【12】狼
「やっぱり、あんたが人狼だったのね……フィン」
一番の違和感は、人質の少女を連れた人狼の動きだ。
まるで見つけてくださいと言わんばかりに吠え続け、〈楔の塔〉の敷地内をウロウロしていた。
最初は、遠吠えで仲間を呼んでいる可能性も考えた──が、多分違う。
あの人狼はよりにもよって、討伐室の人間達がいる第二の塔〈金の針〉近くをウロウロしていたのだ。
強者と戦いたがっている風には見えない。かと言って、逃げる様子もない。
あの狼は一体、何がしたいの? そう考えた時に、気がついた。
「……ユリウスを逃すために、囮になったんでしょ?」
ここに魔物がいるぞ、怖い狼がいるぞ、と吠え続けて、第二の塔〈金の針〉の魔術師達を自分のもとに誘き寄せて。
ユリウスは真っ青な顔で硬直している。無理もない。フィンと一番親しかったのはユリウスだ。
だから、自分が言わなくてはいけない、とロスヴィータは思った。
「その肩の女の子だけでも、下ろしなさい」
「…………」
「その子は無関係の一般人でしょ?」
フィンは何も言わない。
ふと、ロスヴィータは違和感を覚えた。
フィンがユリウスを逃すため、人狼の姿で逃げ回ったのは間違いないだろう。
……だが、一般人の少女を人質にする必要はあったのだろうか?
(その方が攻撃されづらいから? ……でも、その考え方は、なんかフィンらしくない気が……)
もしかして、あの少女には何か役目があるのではないか。
ロスヴィータの推測を裏付けるかのように、〈原初の獣〉がフィンに命じた。
「おい、チビ。さっさとその肩のモンを王様に届けてこい」
「げ、〈原初の獣〉様っ、ユリウス達は……」
「俺は人間のガキは殺さねぇ。早く行け」
フィンは葛藤しているようだったが、〈原初の獣〉に睨まれ、駆け出す。
そのタイミングでユリウスがハッを顔を上げた。
「そうか、あの少女が契約者かっ」
「……どういうこと?」
ロスヴィータが訊ねても、ユリウスは答えない。
ユリウスは早口でアグニオールに命じた。
「アグニオール、フィンを追え。あの少女を最優先で保護しろ!」
「させるかよ」
次の瞬間、アグニオールの──赤い獅子の巨体が、銀の暴風に滅茶苦茶に切り裂かれた。
同時にアグニオールが火球を放つ。上級魔術師の威力を遥かに上回る、超高威力の火球だ。
(このままだと巻き込まれる!)
ロスヴィータは右手で掴めるだけの小枝を放り投げた。
「『不合理な献身、宿る雨、足を失くした魚達、留まり群れなせ』」
小枝に集った水が膨れ上がり、幾つもの魚が寄り添う形になる。その水が壁となって、アグニオールの炎からロスヴィータ達を守った。
その水の壁を、〈原初の獣〉の爪が斬り裂く。あっ、と思った時にはロスヴィータは〈原初の獣〉の体当たりを受けて、地面を転がっていた。
ユリウスが短縮詠唱で炎の矢を発動する。威力は弱いが数が多いその攻撃に、獣の顔が楽しそうに笑った。
「もう一人いるな?」
〈原初の獣〉が跳躍した。茂みに隠れ、誘導術式の用意をしていたエラが悲鳴をあげる。
威力の低い攻撃を一点に集約する誘導術式は、以前、討伐室との魔法戦でレンが考えた「美少年砲」だ。
だが、〈原初の獣〉は最初から、エラが茂みに潜んでいたことに気づいていたのだ。
「エラぁっ……!」
ロスヴィータは地を這い、声をあげた。返事が聞こえない。
(まさか、まさか……)
地を這い震えるロスヴィータに、茂みから出てきた〈原初の獣〉は言った。
「殺してねぇよ。俺は人のガキは殺さない。ガキは伸び代があるからな」
少し長めの詠唱を終えたユリウスが、炎の槍を三本放つ。それ一つで、並の魔物なら殺せる威力だ。
同時に、体を切り裂かれたアグニオールが獰猛に吠えながら飛びかかった。
「良い火だが、まだぬるい」
炎の槍は三本とも〈原初の獣〉に直撃した。直撃したのだ。だが、獣の巨体が燃えることはない。毛皮に僅かに煤がついたのみだ。毛皮の魔力密度が尋常じゃない。
毛皮に脂を纏わせ水を弾くように、あの銀狼は毛皮に魔力を纏わせ、こちらの魔術を弾いている。
アグニオールの炎にすら耐え、〈原初の獣〉はアグニオールの胴体を深々と切り裂いた。
