【15】野菜スープデリバリー
三塔主のエーベル、ローヴァイン、アルトの三名は、一室に集まり、方針のすり合わせを行なっていた。
今後の方針について、〈楔の塔〉の魔術師達に告げるにしても、三塔主の間で方針が定まっていないせいだ。
魔物を殲滅し、〈楔の塔〉を取り戻したい、という気持ちだけは三人とも変わらない。
だが、エーベルは外部の人間に助力を求めることを拒んでいるし、〈楔の塔〉奪還後は再び古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉を使用する方針。
一方、ローヴァインは外部の人間であろうと助力を求めるべきであるとし、既に幾つかの機関に独断で救援の手紙を送っている。
そして〈楔の塔〉奪還後は、古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉の使用は中止すべきという方針だ。
アルトはローヴァインを支持しているが、仮に外部に助けを求めても、〈楔の塔〉の壁が消えるまでに間に合わないことは理解していた。
何より、外部の人間に助けを求めたが最後、今度はその外部の人間に〈楔の塔〉を支配されかねない。エーベルが外部の協力を拒むのも、尤もなのだ。
(……あぁ、いかんな。思考がまとまらん)
アルトは眉間の皺を指で揉む。老齢にこの騒動はなかなか応える。
「エーベル、考えを改めるつもりはないか?」
ため息混じりにアルトが訊ねても、エーベルは穏やかに微笑んで「えぇ」と頷くだけだ。
昔から、変わらない。
アルトにとって、アウグスタ・エーベルは年下の先輩だ。
アルトの方が幾らか年上だが、エーベルの方が〈楔の塔〉に入門した時期は早かったのである。
エーベルは昔から穏やかに微笑んでいる、おとなしい女だった。
とびきり美人というわけではないが、従順で可愛らしくて、男達に言い寄られているのをよく見かけたものだ。気が強くて近寄り難いと言われたアルトとは真逆である。
あの頃から、アルトは漠然とエーベルに対し嫌悪感を抱いていた。エーベルは当時の塔主のお気に入りで、何かと目をかけられていたからだ。
男に媚を売る女、と心のどこか見下していた。
(……どうして私は、優しくなかったのだろう)
一度だけ、優しくしようと思ったことがある。
エーベルが妊娠し、死産した時だ。
あの時のアルトは、エーベルが背負わされた役目を何も知らないまま、月並みな慰め文句を口にした。
気を落とすなだったか、無理はするなだったか──自分が何を言ったかはハッキリ覚えていないのに、あの時もエーベルが穏やかに微笑んでいたことだけは覚えていた。
今なら分かる。エーベルは当時の塔主にお手つきをされたのだ。同じような女が何人もいた。
エーベルの娘は死産ではなく、〈楔の塔カリクレイア〉の生贄となったのだ。そうして、彼女はそれを見守り続けた。
「エーベル……一つ、聞かせろ」
絞り出すような声のアルトに、エーベルは柔らかな声で「はい」と相槌を打つ。
「……私が、塔主にお手つきをされなかったのは、年齢が理由か?」
「それもあるかもしれませんが、やはり一番の理由は貴女が優秀だったからでしょう。芸術と魔術の融合を実現した才ある貴女を、前塔主は尊重した。使い潰したくはないと考えた」
才ある、なんて気安く言うな。とアルトは声なき声で叫んだ。
芸術家としてのアルトは、自分の才能の無さに打ちひしがれてばかりの人生だった。
だが、どうしてその叫びをエーベルに聞かせられるだろう。
「わたくしは魔力量が多いだけの凡人で、天才ではなかったから、尊重されなかった。それだけの話です」
エーベルは誰よりも地獄を見て、踏み躙られてきた──使い潰されてきた存在だ。
それなのに、彼女にとっての地獄である〈楔の塔〉を守ろうとしている。〈楔の塔〉の存続が、彼女の存在意義になっているのだろう。
「ですから、凡才であるわたくしは、わたくしのやり方で、〈楔の塔〉と人類の平和を守ります」
