【20】断罪の時
コプリと口から溢れた鮮血が、水晶の刃を赤く濡らす。
この刃はなんだ、どのような魔物の術なのか。
水晶で串刺しにされてもなお、メビウスは〈離別のイグナティオス〉を離さなかった。近寄るなら斬る。その闘志は失われていない。
生命の炎を燃やし、戦う意志を貫く男の背後で、声が響く。
「お帰りなさい、メビウス」
全身を貫かれたメビウスは、首だけを動かし声の方を見た。その目が驚愕に見開かれる。
月明かりの下、こちらに歩み寄ってくるのは、真っ直ぐな黒髪に白いドレスの少女。彼が閉じ込め、彼が庇護した神の子。
「……フィー、ネ?」
声と共に血が溢れる。
フィーネは慈悲深い神の子に相応しい笑みを浮かべていた。
「〈楔の塔カリクレイア〉に水晶鋲を刺してみたの。もうすぐ、魔力汚染ならぬ水晶汚染が始まるわ」
ピキ、パキ、と硬質な何かがぶつかり合う音が、そこかしこから聞こえる。
顔を上げたメビウスは見た。彼の前方に見える〈楔の塔〉が──第一の塔から第三の塔に至るまで、全て水晶で覆われていくのを。
その水晶が〈楔の塔カリクレイア〉と結びつき、異常な魔力を放出している。
さきほどハルピュイアが、飛び回りながら喧伝していた言葉を思い出した。
『間も無くこの土地は魔力に満たされ、三日後には壁も消えるだろう。その時、我らは真の自由を得る』
それは、このことだったのだ。
魔物と戦うための〈楔の塔〉が変質していく。魔の領域である〈水晶領域〉のように。大地も木々も建物も、全てが水晶に覆われていく。
「メビウス。わたしは、あなたが心から欲していたものを知っているの」
フィーネはメビウスの前に立つと、血に汚れた男の頬に手を伸ばす。
「断罪でしょう?」
この少女は知っていたのだ。メビウスが抱える罪悪感に。いつか来る断罪を待ち望んでいたことに。
メビウスを貫く水晶達が地の中に戻る。手足と腹を貫く水晶が消えた瞬間、傷口から一斉に血が噴き出した。
血の海に倒れるメビウスを見下ろし、フィーネはうっとりと微笑む。
「あなたが望む断罪を、ここに……」
フィーネがメビウスに手をかざしたその時、フィーネの手に、どこからともなく飛来した鎖が巻き付いた。フィーネだけではない。近くにいた魔物の王にも、〈原初の獣〉や人狼達にもだ。
鎖が伸びる先にあるのは、リンケ室長の遺体。その手首に巻かれた〈愚者の鎖デスピナ〉に手を伸ばして触れているのは、虫の息だったミリアム首座塔主補佐だ。
〈愚者の鎖デスピナ〉は、鎖で拘束した相手の魔力を封じる力がある──が、その封印効果は発動していなかった。
〈愚者の鎖デスピナ〉は使用者の魔力を消費する。今のミリアムには、古代魔導具に込めるだけの魔力がないのだ。
つまり、この鎖は動きを封じるだけのものでしかない。
フィーネが困ったように眉根を寄せた。
「まぁ、ミリアム。何故、こんなことをするの。これでは、あなた達を救ってあげられないのに」
「……それは、神の御心に沿う行いでは、ありません」
メビウスもミリアムも、まだ闘志は失われていない。
メビウスの手は〈離別のイグナティオス〉を握り、ミリアムの指は〈愚者の鎖デスピナ〉を握っている。
わずかな時間、こう着状態が生じた。
フィーネ、魔物の王、〈原初の獣〉、人狼──それらをミリアム首座塔主補佐の〈愚者の鎖デスピナ〉が封じているが、ミリアムは既に虫の息。
そしてメビウスは全身から血を流し、動けない。
やがて、ミリアムが限界を迎え、鎖が消えたその時、メビウスの耳は複数の足音を捉えた。
守護室のベル室長が「首座塔主はこちらに向かったわ! 援護を!」と叫ぶ声。おそらく何人かがこちらに気づいたのだ。
魔物の王がフィーネに声をかける。
「いずれここは、騒がしくなる」
「なら、今はここまでにしておきましょう。メビウス、ミリアム」
フィーネは育ての親である二人を慈悲深く見つめ、無慈悲に告げた。
「神の子は今日から神になるの。人と魔物の神様よ」
大切な人に生きていてほしい、ただそれだけの願いが、どうしてこんなにも歪んでしまったのだろう。
