5 結婚に対する見解の相違がありまして(1)
カトルカールとの婚約を破棄したのならば。
早く他の誰かと結婚の約束をしなければ。
そんな想いが、強迫観念のようにセレスの胸の奥に巣くう。
『誰とも恋をしない』
そう約束したセレスが考える「恋をしない方法」とは、愛情の介在しない政略結婚によって、さっさと身を固めてしまうというものだったから。
しかし。
王位継承権のある王女であった以前ならばともかく、一介の女官に成り下がったセレスと結婚をしたい男など、そうそういないのが実情である。
「はあ」
とため息を零し零し、セレスは目的地に向かって、てくてくと歩いて行く。この区域は、王宮内のように「元王女」であるセレスを扱いあぐねるような気配はなく、居心地は上々だ。
なお、この区域というのは研究院の敷地のことである。王宮の端に位置するそれは、国の支援を受けながら魔法の研究にいそしむ者たちの聖域であった。
元々セレスは王女であり研究者でもあった。そのためクーデター後「王宮で侍女として働いても良い」というノエルの恩情を逆手に取り、それならば「研究者として国に貢献します」と宣言して、この研究院に身を寄せるつもりであった。だが、結局その計画はご破算となり、相変わらず窮屈な王宮住まいを続ける羽目に陥っている。
しかも、ノエル付きの女官として。
セレスティーナからすれば、
(何で?)
と現在の展開について、いまだ全く納得できていない状況である。
しかも。
ノエル付きの女官という役目を命じた当の本人が、あれ以来、何も言ってこないのが不気味だ。「こき使う」と言っていた割には、仕事すら言いつけてこないのである。
これでは、セレスティーナがただで居座っているようなものではないか。要するにそれは「穀潰し」であり、とても肩身が狭い。
そういうわけで、セレスはセレスなりに、女官として自分に何ができるのかと思案した結果、取りあえずノエルの私室の掃除から始めることにしたのだが、ほうきを持った瞬間、
『掃除は、専門の者がする』
と一蹴され、更に手持ちぶさたになってしまったセレスである。
何もすることがない、というのも多大に苦痛であった。そんなセレスの心境を慮ってか、ふとノエルが言い出した。
『ああ、そうだ。俺が執務に出ている間くらいなら、研究室に行っても構わないぞ』
と。
先にも述べたとおり、セレスは研究者という側面を持っている。やはり王女たるもの、何か一つくらいは秀でたものがなければ人々の歓心は得られないだろう、という持論の元、彼女はその道を選んだ。
……とはいえ、あまり一般的なものであれば、第一人者になることはできない、とそう冷静に判断した彼女に、かつて例の大魔術師が提案したのが、これである。
『結界学はどうだろう』
結界学とは、その名のとおり結界という魔法について学ぶ学問である。
通常、魔法の研究といえば実戦重視だが、結界学に関しては学問ありき、であった。その陣が成立した過去の経緯を解釈し云々、といった学ぶ内容の細かい部分は今は省略するとして。
要は結界学とは暗記が勝負の学問であった。
そのような研究であるため、当然、純然たる研究者の意欲をそそるような学問ではない。
また、呪文魔法等とは違って結界魔法は、使用したい時に使用できるものではなく、あらかじめ陣を描き、その中に相手を誘導しなければならない、という手間もかかる。つまり実戦にも不向きなのだ。
ただし、それゆえに研究人口が低い。
そういった点に、セレスと大魔術師……名をキルシュというのだが……は目を付けたのである。
☆
「結界学なら、凡人の君でも、努力次第で優秀な研究者になれるだろうね。特に結界学が廃れているこの国では」
周囲に舐められないためにも、ただ一つで良い、何か秀でたものが欲しいと口にしたセレスに対し、黒髪の少年は当時、そう告げた。しかし、セレスは相変わらず渋い顔をしたまま唸る。
「確かに理論上はそうかもしれないけど……でも、廃れているってことは、先達もいないってことよね? 独学で学ぶのは、正直な話、無理だわ」
それは、行動する前から諦めているわけではなく、客観的に自分の実力及び周囲の状況を鑑みて得た結論だ。師もいなければ、専門書もない。そのような状況から、一体どのようにしてひとかどの研究者になれるというのか。
すると少年は呆れたように肩を竦めた。
「君の頭は飾り物か?」
先ほどから凡人だの飾り物だの、ある意味カトルカールより辛辣な言葉の数々に、セレスはむうと口を尖らせる。
しかし。
「……君には僕がいるだろう」
続く言葉は、セレスが予想だにしなかったものだった。
「……えっ?」
天地がひっくり返ったかのように驚くセレスに対し、キルシュは白い目を向けた。
「……そんなに驚くようなことなのか?」
キルシュが大魔術師である以上、優秀な講師でもあることに間違いはない。もちろん、そのような事はセレスも最初から理解している。それでいながら、キルシュがセレスに結界学の指導をするという考えに至らなかった事については、明瞭な理由がある。ゆえに馬鹿にされるのは理不尽であり、セレスは反論した。
「だってキルシュって、私の命を守る時と、カトルカールやお父様に報復をする時くらいしか、積極的に働かないじゃない」
目の前の少年は、かなり気難しく扱いづらい気性の持ち主だ。彼とセレスの関係は契約によって結ばれており、彼はその契約を忠実に守っているが、裏を返せば、まさにその契約にしか従わないのである。
セレスの非難に対し、キルシュは涼しげな顔で返した。
「無駄な労力は費やさない主義なんだ」
つまらなそうに軽く首を竦めたキルシュに対して、
(それこそ才能の浪費よね。……私だったら、その溢れんばかりの才能を有用に使うのに……)
とセレスは心の中で毒づく。そんな彼女をしり目に、キルシュは腕を組み「カトルカールか……」と呟きながら、これ見よがしに大きなため息を一つ吐き出した。
「それにしても、君がまたどうして、あんな奴を選んだのか、いまだに理解に苦しむね」
「キルシュが、好きな人以外と結婚しろって言ったでしょ!」
第一王女という命の危険にさらされる可能性が高い地位にいながら、妹姫らを溺愛する父親の陰謀で身辺警護の一人も与えられていなかったセレスにとって、この強大な力を持つキルシュの存在は、自らの身を守るためにも必要不可欠であった。
だからこそ、セレスはキルシュの言葉を忠実に守るため、彼の言葉を実行したのだ。
絶対に好きになりそうにもない相手と婚約するというのは、
(すごく理にかなっていたと思うんだけど)
とそう思うセレスは、この選択について文句を言われる筋合いを感じないのである。
しかし語気荒いセレスに対し、キルシュはあくまで冷静だ。彼は事実は事実として認め、その上で正直な感想を吐露するだけであった。
「確かに言ったけどね……それを差し引いても趣味が悪い」
自分の言動は棚に上げて、そう言い切ったキルシュにセレスが一瞬殺意を覚えたとしても、無理はないだろう。
☆
とにもかくにも。
そうしてセレスは、大魔術師キルシュの気まぐれな好意による鬼の如き詰め込み教育によって、結界学というマイナーな学問を見事マスターした次第である。