穏やかに言うエーベルを、どうして糾弾できるだろう。安全な場所にいて、何も知らずに平和を享受していただけの自分が。
歯噛みするアルトを、ローヴァインが痛ましげに見て、口を開く。
「お前が置かれた境遇にも、〈楔の塔〉の在り方にも思うところはある。だが、俺はあくまで戦術顧問として第二の塔〈金の針〉塔主になった身だ。だからこそ言うぞ。外部に助力を乞うべきだ」
ローヴァインは言葉を切り、部下から受け取ったばかりの報告書を机に広げる。
「調査室の調査結果だ。〈楔の塔〉の敷地内は現在、水晶汚染によって魔力濃度が急激に上昇している。これがどういうことか分かるか?」
エーベルに代わって、アルトが苦い顔で答えた。
「魔物達は、水晶の鋲を体に刺すことで自らを弱体化させ、魔力濃度の低い土地での活動も可能にしていた。だが、〈水晶領域〉に匹敵する魔力濃度の土地なら……わざわざ水晶の鋲で弱体化する必要はない」
昨晩の襲撃の時、魔物達は体のどこかに水晶の鋲を刺していた──つまり、昨晩の魔物は弱体化していたのだ。あの強さで。
だが、〈楔の塔〉の魔力濃度が上がった今、水晶の鋲を刺す必要はない。
アルトは歯噛みした。
(……最悪の状況だな)
魔物達は弱体化せず、全力で戦える。
一方、人間側は魔力中毒で小一時間も活動できずに死ぬ。
そして、この水晶汚染を仕掛けたのは、おそらく〈楔の塔カリクレイア〉の契約者フィーネ。彼女は人類に反旗を翻し、魔物の側についたのだ。
今のフィーネは水晶の一部を任意で操れるという。その水晶に貫かれて、メビウス首座塔主は敗北したのだ。
(フィーネの叛意は、まだ公になっていない。だが……露呈するのは時間の問題だ)
フィーネが魔物側についたことは、ローヴァインが意図的に伏せた。
おおっぴらになったが最後、フィーネを殺すしかなくなるからだ。
「我々がすべきことは一つでしょう」
エーベルが柔らかく微笑み、告げる。
「フィーネを殺し、新しい契約者を据えて、水晶汚染を解除する。〈楔の塔カリクレイア〉は今の娘が死なないと、次の契約者を選べないのです」
〈楔の塔カリクレイア〉は常に契約者が一人でないといけない。
故に、契約者を複数人用意して、負担を軽減するという手段が取れないのだ。
「わたくしが赴き、フィーネを殺しましょう。幼少期から、あの魔力濃度の濃い地下室に出入りしていたので、多少は耐性があります」
「だが、それでは犠牲が……お前とてただではすまんぞ、エーベル!」
声を荒らげるアルトに、エーベルは目尻の皺を深くして微笑む。いっそ慈悲深いほど優しげに。
「ならば、十年、二十年、三十年と唱え続けてきた言葉を告げましょう」
〈楔の塔〉の暗部を最もよく知る女は、笑顔で問う。
「『他に選択肢があるのですか?』」
「…………」
「…………」
アルトもローヴァインも何も言い返せない。
重苦しく澱んだ空気の中、扉が開く音がした。
「こんにちはー、食事を届けにきましたー」
まったく、今は食事どころではないというのに。塔の若者が気を遣ったのだろう。
早めに下がるよう言い渡そうと、声の方に目を向けたアルトは目を剥き、硬直した。
スープ皿をのせた盆を持っているのは、モジャモジャの赤毛と髭に覆われた顔。日に焼けた筋肉質な体──見習い魔術師ローズ。その正体を、三塔主達は既にミリアム首座塔主補佐経由で知っている。
エーベルが笑顔のまま、目を細めた。
「保身のために、おとなしくしているものだと思っていましたよ。存外、思慮が足りないのですね」
この男の処遇についても、三塔主の間で意見は割れていた。
ひとまず、部屋で大人しくしていてもらうのが無難だから、見習い達と一緒に待機させていたのだが、どうやら勝手に出てきたらしい。
(元より、見張りなどあってないようなものだ……それでも自分の立場を弁え、大人しくしているものだと思っていたのに。エーベルの言う通り、浅慮だぞ、七賢人)
くだんの七賢人、五代目〈茨の魔女〉はスープの椀を配りながら言う。