絶望の中、メビウスは答えの出ない問いを繰り返した。
* * *
頭上から飛びかかってくる目玉だらけの鳥の魔物を、ローズはスコップで振り払った。
「ゾフィー、大丈夫かい!? はぐれるなよ!」
「うぁぁん……ひぃん……」
スコップを振り回すローズの後を、ゾフィーがベソベソ泣きながら追いかける。
二人の腕には鎖の紋様が浮かんでいる。〈愚者の鎖デスピナ〉の封印痕だ。これのせいで二人は今、魔術や呪術を使えない。
(鎖そのものは消えたから、動き回ることはできるけど、魔術は使わせてくれないかー……それぐらい、オレのこと警戒してるんだろうなー)
胸の内で呟き、ローズは辺りを見回す。
ゾフィーを逃がそうとしたところを、ミリアム首座塔主補佐に捕まり、そこに何故かアルムスターが駆け付けてきたと思ったら、魔物の襲撃が始まった。
おそらくミリアム首座塔主補佐は、魔物の対処にあたっているのだろう。アルムスターは分からない。いつの間にかいなくなっていた。
ローズは己の手首の紋様を見る。
(こういうのって、封印を施したミリアム首座塔主補佐じゃないと外せないよなぁ……)
ローズは封印や結界の専門家というわけではないが、〈楔の塔〉でそれなりに勉強してきたので分かる。
この手の封印は、封印を施した者が死んでも解除されないことが多い。最悪のケースは、解除に必要な術式を、術者が誰にも伝えないまま死亡することだ。
言うなれば、暗号の答えを誰にも伝えず死なれるようなものである。
つまり、ミリアム首座塔主補佐がこの状況で死亡していると、ものすごくまずい。
「ローズさぁん……ア、アタシ達、どうなっちゃうのぉ……」
涙声のゾフィーに、ローズはスコップを握り直した。
そうだ、見習いの仲間達は全員逃がしてやらなくては。自分は見習いの中で唯一の大人なのだから。
(魔術を封じられたのはまずいな。防御結界すら使えないし)
実を言うとローズは、並の封印結界なら魔力干渉で強引に破壊することができる。だが、流石に古代魔導具の封印は頑丈だ。
今のローズは一般人と変わらない。それでも、できることは探せばいくらでもあるはずだ。
「ゾフィー、ちょっとごめんな!」
ローズはスコップを脇に挟み、ゾフィーを抱き上げると、その手でしっかりとゾフィーの頭を庇いながら、木々が茂っている方向に向かって走った。開けた場所より、木々がある方がいくらか上空からの敵の攻撃を防げると思ったのだ。
飛び交う鳥の爪がローズの背中を引っ掻き、モジャモジャの髪と髭を引っ掛けた。地味に痛い。
「ローズさん! ゾフィー!」
響いたのは、ロスヴィータの声だ。
次の瞬間、ローズに群がる鳥の魔物を水の魚が蹴散らした。更に、蹴散らされた鳥の魔物を、ゲラルトが剣の一閃で切り払う。
ローズに抱えられたゾフィーが、ベソベソ泣きながら声を上げた。
「ロスヴィータぁ、ゲラルトも来てくれたんだぁ……あっ、ユリウス! 逃げられたんだね! 良かったぁぁぁ……」
ローズはゾフィーを下ろしてやりながら、周囲を見回す。
駆け付けたのは、ロスヴィータ、ゲラルト、ユリウスの三人だけだ。
「助けてくれてありがとな。ところで……フィンとエラは?」
「……後で話すわ。まずは塔を出ましょう。魔力濃度が急上昇してるの。このままだと魔力中毒になる」
言われてみれば確かに、周囲の魔力濃度が濃くなっている……気がする。ローズは比較的耐性があるが、魔力量の多くない一般人には辛いところだろう。魔力量の低いゲラルトは、既に苦しげな呼吸をしている。
「塔を出るって、やっぱ門から?」
ローズの問いにゲラルトが青白い顔で頷いた。
「そっちは魔物が複数うろついていたので、強行突破する形になります。なので、その前にローズさん達と合流しようと思い、探していました」
なるほどー、とローズが呟いたその時、第一の塔〈白煙〉の上で、ぼぅっとオレンジ色の輝きが見えた。あれは火球の魔術だ。
「危ない!」
ローズが叫ぶのと、火球がこちらに向かって飛んでくるのはほぼ同時だった。
