14 精霊界の困った人々(3)
しかし、精霊である自分たちが「何も変わらない」という考えは、単なる固定観念だったと気づかされたのは、どんなことにも興味を持たず怠惰に過ごしていたはずのキルシュの行動に他ならなかった。
それは、いつものように暇を持て余したファーが、やはり、いつものように水鏡でも見て時間をつぶそうと、キルシュの家を訪れた時に起こった。
(おや?)
キルシュの敷地に足を踏み入れ、水鏡の間に入った瞬間、すぐにいつもと違う様子に気が付いた。
普段ソファに寝転がって本を読んでいる姿しか見たことのないキルシュが、立ち上がって、水鏡を見ていたのである。
今まで、外界を映す水鏡などに興味を見せたことのない彼は、しかし今は食い入るようにそれを見つめている。
ファーは、来訪者にも気付かない程、水鏡に集中している家主の隣に立って、彼の視線の先を覗いた。
そして、見る。
水鏡が映し出しているものは、殺気に満ちた屈強な男たちに囲まれ、今にも命運が尽きそうな、哀しい眼差しの少女である。
……確かにその少女からは、自分たち精霊の興味を惹き付けるだけの魔力のキャパシティを感じる。彼女なら、精霊との契約に耐えうるだろう、と。
しかし、それ以上でもそれ以下でもないように思われた。何故ならキルシュは、自分たちとは違って外界に対する憧れがない。ゆえに、すぐにこの少女への興味も失われるだろう。
そう思ったファーだったが。
「何が、そんなに哀しいの……?」
彼は夢に浮かされたように、そう口ずさむ。
その後、キルシュはまるで、何かに魅入られたかのように、ゆっくりと水鏡に手を伸ばした。
「キルシュ様?」
その挙動を不審に思い声をかけたが、彼の心はここにあらずといった様子だった。
彼の手が水面に触れ、そこから波紋が広がる。
やがて。
彼は頭からその水鏡の中に身を滑り込ませ、そのまま姿を消した。
「キルシュ様!」
もう一度名を呼ぶが、返ってくる言葉はない。
ただ静まり返った部屋は、ファー以外の気配はない。
そしてキルシュはこの国から姿を消したのだった。
☆
当時のことを思い出しながらも、自分たち精霊の生態を、人が完全に理解できるとは思えないファーは、公開しても差し支えない程度の知識を披露してお茶を濁す。
「実は私たち、誰とでも契約できるわけではないんですよ」
「そうなの?」
セレスティーナが、ぱちりと目を瞬かせる。どうやらキルシュから説明されていなかったようだ。
「そうなんです。貴女には、精霊との契約に耐えうる、とても強いキャパシティがある」
その言葉に、セレスが目を輝かせる。しかし、
「だからといって、魔法使いとしての素養があるかと言えば、違うんですけどね」
と続ければ、彼女はがっかりしたように肩を落とした。彼女にはファーの言わんとせんことが分かったのだろう。魔力を持つことと、使いこなすことは、異なる素養が必要だということだ。
「そんなっ、私の魔力だけが目当てだったのね! ……とか言わないんですか?」
ファーが裏声を使って演じると、セレスに白い目で見られ、冷静に返された。
「……言わない」
そんな特段内容もない会話を交わしながら、ファーはふと思う。
キルシュは「契約だからセレスの言葉を守らなければならない」と言っているが、契約者に従わなければならない、などという制約はないし、仮にそうだとしても、自分たちなら契約者を魔法で意のままに操ることくらい、容易なことだ。
(そんなこと、彼が知らないはずはないのに)
つまり彼はただ、セレスの望みを叶えてあげたいだけなのだ。とても純粋な気持ちで。
それが何と呼ばれる感情か、彼は自覚しているのだろうか。
ファーは、何気ない普段の会話を続けているキルシュとセレスの姿を眺める。リンツァーにいるころ、誰が話しかけてもほとんど本から視線を上げることのなかったキルシュは今、穏やかな瞳でセレスの言葉に相槌を打っている。
そのまなざしは、あの日から一人の少女だけに向けられている。
キルシュが抱くその想い。それはきっと「恋」と呼ばれる、とても人間らしい感情だろう。




