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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
九章 塔の攻防
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【7】整理したくない感情


 第一、第二、第三の塔と、庭園を結んだ中間地点で待機していたゲラルトは、第三の塔〈水泡〉の方が騒がしいことに気づいた。

 おそらく、ゾフィーの脱走がバレたのだ。


「ゲラルト、ど、どうしよう……」


 フィンが狼狽えている。ここは自分が冷静にならねば、とゲラルトは塔を観察した。

 第一の塔、第二の塔の方はまだ静かである。ユリウスが脱走した様子もない。ロスヴィータとエラの作戦は、少し時間がかかる。

 一応、ローズ側とは時間差を設けて作戦を開始したが、思った以上にロスヴィータ達が苦戦しているのだろう。


(フィンは足が悪いから、あまり長距離を走らせたくない。それに……できれば、見られたくない)


 ゲラルトは己の腰に下げた剣を見下ろし、少しだけ顔をしかめた。葛藤は一瞬。行動に移るなら迅速に。判断が鈍いと仲間が全滅する──兄の教えだ。


「フィン、分担しましょう。僕はユリウスを助けに行くので、フィンは庭園で待っているローズさん達に、このことを伝えてください」


 仮に荒事になっていた場合、助けがいるのは間違いなく、まだ脱走完了していないユリウス、アグニオール側だ。

 ローズとゾフィーは、おそらく塔から抜け出すところまではできたのだろう。なら、フィンを連絡係に回して、一緒に隠れていてもらうのが良い。


「わ、分かった……ゲラルト……気をつけて」


「はい、フィンも気をつけて」


 フィンが足を引きずりながら移動するのを確認し、ゲラルトも走り出した。



       * * *



 ユリウス・レーヴェニヒはカビ臭い牢獄の中で寝返りを打った。

 両手には魔力行使を阻害する魔導具の手枷。宿舎に置いてきたアグニオールは、指輪に封印措置を取られているらしい。ひとまず待機を命じておいたが、どれだけ大人しくしていられることやら。

 今のユリウスにできることは何もない。だからこそ、考える時間だけはたっぷりとあった。

 情報を整理し、思案する。そうして、考えれば考えるほど思い知る。


(……地下室の少女の言うことが、真実だとしたら)


 自分にできることは、何もない。

 ユリウスは膝を折り曲げ、体を縮こめ、頭を抱えた。

 気持ちがグチャグチャで、だけどそのグチャグチャした感情を整理をしたくなかった。

 正しいことと間違っていることを綺麗に分けて、いかにも正論じみた結論を出したくない。


(ザームエル、俺はあんたが悪人で構わなかったんだ。最低最悪の自分勝手な大悪党。それがザームエル・レーヴェニヒだろう)


 ザームエルは〈楔の塔〉を乗っ取って、塔が抱える秘密を掌握し、それすらも自分のものにしてしまえば良かったのだ。

 だけど、ザームエルはそれをしなかった。塔が抱える秘密に一人の少女が──ユリウスと歳の近い子どもがいたからだ。


 ──あの男は、国を売ろうとした大罪人です。


 先ほど、この地下牢を訪れたミリアム首座塔主補佐はそう告げた。

 それだけで、ザームエルがしたことも、塔の秘密も分かるだろう、と言いたげだった。


(俺は、あんたが大罪人でも良かったんだ。ザームエル。お父さん)


 秘密を知るザームエルをすぐに殺さず、呪いを施して追放したことが、ユリウスには疑問だった。ミリアム達は、ザームエルが塔の秘密を言いふらすと思わなかったのだろうか?

 ユリウスがそう追及すると、ミリアムはこう返した。


『寧ろそれは、私にとって望むところなのです』


 ミリアムは常に無表情で、語る声は淡々として、それなのに心の深いところから滲み出す強い熱を感じた。

 信仰に殉じる覚悟のある者だけが、持つ熱だ。


『真実を知った者達は、神の慈愛と御技により保たれていた平和を尊ぶことでしょう。ただ、奇跡は自らの口で喧伝すべきではありません。だから、〈楔の塔〉の慣習に添い、語らずにいただけのこと』


 つまるところ、ミリアムは〈楔の塔〉の秘密が知られても構わないのだ。

 そもそも知られたところで、真実を知った者にできることは何もない。ユリウスがそうであるように。

 そうだ、こんな事実を知ったところで、誰にも、何もできない。寧ろ誰もが口を噤むだろう。今ここにある平和のために。

 中には声高に糾弾する者もいるだろう。だが、大多数の者は我が身を優先するはずだ。魔物がいる限り、〈楔の塔〉の在り方を変えることは、誰にもできない。


(だからメビウス首座塔主は、防衛よりも〈水晶領域〉付近に赴き、魔物討伐をすることに執心するのか……いや、待て)


 ミリアムとのやりとりを思い出していたら、ミリアムよりもメビウス首座塔主のことが分からなくなった。


(メビウス首座塔主の立場を考えれば、防衛に専念し、平和を維持するだけでも良いはず。討伐で部下を失うこともあるだろう。それを覚悟で魔物を滅したがるのは何故だ? もしかして、あの娘と何か繋がりがあるのか? あの娘はメビウス首座塔主の娘である、とか……)