火球はローズ達には直撃せず、少し横をすり抜けて、〈楔の塔〉の城壁を爆破する。
城壁がガラガラと崩れ落ち、壁の向こう側の草原が見えた。
(今の攻撃……)
ローズは第一の塔〈白煙〉の屋上を見た。そこには小さな人影が見える。もしかして、誰かが逃げ道を作るために壁を爆破してくれたのだろうか。
「ローズさん、あそこから逃げよう、早く早く!」
ゾフィーに急かされ、ローズは「おう」と頷き、スコップを握る。
ゾフィーが不安そうに訊ねた。
「あそこから逃げたら、どこに隠れるの? この感じだと、外にも魔物いるよねぇ?」
そうだ。当初はローズがゾフィーとユリウスを連れて逃げる算段だったが、それどころではなくなってしまった。
予定外の事態に、これはどうしたものかとローズが迷っていると、ロスヴィータが早口で言う。
「それについては、エラと相談して決めてるわ。いい? よく聞いて……」
* * *
長い戦いが収束しつつある夜明け前、オレンジ色の髪と羽を持つハルピュイア、カロンララは空高く飛び上がり、水晶に覆われた〈楔の塔〉を見下ろす。
古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉は、その契約者諸共、手中に収めた。
魔物の出入りを封じる西の壁だけは、発動した状態のまま、制御部分に封印措置が取られてしまったが、これもあと三日もすれば消えるという。
そうしたら、魔物達はどこにでも行けるのだ。
これから〈楔の塔〉は、魔物達を討伐するための人類の希望ではなく、魔物達の新たな拠点となるだろう。
山間から見える朝の光が、水晶で覆われた塔を美しく輝かせる。
塔の周囲には人と魔物の亡骸が散乱していて、その惨たらしさと水晶の塔の美しさが、異様な対比を生み出していた。
(ただ、魔物の死体に比べて、人の死体は少ない……大多数が逃げたか)
魔物の王は人を追えとは言わなかったし、魔物達も人間を根絶やしにしようとは思わなかった。人間は大事な執着対象だからだ。
人なくして、魔物は生まれない。人類が滅びる時は、魔物もまた滅びる時なのである。
辺りを飛び回り、状況を把握したカロンララは、第一の塔〈白煙〉の前に降り立った。
塔の前では、金髪の若い男の姿をした魔物──吸血鬼のジルが、口元をハンカチで拭っている。どうやら食事を終えたところだったらしい。
「はぁい、カロンララ。生き残りはいた?」
「空から見える範囲ではいない」
「こっちもねぇ、建物の中に隠れてた子達は美味しくいただいちゃったから、もう人間ちゃんはいないと思うよ。生きていたとしても、魔力中毒でじきに死んじゃうでしょ、水晶鋲がない限り」
〈楔の塔〉の実力者である、メビウス首座塔主とミリアム首座塔主補佐は重傷。
古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉も回収済だ。
「あのメビウスって男、すごいね〜。意地でも剣から手を離さなかったの! だから仕方ないけど、俺が手首を切ってさー……あら?」
ジルが空を見上げる。そこから、冬の気配をまとった少年が降りてきた。
冬の魔物ジャックだ。
「はぁい、ジャック。久しぶり〜。どこ行ってたのよー、寂しかったじゃん」
「ちょっとね、人間達に殺されちゃって。復活に、随分時間がかかっちゃった」
そう言って、ジャックはツララの垂れた袖を揺らし、カロンララを見つめる。
幼く見えるがジャックはカロンララより力の強い上位種だ。カロンララが顔を強張らせていると、ジャックは歌うような口調で言った。
「僕を殺した人間のそばに、ハルピュイアがいたよ」
「なんだとっ!?」
声を荒らげるカロンララに、ジャックは訊ねる。
「ティアと呼ばれていたよ、心当たりはある?」
(……ティア!? フォルルティア!?)
おねえちゃーん、と能天気に笑う妹の顔が脳裏をよぎる。
行方不明になっていた可愛い妹、生きていた、生きていたのだ。
喜びに胸を震わせるカロンララに、ジャックは告げる。
「そのハルピュイアは、〈楔の塔〉の魔術師に味方する裏切り者だ」




