9 寂しさの共鳴(5)
光に包まれると同時に、ふわりと温かく優しい感触がした。
それが誰かの腕のぬくもりであると気付いたのは、光がセレスのすぐ側で収束し、消え去った後のことであった。
(私……生きてる……?)
セレスはまず自分の両手を動かし、顔の前まで持ってきてみた。不思議なことに、あれ程の光に包まれたにもかかわらず、目は全く眩んでいなかった。
いや、それどころか、つい先程、自分は崖から落下したはずであるのに、元の高さ――最初の位置に戻ってきている。
狐に摘まれたような気分で、セレスは自分の体を抱き上げている人物を仰ぎ見た。
(……誰?)
セレスと同じ年か、一つ二つ上といったところだろうか。見知らぬ顔である。
しかし、王城という綺麗どころが大勢いる世界に住んでいるセレスですら、今までに見たこともないくらい、綺麗な顔立ちをした少年だった。
神秘的な漆黒の髪、どこか憂いを帯びたかのように軽く伏せられた謎めく漆黒の瞳。どこもかしこも整いすぎる程に整っており、人間離れしていると表現しても過言ではない。
……先程まで暗殺者に追いかけられていた。そして今は、この上なく綺麗な少年の腕に抱き上げられている。
あまりの展開の早さに頭がついて行けず、セレスはぽかんと口を半開きしたまま少年を凝視していた。
だがやがて、はっと我に返るなり、まず自分がすべき事を思い出す。
「あの……ありがとう」
状況から察するに、彼は自分を助けてくれたのだろう。礼の言葉を述べると、少年はどう反応すべきかというふうに一瞬戸惑った様子を見せた後、
「……どういたしまして」
と当たり障りのない答えを返してきた。
一方で、思わぬ伏兵の存在に暗殺者たちの統率が乱れた。
「貴様……王女の護衛か?」
「聞いてないぞ!?」
暗殺者らは狼狽える。そこではじめて、セレスは自分を追っていた暗殺者が四人であったことを知った。無力な子供を殺すために、四人もの刺客を差し向ける王のえげつなさと周到さが窺える。
(こういうことにだけは、そつがないのね)
セレスは感心にも近い気持ちで侮蔑の念を抱く。
一方で、突然の伏兵に動揺する暗殺者たちを、リーダーらしき男が一喝する。
「何びびってやがる。魔法使いとはいえ、こんななまっちろい、ひ弱なガキに何ができるってんだ。王女もろとも殺せ!」
その声に、暗殺者及びセレスは我に返った。下っ端の暗殺者たちは、小童など恐るるに足らずと自信を取り戻し、再び獲物を捕る体勢を整える。
「だ、だめ!」
望まぬ展開に、セレスは制止の声を上げた。
「この子は何も関係ない!」
暗殺者に向けてそう叫んだ後、少年の腕から逃れようと身を捩る。すると少年は少しばかり慌てた様子で、
「暴れると落ちるよ」
とセレスを抱きかかえる腕の力を更に強くした。それに対して、セレスはふるふると首を横に振り、ひたと少年の瞳を見つめ、自らの考えを一息に告げた。
「助けてくれて、本当に嬉しい。でも……降ろしてくれていいの。私のことを置いて逃げて。あなた、魔法使いなんでしょう? 一人だったらきっと逃げられるから。変なことに巻き込んでしまって、ごめんなさい」
セレスの言葉を聞いた少年は、驚いたような眼差しでセレスを見つめ返した。
「僕が君を置いていったら、君はすぐに殺されてしまうよ」
非常に的を射た意見である。セレスは一瞬だけ言葉に詰まったが、やがて静かに頷いた。
「私は……死んでも仕方ないの。弱いから」
セレスは軽く目を伏せる。とても辛く悲しいことだったが、それが現実だった。
「ここで生き延びたとしても、また同じ事が繰り返される。世の中って所詮、弱肉強食なの。権力者に疎まれて、自分を守る術を持たない私は、いずれは殺される」
すると、
「それはそうだね」
と少年はあっさりセレスの意見に同意した。が、次の瞬間には、おどけたように軽く肩を竦める。
「でも、大人に数人がかりで来られたら子供はひとたまりもないっていうのは、どうしようもないことだろう? ……自分が弱いことを、そこまで卑下することもないと思うけど」