アグニオールの姿が光に包まれ霧散する。ユリウスが指輪に触れて詠唱をした。アグニオールを救おうとしたのだろう。その隙に、〈原初の獣〉はユリウスに突っ込み、体当たりをした。ユリウスの細い体が木に叩きつけられ、地面にズルズルと崩れ落ちる。
(これが、ママですら勝てなかった〈原初の獣〉……)
一人でも勝ってみせるだなんて、よくも言えたものだと思う。
あまりにも圧倒的だ。肉体の強さも、帯びた魔力も。
あの獣は、純粋に強さだけを突き詰めた生き物だ。
他の魔物が使うような、火を放ったり、精神干渉したりといった能力がなくとも、その肉体のみで敵を皆殺しにできる。
強靭な肉体は誰よりも速く走り、高く跳躍する。銀の毛並みは上位精霊の攻撃すら弾き、その爪と牙はあらゆるものを斬り裂く。
純粋に強い、ただそれだけの生き物だ。
(アタシ達じゃ勝てない……でも、フィンが……)
自分は無力だ。
フィンに対して、偉そうなことを言ったくせに、何も実現できていない。
弱い生き物のロスヴィータを、フィンはどんな目で見ていたのだろう。
その時、ピクンと〈原初の獣〉の耳が動いた。
風を斬り裂くように、何かが駆ける気配。新手の狼かと思った。それぐらいしなやかで、力強い走りだったのだ。
その黒い影が刃を振るう。月明かりに照らされるそれは、鍛え抜かれた美しい鋼の色をしていた。
キィン──と、硬い物同士がぶつかる硬質な音が響く。
〈原初の獣〉の爪と重なる長剣。その柄を握るのは前髪の長い黒髪の少年、ゲラルト・アンカー。
ロスヴィータは体の痛みを押し殺して叫んだ。
「ゲラルト、逃げなさいっ……接近戦じゃ絶対に勝てない!」
〈原初の獣〉の肉体はあまりにも強靭だ。膂力が人とは圧倒的に違いすぎる。
鋭い爪がゲラルトの肩を狙う。ゲラルトは滑らかに剣を動かし、その攻撃を受けた──違う。まともに受けたら、吹き飛ばされる筈なのだ。
(あれって……受け流した、の?)
ゲラルトは姿勢を低くし、下げた切先を振り上げる。その刃は〈原初の獣〉の体には届かず、毛皮の先を少しだけ切った。
ゲラルトが更に踏み込む。明確に首を狙った一撃だ。〈原初の獣〉が跳躍し、初めて距離を取った。
「良いな。まだ若いが、今日見た人間の中で一番巧みだ」
ゲラルトの身体能力が高いことは、ロスヴィータも知っていた。それこそ討伐室との魔法戦でも、画板を盾に上手く立ち回り、味方の勝利に貢献している。
だがロスヴィータは、剣を使うゲラルトを見て初めて、「強い」と感じた。
まじまじとゲラルトを見たロスヴィータは、ゲラルトの全身がまだらに赤く染まっていることに気づき、ギョッとする。
「ゲラルト!? あんた、怪我して……っ」
「いえ、これは返り血なので……大丈夫です」
ボソボソと気まずそうに話す口調は、いつものゲラルトなのに、どうしてこうも雰囲気が違うのか。
「返り血って……」
「ここに来る途中で、鳥達に襲われたので……」
話の途中で〈原初の獣〉がゲラルトに飛びかかった。ゲラルトは半身を捻って爪の攻撃をかわし、刃を滑らせる。切先が〈原初の獣〉を斬り裂くかと思いきや、〈原初の獣〉は爪で剣を押さえ込む。器用だ。
力比べになったら勝ち目はないと分かっているのだろう。ゲラルトは冷静に剣を斜めに傾け、〈原初の獣〉の爪を滑らせた。
そうして自身は身を低くし、〈原初の獣〉の横をスライディングですり抜ける。無論、すぐさま立ち上がり、警戒は怠らない。
〈原初の獣〉がグルルと喉を鳴らした。なんだかやけに嬉しそうな──人間で言う、堪えきれない笑いに似た響きだ。
「その動きには覚えがある……西だ。西の騎士の剣だ」
「博学ですね」
ゲラルトが大真面目に返す。
〈原初の獣〉は地面を引っかくように、爪を少し動かした。人間なら、トントンと机を叩く仕草だろうか。
西の騎士の剣──帝国人なら皆、同じ名前を思い出すだろう。
「あぁ、そうだ。その末裔はこう名乗っていたな。奇遇にも俺達と同じ、狼を名乗る一族……」
風が吹いて、ゲラルトの前髪が揺れる。長い前髪の下に隠れているのは、狼のように鋭い灰色の瞳。
〈原初の獣〉が牙を剥いて笑う。
「西の狼、ヴァルムベルクの戦狼」




