最終話 貴方と進むこの道を
カーテンを開けると、朝の爽やかな太陽の光が差し込んで来る。
その日は旅立ちに相応しく、早朝にもかかわらず、よく晴れ渡っていた。
「準備はできた?」
そう尋ねてくるキルシュは、全くの手ぶらである。
彼の考えによれば、路銀を道中で稼ぎ、必要なものは都度購入した方がいいだろう、とのことだ。確かにキルシュの魔法の腕があれば、十分現実的な計画だろう。なお、移動の魔法は、セレスを連れて長距離移動することが難しいらしいので、今回は要所でのみ使用する予定だ。
さて、一方のセレスは、持ち物の取捨選択に苦慮していた。主に妹たちとの思い出の品と……研究に研究を重ねた結界符の数々について、である。
どれも、それぞれに思い入れがあるのだが。
「家族の思い出の品はともかく、結界符は、また作ればいいだろう? ……そうだな。これと、これと、これ以外はいらない」
というキルシュの容赦ない断捨離によって、大半を泣く泣く諦めざるを得なかった。
やがて、旅立ちの準備を終えると、キルシュはセレスに手を差し伸べた。
「じゃあ、行こうか」
目指す場所はキルシュの故郷、リンツァーである。なんと言ってもその国は膨大な魔法の知識を有している。呪いの解除の方法も見つかるかもしれない。
が、それ以上に。
「多分、あの呪いは、リンツァー国内では発動しないと思います」
というファーの助言が決め手である。
呪いの元となる契約はあくまで「リンツァー国外」で魔法を使用することに関係するものであるから、というのが彼の弁である。ちなみにキルシュも同意見のようだ。
細かい理屈は、魔法使いではない自分には分からない。しかし、
「安心していいと思うよ」
というキルシュの言葉を信頼したいと思う。
(それに……)
危機感がないような気もするが、キルシュの故郷でしばらくのんびり暮らすのも、悪くはないのではなかろうか。
(この国を離れるのは、少し寂しいけれど……)
そうしてセレスは家族の今後に思いを馳せた。
☆
元国王。
彼はどうやら、パルミエと魔力の融通契約を交わしていたようだ。
強大な力を持つパルミエの力を、いずれは我が物に、とでも思って契約に乗ってしまったのだろう。しかし、彼がパルミエに対して信頼を置くわけでもなかった。
つまり「契約不履行」によって懲罰的な魔力に侵食された元国王は、いまだ意識を取り戻していない。
辺境の療養地で、ただミモザが一人、献身的な介助をしているらしい。ただし、仮に意識を取り戻したとしても、今までどおり自立して生活することはできないとのことだ。
「まあ、今までのことを考えると自業自得なのでしょうけど……私くらいは側にいてあげても良いのかしらって思って」
そして彼女はこう付け加えた。
「お父様がはた迷惑な存在であったことは分かっていますの」
でも、私には優しい父親でしたから、見捨てることができない。そうミモザは続けた。
けれど決して治すつもりはなく、ただ側にいるだけ、とそう言って、寂しげに微笑んでいた。
パントジェーヌとレアは、王立の魔法学校へ通いはじめている。いつも口げんかばかりしている二人だが、毎日一緒に登校して、図書館で勉強しているらしい。
(本当は仲が良いのよね)
二人で成績を競い合っているようで、いつもどちらかがギリギリと歯ぎしりをしているらしい。
なお、彼女たちの抜群の成績せいで、周囲も頑張らざるを得なくなっており、学校のレベルも随分と底上げされているようだ。
妹たちは、セレスが思っていた以上にしっかりしているので、自分たちの決めた道を自分たちの方法で、真っ直ぐに進んでいくことだろう。
そう確信できる妹たちを持ったことを、セレスは改めて誇りに思った。
☆
そうして。
最低限の荷物を抱え、早朝、城を発とうとしたセレスは、その光景を見て、
「……あ」
と声を上げた後、思わず絶句した。隣に立つキルシュも、似たような反応である。
「どうして……」
誰にも出発日を告げていなかったにもかかわらず、皆揃っている。
……何故かカトルカールまで見送りの中に入っている。隣にはクーロンヌがいるので、無理矢理、引っ張ってこられたのだろうか。
セレスが呆然と立ちすくんでいると、レアがぷうと頬を膨らませながら言った。
「セレスお姉さま、みずくさい」
その言葉を追いかけるように、彼女の隣に立っていたパントジェーヌが口を開く。
「そうですわ。わたくしたち姉妹にまで何を言わずに出発しようとするだなんて」
非難半分、寂しさ半分。そんな複雑な表情で、パントジェーヌがレアの言葉を継いだ。その横では、ブランが苦笑しながら立っている。
そんな妹たちの抗議の声に、セレスは少しばかりたじろぎながら、言い訳を紡ぐ。
「そんな、今生の別れというわけじゃないんだし」
すると。
「でも、しばらく、あえない……」
そう呟いて伏し目で俯いてしまった末の妹の姿に、セレスはうっと言葉に詰まる。しょんぼりと肩を落とすレアを、どう慰めようかと考えたその時、
「二人とも、セレスを困らせてはいけないな」
と声をかける者がいた。
「ノエル…・…」
その名を呼ぶと、彼は「任せろ」と言うように、目配せし、そして続けた。
「セレスたちが旅立つことは、既に決まっていたことだ。それが早くなった、それだけのことだろう?」
言いながら、彼は視線をちらとセレスの左手首に向けた。
服の袖で隠れてはいるが、そこにはものものしい結界符や護符が幾重にも巻き付けられているのである。そこまでしても、鈍い痛みが続いている。
セレスの状態を改めて突き付けられた二人は、
「ごめんなさい。私たち……」
「ちゃんと、笑顔でお見送りしようって思っていたのに……」
と口々に反省の言葉を述べるので、セレスは思いきり首を横に振って彼女たちの言葉を否定した。
「ううん、やっぱり貴女たちから見送ってもらって嬉しいって思った。来てくれて嬉しいわ」
すると妹たちは、花が綻ぶように笑って、セレスに抱きついてきたのだった。
レアとパントジェーヌを受け止めたセレスは、その視界の端で、キルシュとノエルが対峙している姿が見えた。
「ノエル。ご……」
恐らくキルシュが「ごめん」と謝ろうとした言葉はしかし、
「謝るな」
というノエルの言葉に遮られた。意表を突かれたかのようにびっくりと目を丸くするキルシュに対し、ノエルは軽く鼻を鳴らすと、にやりと笑った。
「お前、何か勘違いしていないか?」
そして一拍置いた後、こう続けた。
「誰が諦めるって言ったか?」
「え?」
聞き返すキルシュに、しかしノエルはそれ以上答えず、ひらひらと軽く手を振った。それが彼の別れの挨拶なのだろう。
ノエルの態度に釈然としないものを感じたらしきキルシュは、つかつかとセレスの元へ歩いてくると、ぎゅっとその手を取った。
「じゃあ、行こうか」
と。
……どうやら、早くこの場を離れたくなったらしい。
セレスは苦笑しながら妹たちから離れる。
いよいよ別れの時が間近に迫ったことを察した妹たちは、
「はやく戻ってきてね」
「待っていますわ」
と口々に告げる。
セレスは力強く頷くと、最後に一言、別れの言葉を告げた。
「じゃあ、またね!」
絶対に呪いを解いて帰ってくるから。その想いを込めて手を振った。
不安もある。
けれど、その何倍もの期待に胸を膨らませ、セレスはキルシュを手を繋いだまま、リンツァーという未知の世界を目指し、一歩足を踏み出した。
END




