9 寂しさの共鳴(3)
出会い頭に「渋い顔をしている」と指摘されたセレスは、慌てて頬を押さえ、口角を心持ち上げる。
「私、そんなに難しい顔をしていましたか?」
「すごく」
てらいなくクーロンヌは答えた。目の前の人物は、無責任に気休めを放つ類いの人間ではない。それと同時に、
「もしかすると他の者には分からないかもしれないが、私には分かる」
などという台詞を照れもせずに言うことができる人種でもあった。
「他の誰より、貴女のことを見ているからね」
他の男が口にすれば、ぞぞっと全身に怖気が走るような気障な台詞も、この若者から飛び出せばさまになる。
(惜しいなあ)
とセレスは、城に勤める女官の誰もが抱く感想を持つ。
何故、この人が「女」なのだろうか、と。
(これが男だったら、絶対にときめく)
このクーロンヌという女性は、いわゆる「男装の麗人」であった。
その凛々しい立ち振る舞い、中性的な美しい顔立ち、明晰な頭脳、抜群の運動神経、由緒ある家柄。そのどれを取っても隙一つない女性である。それゆえに城の内外問わず、夢見る女性たちの憧れの的でもあった。
噂によれば「クーロンヌ様を陰日向に見守る会」のようなものが存在し、会誌なども発行されているとのことだ。
しかしセレスには、それ程まで人の心を惹きつける人物が、何故自分と懇意にしてくれるのか、その理由が分からない。どうして、彼女ほどの人間が「旧王妃派」に名を連ねているのだろうかと。
しかしそれは、今考えても仕方のないことだ。だからセレスは、渋面の理由を素直に述べた。
「私、ノエルに振られてしまったんです」
「……なるほど」
セレスの言葉の意味……つまり政略的な婚約を持ちかけたが断られたということだが……を、クーロンヌはすぐに理解したようだ。
彼女は眉間に皺を寄せ、ノエルに対して毒づいた。
「まったく見る目のない男だね。後で絶対に後悔するよ」
それは流石に買いかぶりすぎだろう、とセレスは思う。ノエルが先々、自分と婚約しておかなかったことを後悔する姿など、想像すらできない。
(むしろ、私が凄く没落している惨めな姿なら想像できるけど)
自虐的だが、ある意味最も可能性の高い未来の形である。
「不慮の事故」で死亡している自分。もしくは寵姫派に取って代わられ、政治犯を収容する牢へ入れられた自分。
……思い返せば、今の王の代になって、極端に政治犯が増えたらしい。実際には「政治犯が増えた」のではなく「政治犯として投獄された人間」が増えたということだろうが。
そのような、お先真っ暗と言っても過言ではない未来を思い描いていたセレスの暗い表情に気付いたのか、クーロンヌはさりげなく話題を逸らした。
「家柄から言えば私の弟が釣り合うのだろうけれど、あれは何分、ヘタレだからなぁ」
クーロンヌは悩ましげな溜息を漏らした。一方セレスは、クーロンヌの弟と聞いて、カトルカールという名の少年を思い出す。
彼女ら一族は傑物を輩出する実力派の家系である。――ただし、女性に限るのだが。
一方、男達は女達の影に隠れ、存在感は限りなく薄い。セレスの記憶の中でも、クーロンヌの母親の容貌は思い描けるが、父親の姿はどうしても思い出すことができない。
しかし、カトルカールという少年は、かの家系の男子でありながら、決して目立たないわけではなく、一風変わった存在感を放っていた。
たとえば根拠のない自信。
たとえば意味不明なほどに精霊に傾倒しているところ。
たとえば、絶対に敵わないと思われる相手にでも、無謀に向かって行き見事な玉砕を繰りかえす学習能力のなさ。
ああなりたい、などとは、さらさら思わないが、それでもあの鋼の精神力、打たれ強さには感服すると同時に尊敬する。
確かに自分のような人間には、ああいう性質の人間が意外と合うのかもしれない、と思わないこともない。しかし。
(どちらにしても、私が無事に戻ってくることができたら、の話だけど)
その可能性は決して高くないが、それでも、もし城に再び戻ってくることができたならば、一度カトルカールと接触してみよう、とセレスティーナが考えていると、
「確かに我が弟は、ノエルに比べ個人の力量が不足している。が、それを補うだけの力が我が家にはあります。……正直なところ胸を張ってお勧めできる相手ではないが、貴女の後ろ盾になる、という側面では役に立つでしょう。是非ご一考いただきたい」
とクーロンヌは真剣な眼差しをセレスに向け、胸に手を当て深々と頭を下げた。それは、この提案が決して社交辞令ではないことを意味している。やがて彼女は顔を上げると、
「貴女が義妹というのも悪くない」
と豪快に笑った。同様に、セレスも思う。彼女が義姉というのも、悪くないと。
(それにしても……)
クーロンヌは、弟カトルカールを大概こき下ろすが、それでも彼女が彼を語る時の眼差しは穏やかだ。
優しくて温かな家族。それはセレスが「絶対に手に入らない」と知りつつも求めてやまないものだった。けれど。
(たとえクーロンヌが私の姉になってくれたとしても……やっぱり彼女の一番は、私じゃない)
家族でも恋人でもなく、さりとて親友という関係を築くには年が離れすぎており、立場も違う。そう思うと寂しさで胸が詰まった。
「クーロンヌ」
我知らず、声が震えた。そして、
「私のことを一番に考えてくれる人が、いずれ現れてくれるのでしょうか」
と思わず零してしまい、セレスははっと口を押さえた。振り子のようにぶんぶんと首を左右に振って自分の気持ちを引き締める。
妙に弱っている自分に、唾棄したい思いだった。
「今の、聞かなかったことにしてください」
しかしクーロンヌは決してセレスを嘲笑したりはしなかった。彼女はその手をセレスの頭の上に優しく置くと、
「現れるさ」
と微笑んだ。
(そんな人、いない)
親からも愛されなかった自分を一番に想ってくれる人なんていない、そう思うけれど。
クーロンヌの笑顔があまりに優しくて、ふと涙腺が緩みそうになる。
けれど、たとえ旧王妃派の同士であっても、必要以上に弱みを見せるわけにはいかない。彼らは「強い第一王女」を望んでおり、それに応えることこそが私の役目だ、と自分を叱咤して、セレスは無理矢理、嗚咽を飲み込んだ。