「だって、人手不足なんだぜー。逃げてきた人達みんなヘトヘトなんだし、手伝いぐらいしたいじゃんか。あっ、これ、オレが作ったスープ。塔主様達も食べてくれよな。体があったまるぜ!」
椀の中身は野菜のスープらしい。素朴だが、美味そうな匂いがする。
アルトは困惑した。この男の正体は聞いているが、人間性まではよく分からない。
世の中には笑顔で相手に毒を盛る人間がいることを、アルトは知っている。ただ、この男からはそういう雰囲気を感じなかった。
アルトはスープの椀に目を向けて問う。
「このスープの意図は? お聞かせ願えるか?」
「えっ? 美味しくできたから、食べてほしくて」
「…………」
本当にこの男が、五代目〈茨の魔女〉なのか、アルトは少し不安になってきた。エーベルとローヴァインも警戒するような目で、ローズを見ている。
「オレ、駆け引きとかあんまり得意じゃないからさ、率直に言うぜ。あの水晶汚染って、つまりは魔力汚染なんだろ?」
「……広義的な意味では、そうなる」
ローヴァインが短く答えると、ローズはシャツの袖を捲る。その手首には鎖の紋様が浮かんでいた。
古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉による封印の跡だ。
「これを解除してもらえるんなら、魔力汚染はオレがどうにかできるぜ」
あまりにもサラリととんでもないことを言われ、アルトは耳を疑った。
「そんなことが、本当に可能なのか? 〈水晶領域〉に匹敵する魔力濃度なんだぞ」
不信感を露わにするアルトに、ローズは落ち着いた声で言う。
「できるさ。オレは七賢人で、五代目〈茨の魔女〉だから」
不可能だ、の言葉をアルトは呑み込んだ。
ここにいるのは、三塔主ですら理解の及ばぬ存在だ。あまりにも、魔術師としての格が違いすぎる。
三塔主が束になっても、この男を殺すことはできないだろう。それを承知で、アルトは問う。
「……〈茨の魔女〉殿、貴方の要求はなんだ?」
彼は、正体を隠して〈楔の塔〉に潜入した理由を語るつもりはないだろう。
だが、こうやって交渉を持ちかけた以上、何か要求があるはずだ。
〈茨の魔女〉の逸話は、この帝国にも届いている。初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグは当時の国王を骨抜きにした悪女で、帝国の兵を虐殺し、己が操る薔薇に生き血を吸わせたことで有名だ。
そんな極悪非道の魔女の末裔は、〈楔の塔〉に何を要求するつもりなのか。
(エーベルが外部に助けを求めたがらないのは、こういう連中がいるからだ……〈楔の塔〉を魔物から取り返した後で、こいつらが〈楔の塔〉を乗っ取らないとも限らない)
アルト達の警戒とは裏腹に、ローズは朗らかに言った。
「見習い魔術師達の安全を保証して欲しいんだ。ユリウスを呪って追放したり、ゾフィーに無理やり人を呪わせたり……あと、えーと、とにかく見習いのみんなが嫌がるような、酷いことをしないで欲しい。それさえ約束してもらえれば、この戦いの後、オレは〈楔の塔〉を出ていくよ」
三塔主は沈黙した。それぞれが、この男の提案の真意を探ろうとしている──だが、真意など本当にあるのだろうか?
(この男、本気で見習いの保護のためだけに……?)
やがて口を開いたのは、エーベルだった。
「古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は敵の手に落ちました。ですが、あの古代魔導具の封印術式は、個別に解除術式を設定できます」
「扉の鍵を複製するみたいな感じかい?」
「えぇ、その解除術式を知るのは、貴方に古代魔導具を使用した、ミリアム首座塔主補佐のみ。貴方は、彼女の理解を得ることができますか?」
エーベルの問いに、ローズは髭を撫でながら言った。
「それならきっと、ヒュッター先生がどうにかしてくれると思うぜ! ……多分!」




