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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【31】温かい靴下、ハッピーエンドの物語


 その日、最年少の見習い魔術師フィンは、蔵書室を目指していた。

 最近は長い文章をよく読めるようになった、とユリウスが褒めてくれたので、何か本を借りてみようと思ったのだ。

 褒められると嬉しい。だって、フィンはいつも家族から褒めてもらえなかったから。

 フィンの親も兄姉も、ことあるごとに「そんなものは見て覚えろ」という。だけどフィンは馬鹿だから、見て覚えることができなかった。

 一度訊いたことを二度訊こうものなら、どうしてお前はそんなに覚えが悪いのかと罵られる。

 だからフィンは、ユリウスに勉強を教わる時、分からないところが訊けず、黙り込んでしまうことが何度かあった。


 ──どうしよう、分からない。前にも同じところでつまずいて、ユリウスに質問をした気がする。それなのにまた同じことを訊いたら、ユリウスが気を悪くするのではないか。


 そうして訊くことができず、かといって自力で問題を解くこともできず、黙り込んでしまうフィンに、ユリウスはいつも静かな声で「何が分からない」と訊く。

 フィンがボソボソと「前に教わったとこ……」と答えると、ユリウスはクククと笑って、「なるほど、そこが苦手なのか」と繰り返し教えてくれた。


『オイラが馬鹿で、ごめんね……』


『クハハ、おかしなことを言う。真の愚者は思考を放棄した者だ。選択に悩む者は馬鹿ではない』


 その言葉が、フィンはとても嬉しかったのだ。

 それからコツコツと学び続けて、だいぶ文字を読めるようになってきた。これなら、本を一冊、最初から最後まで自力で読めるかもしれない。

 本を一冊読み終えたら、ユリウスに報告するのだ。ユリウスのおかげで、本が読めたよ、と。


(オイラが本を読めるようになったら……兄ちゃん達、すごく驚くだろうな……へへ)


 本を読める。それはとてもすごいことだ。本が読める者なんて、フィンの故郷では数えるほどしかいなかった。

 兄達の驚く顔を、ユリウスの満足そうな顔を想像したら、なんだか心がホカホカしてきた。

 フィンは第三の塔〈水泡〉に足を踏み入れた。

 第三の塔〈水泡〉は増設を繰り返した建物で、蔵書室は増設前からある塔の半分ぐらいを占めている。

 一階奥が第一図書室、二階が第二図書室、三階が第三図書室、それと地下蔵書室という構成になっており、見習いが使えるのは第一図書室のみである。

 稀少な本や、危険な魔導書等は、上の階か或いは地下に収蔵しているらしい。人間は大事なものほど、高いところか地下にしまいたがる。


(どうしよう、緊張してきた……)


