、ローヴァインが意図的に伏せた。

 おおっぴらになったが最後、フィーネを殺すしかなくなるからだ。


「我々がすべきことは一つでしょう」


 エーベルが柔らかく微笑み、告げる。


「フィーネを殺し、新しい契約者を据えて、水晶汚染を解除する。〈楔の塔カリクレイア〉は今の娘が死なないと、次の契約者を選べないのです」


〈楔の塔カリクレイア〉は常に契約者が一人でないといけない。

 故に、契約者を複数人用意して、負担を軽減するという手段が取れないのだ。


「わたくしが赴き、フィーネを殺しましょう。幼少期から、あの魔力濃度の濃い地下室に出入りしていたので、多少は耐性があります」


「だが、それでは犠牲が……お前とてただではすまんぞ、エーベル!」


 声を荒らげるアルトに、エーベルは目尻の皺を深くして微笑む。いっそ慈悲深いほど優しげに。


「ならば、十年、二十年、三十年と唱え続けてきた言葉を告げましょう」


〈楔の塔〉の暗部を最もよく知る女は、笑顔で問う。


「『他に選択肢があるのですか?』」


「…………」


「…………」


 アルトもローヴァインも何も言い返せない。

 重苦しく澱んだ空気の中、扉が開く音がした。


「こんにちはー、食事を届けにきましたー」


 まったく、今は食事どころではないというのに。塔の若者が気を遣ったのだろう。

 早めに下がるよう言い渡そうと、声の方に目を向けたアルトは目を剥き、硬直した。

 スープ皿をのせた盆を持っているのは、モジャモジャの赤毛と髭に覆われた顔。日に焼けた筋肉質な体──見習い魔術師ローズ。その正体を、三塔主達は既にミリアム首座塔主補佐経由で知っている。

 エーベルが笑顔のまま、目を細めた。


「保身のために、おとなしくしているものだと思っていましたよ。存外、思慮が足りないのですね」


 この男の処遇についても、三塔主の間で意見は割れていた。

 ひとまず、部屋で大人しくしていてもらうのが無難だから、見習い達と一緒に待機させていたのだが、どうやら勝手に出てきたらしい。


(元より、見張りなどあってないようなものだ……それでも自分の立場を弁え、大人しくしているものだと思っていたのに。エーベルの言う通り、浅慮だぞ、七賢人)


 くだんの七賢人、五代目〈茨の魔女〉はスープの椀を配りながら言う。


「だって、人手不足なんだぜー。逃げてきた人達みんなヘトヘトなんだし、手伝いぐらいしたいじゃんか。あっ、これ、オレが作ったスープ。塔主様達も食べてくれよな。体があったまるぜ!」


 椀の中身は野菜のスープらしい。素朴だが、美味そうな匂いがする。

 アルトは困惑した。この男の正体は聞いているが、人間性まではよく分からない。

 世の中には笑顔で相手に毒を盛る人間がいることを、アルトは知っている。ただ、この男からはそういう雰囲気を感じなかった。

 アルトはスープの椀に目を向けて問う。


「このスープの意図は? お聞かせ願えるか?」


「えっ? 美味しくできたから、食べてほしくて」


「…………」


 本当にこの男が、五代目〈茨の魔女〉なのか、アルトは少し不安になってきた。エーベルとローヴァインも警戒するような目で、ローズを見ている。


「オレ、駆け引きとかあんまり得意じゃないからさ、率直に言うぜ。あの水晶汚染って、つまりは魔力汚染なんだろ?」


「……広義的な意味では、そうなる」


 ローヴァインが短く答えると、ローズはシャツの袖を捲る。その手首には鎖の紋様が浮かんでいた。

 古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉による封印の跡だ。


「これを解除してもらえるんなら、魔力汚染はオレがどうにかできるぜ」


 あまりにもサラリととんでもないことを言われ、アルトは耳を疑った。


「そんなことが、本当に可能なのか? 〈水晶領域〉に匹敵する魔力濃度なんだぞ」


 不信感を露わにするアルトに、ローズは落ち着いた声で言う。


「できるさ。オレは七賢人で、五代目〈茨の魔女〉だから」


 不可能だ、の言葉をアルトは呑み込んだ。

 ここにいるのは、三塔主ですら理解の及ばぬ存在だ。あまりにも、魔術師としての格が違いすぎる。

 三塔主が束になっても、この男を殺すことはできないだろう。それを承知で、アルトは問う。


「……〈茨の魔女〉殿、貴方の要求はなんだ?」


 彼は、正体を隠して〈楔の塔〉に潜入した理由を語るつもりはないだろう。

 だが、こうやって交渉を持ちかけた以上、何か要求があるはずだ。

〈茨の魔女〉の逸話は、この帝国にも届いている。初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグは当時の国王を骨抜きにした悪女で、帝国の兵を虐殺し、己が操る薔薇に生き血を吸わせたことで有名だ。

 そんな極悪非道の魔女の末裔は、〈楔の塔〉に何を要求するつもりなのか。


(エーベルが外部に助けを求めたがらないのは、こういう連中がいるからだ……〈楔の塔〉を魔物から取り返した後で、こいつらが〈楔の塔〉を乗っ取らないとも限らない)


 アルト達の警戒とは裏腹に、ローズは朗らかに言った。


「見習い魔術師達の安全を保証して欲しいんだ。ユリウスを呪って追放したり、ゾフィーに無理やり人を呪わせたり……あと、えーと、とにかく見習いのみんなが嫌がるような、酷いことをしないで欲しい。それさえ約束してもらえれば、この戦いの後、オレは〈楔の塔〉を出ていくよ」


 三塔主は沈黙した。それぞれが、この男の提案の真意を探ろうとしている──だが、真意など本当にあるのだろうか?


(この男、本気で見習いの保護のためだけに……?)


 やがて口を開いたのは、エーベルだった。


「古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は敵の手に落ちました。ですが、あの古代魔導具の封印術式は、個別に解除術式を設定できます」


「扉の鍵を複製するみたいな感じかい?」


「えぇ、その解除術式を知るのは、貴方に古代魔導具を使用した、ミリアム首座塔主補佐のみ。貴方は、彼女の理解を得ることができますか?」


 エーベルの問いに、ローズは髭を撫でながら言った。


「それならきっと、ヒュッター先生がどうにかしてくれると思うぜ! ……多分!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