 おそらくミリアムとメビウスは、利害は一致しているが、思想と信念が一致しているわけではないのだ。

 ミリアムが己の信仰に全てを捧げているように、メビウスにも全てを捧げるだけの何かがある。それは、ミリアムとは決定的に違うものなのだろう。

 それは何か、と思案していたユリウスは、ふとアグニオールの意思を感じた。

 契約精霊と主人は見えない糸のようなもので繋がっていて、簡単な意思疎通ができる。本当に感覚的で簡単な意思疎通だ。

 そして今、封印されているはずのアグニオールは、こう言っている。


 ──ユリウス坊ちゃーん、今行きますねー!


(いや来るな)


 そもそもどうして、アグニオールが出歩いているのだ。封印されているのではなかったか。

 アグニオールの力は非常に強力だが、加減が利かない。もう本当に、全然全く利かない。「ちょっと焦がしちゃいましょう、えいえい!」で辺り一面を火の海にするような精霊なのだ。

 つまるところ、ユリウスの預かり知らぬところで勝手に力を振るわれると、アグニオールの炎に巻き込まれてユリウスが死にかねない。だから、待機を命じていたというのに。


(一体、何がどうなっている……!)


 確かにアグニオールが近づいてくる感覚がある。だが、外は騒ぎになっていない。

 その時、壁づたいに何かが入ってくるのをユリウスは見た。

 小枝を中心に水をまとった魚──ロスヴィータの魔術だ。水の魚は口にアグニオールの指輪を咥えたまま、牢屋の隙間からスルリと中に入り込み、ユリウスの手の中に指輪をポトンと落とした。

 なるほど、普段から古典魔術の良さを主張しているだけのことはある。素晴らしい操作精度だ。


「ユリウス坊ちゃーん、わたしが来ましたよー!」


 指輪からアグニオールの声がする。いつもより声量を抑えているのは、一応状況を理解しているからだろう。


「……ロスヴィータか」


「そうですよ、ロスヴィータちゃんとエラが二人がかりで封印を解いて、私をここまで案内してくれたんです。良い子達! お水に濡れるのはちょっと嫌でしたけど、わたし我慢したんですよ、えっへん」


 上手いやり方だ、とユリウスは素直に感心した。

 牢屋は第二の塔〈金の針〉の地下にあり、その上の部屋で守護室の魔術師が見張りをしている。

 ロスヴィータ本人が牢屋の鍵を盗んだり、忍び込んだりするより、水の魚でアグニオールの指輪を届ける方がよっぽど確実だし、見つかる危険性も少ない。

 水の魚は手のひらにのるぐらいの小ささだった。これぐらいなら、夜の薄暗い廊下を見つからずに移動することもできるだろう。

 あとは、いかにアグニオールの炎を制御して、必要な箇所だけ焼き切るかだ。その算段を考えていると、パシャンッと音がした。ロスヴィータの操る水の魚が地面に落ちて消えたのだ。

 役目を果たしたから解除したということだろうか? ……否。指輪の中のアグニオールが低く唸っている。


「あらあら、炎霊の指輪を取り戻したのですね」


 一階に繋がる階段を降りてきたのは、品の良い老婦人。

 第一の塔〈白煙〉塔主、エーベルだ。その手には杖が握られている。傘やステッキより、やや長めの杖だ。

 エーベルは、窓辺で編み物をしているのが似合う、穏やかで上品な佇まいの老婦人である。

 だが、油断はできない。彼女は〈白煙〉の塔主なのだ。


「ミリアム首座当主補佐は、父親同様、呪いをかけて追放すべきとお考えのようですが、わたくしは違います。真実を知る者は、確実に口を封じるべきです。貴方のお父様の時とは時代が違う」


 ユリウスは口の端を持ち上げて笑った。

 不敵に、邪悪に、太々しく。父ザームエルのように。


「ククッ……違うのは、時代ではなく皇帝だろう? 塔の真実を知った黒師子皇に介入されると困るということか」


「黒獅子皇は、先帝とは違う意味で厄介な方です。その欲は尽きることなく、欲しいと望んだものは全て手に入れる」


 エーベルはその優しげな顔に、深い憂慮を滲ませて問う。


「〈楔の塔〉の真実を知った黒獅子皇が、〈楔の塔〉を掌握しないと、どうして思えるのです?」


 なるほど、これは面倒な話だ。

〈楔の塔〉の真実を知る上層部の人間──メビウス、ミリアム、そしてエーベルの三者で、それぞれ微妙に意見が違うのだ。


「……故にわたくしは、ここで貴方の口封じをするべきと考えています」


 エーベルが杖を持ち上げる。

 ユリウスもまた、アグニオールの指輪に触れたその時。


 ──ァォォオオオオオオオオオオン!!


 外から、狼の鳴き声が聞こえた。


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