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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【30】一年待たされた男

 メビウス首座塔主達が、ダーウォック奪還作戦のため楔の塔を発って、一週間と少しが経過したある日、〈楔の塔〉に残された魔術師達は、行商人からもたらされた報せに仰天した。


 ──ダーウォック国王崩御。


〈楔の塔〉の魔術師達は、メビウス首座塔主の実力に圧倒的な信頼をおいている。

 そろそろダーウォックの魔物を倒した頃だろう、と思っていた矢先の報せであった。

 何か状況が変わったのなら、ダーウォックを目指したメビウス達から連絡が来るはずだ。だが、連絡がない──どころか、その中間地点にあるメルヴェンの街に常駐している調査室の魔術師と連絡が取れない。

 明らかな非常事態に、〈楔の塔〉の塔主達も緊張を強いられていた。




 緊急塔主会議の後、守護室室長ベルは、討伐室室長のハイドンに声をかけた。

 ベルとハイドンは見習い時代の同期だ。普段は名前で気さくに呼び合う仲だが、今は会議の緊張感そのままに、ベルは堅い口調で言う。


「ハイドン室長、少しお時間よろしいかしら?」


「あぁ、構わない」


 守護室室長ベルは二十代後半、スラリとした長身の女である。長い金髪を一つに束ねており、腰に剣を下げている。

 ハイドンはベルと同世代の大柄な金髪の男だ。普段は太陽みたいに明るく快活な男なのだが、今は非常事態故、険しい顔をしている。

 特に討伐室は、魔物との戦闘を担うという役割上、最も犠牲が出やすい。

 現時点で、討伐室の魔術師の半数以上がメビウス首座塔主に同行、あるいはランゲの里、アクスの里に待機し、〈水晶領域〉の見張りをしている。

 ベルは適当な小部屋に移動すると、声を潜めた。


「ディール室長から伝言。『塔の人間に注意を』」


 ハイドンの顔色が変わる。伝言を口にするベルは苦々しい気持ちだった。

 調査室室長ディールは、あまり魔術師らしくない紳士である。紅茶を嗜みつつ読書をするのが似合う温和な人物だが、その実、調査室一筋の大ベテランで切れ者だ。

 ディールは〈水晶領域〉周辺の町村に部下を常駐させ、常に情報を魔物の動向を監視していた。

 そのディールの監視の眼を掻い潜って、魔物はダーウォック王城に姿を見せたのだ。おそらく、ディールの監視の行き届かない東の海か、北の山を越えたのだろう。

 その事実だけでも調査室を震撼させたというのに、更にここ数日、メルヴェンの街に常駐している魔術師と連絡が取れないときた。


「メルヴェンの魔術師と連絡が途切れた時点で、ディール室長は〈楔の塔〉内部に裏切り者がいるという見方を強めたみたい」


「……その情報を知っているのは?」


「ひとまず、ミリアム首座塔主補佐と私達だけ。私達は部下を現場に回す立場で、いざという時、ディール室長と連携がとれてないとまずいから」


「……! 三塔主にも話していないのか!?」


 ハイドンの驚愕も尤もだ。

 メビウス首座塔主が留守にしている今、塔の最高責任者がミリアム首座塔主補佐。

 そしてその次に責任の重い立場が、第一から第三の塔主であるエーベル、ローヴァイン、アルトの三人。

 だが、調査室室長ディールはその三人をすっ飛ばして、ベルとハイドンにだけこの情報を伝えたのだ。


 ──即ちディール室長は、三塔主も疑いの目で見ている。


 ハイドンは眉根を寄せて、苦悶の表情を浮かべていた。気持ちは分かる。自分達の直属の上司も疑わなくてはならないのだ。


「今、〈楔の塔〉は圧倒的戦力不足よ。討伐室の実力者も、軒並み外に出てるでしょ」


「あぁ、残った戦力だと……一対一で魔物と戦えるのは、俺かダマーぐらいだ」


 顔に×印の傷痕がある男ダマーは性格にこそ難はあるが、〈原初の獣〉に印をつけられた実力者だ。

 ただ、フレデリク、ヘレナ、リカルドの三人が留守にしているのが痛い、というのがベルの本音である。あの三人は若手だが実力者で、三人揃っていると安定感が違うのだ。


(全盛期のリーゼがいてくれたら……心強いのに)


 今の若手で、フレデリク達が抜きん出ているように、かつてはハイドン、ベル、そして二人の同期であるアンネリーゼ・レームが若手最強と言われていた。

 特にハイドンとレームのライバルコンビときたら、それはもう強かったのだ。

 レームは童顔で、いつも前髪が短くて、色恋沙汰に無関心の魔術馬鹿で、才能もあって、誰よりも魔術に愛されていた。

 そんな彼女が魔力器官損傷で指導室へ異動になった時、塔の人間は皆悲嘆にくれた──特にハイドンの落ち込みようといったらなかった。


「ねぇ、フリッツ君(、、、、、)