台詞だけを見ると一見慰めのようだが、少年の口調は淡々としており、むしろ事実をそのまま告げているといった調子である。そこに労りらしき響きはない。
この少年は一体何を考えているのだろう。少年の真意が全く掴めないままに、セレスは言葉を継いだ。
「だけど私は王女なの」
セレスの格好はすっかり泥にまみれており、とてもではないが「お姫様」というような様相ではなかった。しかし暗殺者が「王女」という言葉を発していたためだろうか、
「そうみたいだね」
と少年は疑うこともなく頷いた。少年の相槌を確認したセレスは、さらに続ける。
「そう。だから国民や、他の国のお客様を守る義務があるわ。強くなければ駄目なの」
「……そう?」
少年は、やや理解に苦しむといった表情を見せる。しかし今のセレスに、少年の理解を得るために費やす時間はなかった。一刻も早く、この少年に避難してもらいたかったのだ。
「だから、せめて、無関係なあなたを危険な目に遭わせたくない」
それは王女としての矜持だった。せめて死に際には美しくありたいと。助かる見込みのない自分のために、人一人の命を失わせるような愚は犯したくないと。
しかし時は無情で、決して待ってはくれない。
「何、ごちゃごちゃ喋ってやがる!」
暗殺者たちは業を煮やし、地面を蹴った。狙いはやはり仕留めやすそうなセレスである。彼らは手を伸ばし、セレスの腕を掴もうとした。
しかし、あとほんの少しでセレスの体に手が届くという間際になって、少年が低い威嚇の声を出した。
「気安く触るな」
ぱしっと無下に暗殺者の手を振り払う。そして少年は、まるで汚いものにでも触れたかのような嫌悪の表情を浮かべた。その見下す視線にさらされた下っ端の暗殺者たちは、一気にかっと頭に血を上らせる。
「舐めんなよ!」
短く怒鳴り、暗殺者たちは一斉に飛びかかってきた。しかし、
「舐めてるのは、そっち」
と返した少年は、セレスを抱きかかえたまま数歩分、後ろに退く。その後、指をぱちんと軽く鳴らした。刹那。
跳躍した暗殺者たちの足下――着地地点が消えた。
「なっ……!」
暗殺者たちは狼狽しながらも、持ち前の反射神経で着地場所をずらそうと試みる。しかし、すぐにその顔は恐怖に歪んだ。
「ひ……」
どろりとぬめった黒い手が底なしの窪みから何本も這い出てき、暗殺者たちの足を掴んでいた。
それを皮切りに、次々と無数の手が奈落から伸びてきて、男たちの体を絡め取る。やがて彼らは、不気味な手に口を塞がれ悲鳴を上げることすら叶わなくなった。
……刺客たちの体は、為す術もなく深淵へと引きずり込まれていく。少年はその様子をちらと確認した後、残る男に醒めた視線を向けた。
「僕は、内臓をぶちまけたりとか、そういうの、嫌いなんだ。痛みを長引かせてやろうとかそういう嗜虐趣味はないから、安心していいよ」
綺麗な顔が、暗殺者の頭に対する死刑の執行を宣告する。
少年の頭の中には、自分が暗殺者の凶刃に倒れるという筋書きなど、一切ないようだ。しかし、それが油断でも慢心でもないことを、セレスも暗殺者も、本能的に察していた。手練れの暗殺者たちをいともたやすく始末したこの少年には、それだけの力があるのだと。
「お前……何者だ」
十かそこらのあどけなさの残る少年。
しかし、決して外見だけでその能力を判断してはならなかったのだと、残された暗殺者は遅まきながら気付いたらしい。懐から抜き出したダガーを片手に、じりっと一歩後ずさる。そこに最早、油断はない。
一方少年は、目の前に立っている暗殺者が武器を構えても意に介す様子はない。空手で、一見無防備にすら見えるほどだ。
「何者、ね」
そして軽く首を竦め、そして答えた。
「出身国はリンツァーと言えば分かるかな」
リンツァー。その単語を聞き、セレスは息を呑んだ。それは有名すぎるほどに有名な国の名だった。少なくとも、シュトーレンのように魔法の盛んな国で、知らない者はいないだろう。
「人は僕らのことを、精霊と呼ぶよ」
にこり、と少年は場違いなほど華やかに微笑んだ。対照的に、一人残った暗殺者は少年が放った事実に、顔面蒼白になった。