 第一蔵書室の扉の前で、フィンは今更になって怖気付く。

 今までろくに文字も読めなかった、見習いの中の落ちこぼれが蔵書室なんて、分不相応だと思われないだろうか。

 やっぱりやめようか、と臆病な心に負けそうになった時、すぐ後ろで「フィン」と名を呼ぶ声があった。

 フワフワしたオレンジ色の髪を二つ結びにした、とんがり帽子の少女、ロスヴィータだ。


「良かった、探したのよ。あんたにあげようと思ったものがあって」


「オイラに?」


 ロスヴィータは「はい、これ」と紙袋を差し出した。

 フィンはおそるおそる受け取り、中身を確かめる。中身は靴下だ。


「嗜好品販売会で、たまにクジがあるでしょ? 品物一品プレゼントってのが当たったのよ。だけど、アタシのサイズに合わないからあげる」


「……いいの?」


 おずおずと訊ねるフィンに、ロスヴィータはニヤッと笑う。いつもすましている彼女にしては珍しい、親しみのある笑い方だ。


「アタシ達、『寝る時は靴下党』でしょ。最近、また一段と冷え込むようになってきたし」


 そういえば、そんな話をしたことがあった。随分前のことなのに、ロスヴィータは覚えていてくれたらしい。

 フィンは胸をムズムズさせながら、ロスヴィータを見上げた。


「ロスヴィータ、ありがとう」


「どういたしまして」


 就寝のスタイルについて盛り上がったのは、一体いつのことだったか。

 寝る時は全裸党のセビルとティアにレンが突っ込んだり、オリヴァーの抱き枕党発言にゾフィーが自分は違うと騒いだり……あの賑やかさが懐かしい。

 今は、セビル、レン、ティア、ルキエの四人がダーウォック奪還作戦に向かっている。また、見習い代表のエラが、手術のため、授業を休んでいた。

 なので、ここ最近の教室は随分静かで、少し寂しい。


「ところで、フィンがここに来るなんて珍しいわね」


 ロスヴィータの言葉に、フィンは「う……」と唸り、視線を泳がせた。


「……やっぱ、オイラが来るのはおかしい、よね」


「おかしいじゃなくて、珍しいって言ったのよ」


 フィンは貰った紙袋を抱きしめて、視線を足下に落とした。

 フィンはチビだから、そうしていると誰にも表情を見られずに済む。


「本を借りようと思ったんだけど……やっぱ、オイラじゃ場違いかなって……」


 フーーーーと鼻から長い息を吐く音が上の方で聞こえた。

 次の瞬間、フィンの視界にロスヴィータの顔がパッと現れる。ロスヴィータがフィンの目の前でしゃがみこんだのだ。

 ロスヴィータは折り曲げた膝の上で頬杖をついて、フィンを睨んだ。


「あんた、ダマーからアタシを庇った時も、魔法戦でも勇敢だったじゃない。なんで蔵書室ぐらいで萎縮してるのよ」


 勇敢。自分が。

 口を半開きにするフィンの前で、ロスヴィータはすっくと立ち上がった。つられてフィンも顔を上げる。ロスヴィータは胸を張り、自信たっぷりに宣言した。


「ここは魔術師のための〈楔の塔〉で、あんたはそこの見習い魔術師なのよ。本を借りて悪いはずがないでしょ! ほら、行くわよ!」


 ロスヴィータはフィンの手を引いて歩き出す。歩幅が違うので、フィンはつい早足になった。いけない。足がもつれる。


「ぎゃっ」


 転ぶフィンに、ロスヴィータがさぁっと青ざめる。


「ごめん……あんた、足が悪いんだったわね」


「だ、大丈夫だよ。これぐらい」


 自分は頑丈なだけが取り柄なのだ。この程度のことで、ロスヴィータに気を遣わせたくない。

 ロスヴィータは眉をギュムギュムと動かし、悔しそうな顔をした。


「アタシって、つくづく配慮が足りないんだって実感するわ。エラが重い物持てないことも、たまに忘れたりするし」


 エラは今、魔力放出が出来るように手術をしてもらったばかりだという。

 なんでも人は掌に魔力の出口があり、エラはそこが極端に狭く、魔力放出が上手くできずにいたのだとか。


「エラも大変だねぇ」


「でも、包帯が取れたら魔術が使えるようになるかもしれないのよ。それって、すごくワクワクするじゃない」


 確かに新しいことができるようになるのは、ワクワクする。その気持ちはすごくよく分かる。

 魔術が得意なロスヴィータは、いつも難しい魔術書ばかり借りているのだろう。だけど彼女は、一般書の方に足を向けた。蔵書室に不慣れなフィンを案内してくれたのだ。

 ロスヴィータは配慮が足りない、と落ち込むが、充分に優しいとフィンは思う。

 一般書の中でも、特に娯楽書を集めた本棚の前には、見覚えのある後ろ姿があった。肩の辺りまで伸びた黒髪に、左右一房ずつ紫色の髪──呪術師のゾフィーだ。

 ゾフィーは本を一冊手に取ると、真剣な顔で後ろの方のページをパラパラ捲っている。


「なんか……変な読み方してるわね」


 ロスヴィータの呟きが聞こえたのか、ゾフィーがパッと顔を上げた。

 ピンク色の目がぱっちりと丸くなっている。


「ロスヴィータとフィンじゃん、珍し〜。何借りに来たの?」


「オイラでも、読める本があるかなって、探しに来たんだ……」


 そう答えて、フィンは気になったことをおずおず訊ねる。


「ゾフィーは、なんで後ろから読むの?」


「借りる前に、この本の終わり方がハッピーエンドか確かめてたの」


 これに「はぁ?」と否定的な声をあげたのはロスヴィータだ。

 ロスヴィータは眉根を寄せて、理解できないという顔をしている。


「本は最初から読むものでしょ。先にオチを知ったら勿体無いじゃない」


「あたしは安心感が欲しいの! 主人公がこれでもかってぐらい愛されて、幸せになる話じゃなきゃヤダ! 仲間が死ぬのもヤダ! 感情移入しまくったキャラクターが死んじゃったら、一ヶ月は落ち込むんだから!」


 それは大変だ。読書というのはフィンが思っていた以上に、心が大変な行為であるらしい。

 ゾフィーはロスヴィータに心が抉られた作品群をツラツラと語っていたが、フィンを見ると途端にお姉さんぶった態度で言う。


「そうだ、フィンが借りる本、ゾフィーちゃんが選んであげる! 約束されたハッピーエンドの話を!」


「その時点でネタバレじゃない」


 すかさずロスヴィータからツッコミが入った。

 ゾフィーは唇を尖らせ、本棚と向き合う。


「このぐらいは許してよぉ〜。オチは言わないからさぁ……あ、これこれ」


 ゾフィーは本棚の下段にある本を手に取った。少し文字が大きめの、読みやすそうな本だ。

 どうやら子ども向けの冒険譚らしい。


「これねぇ、主人公がちょっとフィンに似てるんだよぉ」


「オイラに……?」


 じゃあ、臆病でグズで役立たずなんだろうな。とフィンは思った。

 そんなフィンに、ゾフィーはニヒヒと笑いながら言う。


「すっごく頑張り屋の良い子で〜、仲間想いで勇気があって〜、途中ハラハラする展開になるんだけど、みんなで力を合わせて試練を乗り越えて、最後はハッピーエンドに……」


「だからネタバレしてんじゃない」


「あ」


 ゾフィーが己の口に手を当てた。

 フィンはゾフィーの手の中にある本をじっと見つめる。

 ロスヴィータはネタバレだと言うけれど、ゾフィーの楽しそうな紹介を聞いていたら、その作り話に触れてみたくなった。


「オイラ、これ借りてみる」


「読み終わったら感想聞かせてよ。あたしねぇ、この主人公の友達君がカッコ良くて好きなんだぁ〜」


「だからネタバレ」


「あ」


 ゾフィーとロスヴィータのやり取りに笑いながら、フィンは靴下の紙袋と本をギュッと抱きしめる。

 今夜はこの温かい靴下をはいて、ハッピーエンドが約束された本を読むのだ。


(この本を読み終わったら、ユリウスに教えるんだ。ユリウスのおかげで、本を一冊読みきれたよ、って)






 ──ユリウスが反逆の罪で投獄されたと見習い達が知らされるのは、その翌日のことだった。



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