 見習い時代の呼び方で、ベルはフリッツ・ハイドンを見つめて問う。


「リーゼに告白しないの?」


「ぶっ」


 ハイドンは吹き出し、口元に手を当てた。

 その顔が耳まで赤くなっている。相変わらず純朴だ。


「こんな時に何を……」


「不謹慎なのは分かってる。だけど、こんな時だからこそよ。私達、いつ魔物と刺し違えてもおかしくない身じゃない」


 ハイドンとレーム、かつてライバルだった二人を誰よりも近くで見守ってきたのが、ベルなのだ。この二人が結ばれるところを見るまで死ねない。


「あのね、リーゼの生徒のエラ・フランクっていう子がいたでしょ。見習い代表の」


「あ、あぁ……確か、魔力器官に異常があるんだったか?」


「その子の手術が終わったらしいの。まだ、魔力放出できるようになったかは分からないけど……手術が成功したなら、レームの魔力器官損傷を治す一助になるかもしれない」


 レームが自分の未来に希望を見出している今が、告白のチャンスだとベルは思うのだ。

 この先、レームが魔力器官損傷を治したら、レームは嬉々として魔術の訓練に没頭するだろう。恋愛もへったくれもない。

 ……が、ハイドンは何やら言い淀んでいる。

 えぇい、踏ん切りの悪い。それならば少し焦らせてやる。とベルは悩ましげな表情を浮かべた。


「この非常事態……魔術を使えないリーゼは不安でしょうね。可愛い生徒達を守りたいのに、自分にはその力がない……そんな時、指導室の誰かがリーゼを助けたら、ドキッとしちゃうかも……」


「う…………」


「あっ、ヒュッター先生は大丈夫。あの人は分別のある大人だわ」


 かつてレームとの関係を問いただした時のスマートな対応に、ベルはすっかりヒュッターを信用していた。


「危ないのはゾンバルト先生ね。美形だけど胡散臭いし……アルムスター先生は、ちょっとよく分からないけど……」


「…………」


「ヘーゲリヒ室長もお強いし、守られたらコロッといっちゃうかも……」


「…………たんだ」


 ハイドンがボソボソと口の中で言葉を転がす。

 上手く聞き取れず、「え?」と訊き返すベルに、ハイドンは強張った顔で繰り返した。


「告白は、したんだ」


 ベルはもう衝撃のあまり、顎が外れるんじゃないかというぐらい口を開いた。

 大声を出してはいけない。できる限り声を殺しつつ、ハイドンに詰め寄る。


「嘘っ!? いつ、いつ、いつ?」


「……一年前」


「そんなに前っ!?」


 いよいよベルは膝から崩れ落ちそうになった。

 自分が悶々としている間に、そんなにことが進んでいたなんて!


(リーゼってばぁぁぁ、こっそり教えてくれても良いじゃないぃぃぃ!)


 ひとしきり頭の中で喚き散らした後、ふと冷静になって考える。

 ハイドンが告白したのが一年前。だが、二人が付き合っているようには見えない。

 つまり……。


「ふ、振られた、の?」


「いや……」


 ハイドンはゆるゆると首を横に振る。


「『少し考えさせてほしい』と言われた」


 ベルはその言葉を反芻し、じっくりと吟味し、そして訊ねた。


「……一年経ったのよね」


「……あぁ」


「それもう、遠回しに振られたんじゃ……」


 ハイドンが苦悶の表情で声を絞り出す。


「リーゼの性格上、断るならキッパリ断るだろう……!」


「それもそうね……」


 ただ、ベルはやっぱりレームの返事が意外だった。

 レームがハイドンのことを憎からず思っているのは間違いない。

 ハイドンのライバルでもある彼女は、常に友情以上の熱意をもってハイドンと向き合っていた。友人であるベルが妬けるぐらいに。

 あの頃は、いつも夜更かしして魔法戦用の魔術式を組み上げていたものだ。


『もう少しだけやらせて。どうしても勝ちたいの。フリッツ君に……!』


 今でこそ落ち着きのある大人をしているアンネリーゼ・レームだが、あの頃は手に負えない魔術馬鹿だったのだ。

 もう寝なさい、とベルが諭すと、レームは子どもみたいに駄々をこねた。


『あーとーすーこーしー! お願いっ! この魔術式が完成すれば、フリッツ君の超精度の追尾魔術に対抗できるの!』


 当時、レームがハイドンに向ける熱量は、誰の目にも明らかだったのだ。

 仮にその熱量の中に、恋愛感情と呼べるものが一欠片もなかったとして、それならレームの性格上「ハイドン君のことは、そういう風に見られないの、ごめんなさい」とサッパリ断りそうなところである。


(ということは、リーゼもハイドン君のことを、恋愛対象として少しは意識してるのかも……だけど、それが恋と確信がもてなくて、立ち止まってる……とか)


 ならば自分が背中を押してやりたい。

 まずは、この騒動が一段落したらレームとお茶会だ。


「ベル、あまりリーゼを追い詰めないでくれ」


 はやるベルの心に釘を刺すように、ハイドンが静かに、だが重い口調で言う。


「仮に俺が振られても、俺にとってリーゼが、大事な仲間で、友人で、ライバルであることは変わらないんだ。だから、リーゼの心の望む選択をしてほしいと思う」


 ハイドンがレームに向ける想いは本物だ。

 恋が叶っても叶わなくても、友情が薄くなることはないだろう。

 情に厚いこの男は、仲間に対する情も、友情も、そして慕情も、どれ一つとして疎かにしたりしない。

 自分の中にあるどの情にも全力で、誠実なのだ。


「分かったわ。黙って見守るわよ。振られたら、自棄酒には付き合ってあげる」


「すまない、ありがとう」


 だけどできることなら、新しい恋人達の門出を祝う祝宴になりますように──と、ベルは心の中で願った。



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