tea time 2 セレス・ファミリー
「……なあ」
「どうしたんだい? ノエル」
白い目を向けるノエルに対し、キルシュはすっとぼけた表情を見せた。聡い彼が、ノエルの言わんとしている事を理解していないはずがない。にもかかわらず、彼は知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
ノエルのこめかみに青筋が走った。
「何でお前が当然のようにここにいるんだ」
苛立ったノエルの声にも、キルシュは軽く首を竦めるだけだ。
「僕の部屋はセレスの部屋の隣だ。つまりセレスの部屋の隣であるここが僕の部屋。単純明快だろう?」
さて、ここはノエルの私室である。
王となった彼の私室に立ち入ることができる者は、限られているはずである。しかし実際そこは千客万来、セレスとレアはともかく、招かれざる客キルシュまで居座っているとは何事だろうか。
しかも、他の誰よりもキルシュが寛いでいる様子であった。
来客用のソファに腰掛け、侍女に持って来させた紅茶を優雅に啜っている。
その姿は、実際の王であるノエルや、元王女であるセレス・レアすら顔負けするほど、王族らしい鷹揚さだ。
憎々しいほど泰然自若としているキルシュを前に、ノエルは両手でテーブルを叩いた。
「お前、まさかここに居座るつもりじゃないだろうな!?」
心底御免こうむりたい事態であるが、その場から動きそうにもない相手の様子から鑑みるに「絶対ありえない」とは断定できない。くつろぎ具合、傍若無人さ。どれを取っても、彼こそがこの部屋の主のようである。
「え? 貴方達、今から二人でここで暮らすわけ?」
こちらも勝手知ったる人の部屋という様子で、ノエルの書庫を漁り「精霊の弱みを握る方法」というタイトルの本を手に取って、ぱらぱらと流し読みをしていたセレスが、ノエルの言葉を受けてやや引き気味に尋ねた。
一方、セレスの横から本をのぞき見していたレアは、
「嫌よ嫌よもすきのうち。ふふ、仲が良くていいわね」
と、相変わらず他人事として無責任な発言をする。
少女の言葉を受け、ノエルは思わずこの部屋であははうふふと二人仲良く暮らす己とキルシュの姿を思い浮かべてしまう。そして、あまりに気色悪い想像に怖気が走り、激しく首を振った。腕には鳥肌まで立っている。
「そんな趣味はない!」
「全く同感だ」
キルシュも眉をひそめ、ノエルに同意を示した。
しかし、ノエルの気は、それでも収まらない。先程の想像で最悪になった気分はまだ爽快とは言い難く、その鬱憤を晴らすため、全ての責任をキルシュに押しつける。
「第一、お前の力があれば、どんな部屋でもセレスの部屋と繋げることができるだろう? わざわざ俺と同室になる必要なんてないはずだ」
認めたくはないが、キルシュは優秀な魔術師だ。彼にとって「できないこと」は数少ないように思われる。
ましてや丸裸の王城など、彼の独壇場といっても過言ではない。今も彼の魔力は全開だ。
紅茶のお代わりをするにも、手など一切動かさずにティーポットを操作する。普通、時間の経った紅茶は渋くて飲めたものではないのだが、何故かそのティーポットから注がれる紅茶は常に適温かつ美味いのだ。
そんなキルシュは、声を出すのも気怠そうに答えた。
「空間移動は簡単だけど手間がかかる」
だが、次の瞬間には、男も悩殺すると専らの噂である……無論ノエルにはその気持ちの欠片も理解できないが……少女に見まがうばかりの微笑みを浮かべ、続けた。
「君と同室なんて、そんなもの、ただの嫌がらせに決まってるだろう? もちろん僕も君と同様に不快なんだけど、目的のために手段を選んでいると期を逃してしまうしね」
そう言ってキルシュがちらと意味ありげにセレスを見た。ノエルは彼が言わんとすることを察する。何故彼女を、容易に部屋から出られるような状況に置いたのか、と彼はそう問いたいのだろう。
確かに、決着がつくまで彼女を地下牢にでも厳重に閉じこめておけば、邪魔は入らなかっただろう。しかしノエルには、セレスから自由を奪い、がんじがらめに監禁することが、どうしてもできなかったのだ。
「ようやく君との決着がつけられるかと思っていたのに、結局全部お預けだ」
この上なく不服げにキルシュが呟く。それについては、ノエルも大いに不服である。彼もまた積年の宿敵と雌雄を決するため、最高の舞台を用意したのだ。
……残念ながらセレスの介入によって全てが水泡に帰したわけだが。
そんな二人の男衆に、セレスもまた不服らしい。
「決着をつけるのは構わないから、どこか誰にも迷惑のかからない遠くの土地でやってきてね」
最果ての北は、人どころか微生物も住んでいないらしいわよ。そう付け加えたのち彼女は、再び本に視線を落とした。
「それも面倒臭いな」
キルシュが誰にともなくそう答える間にも、彼の目の前でティーポットがかちゃかちゃとテーブルの上を踊っていた。先述のとおり、先程からお茶のお代わり程度の作業にも指一本使用しない徹底ぶりである。
しかし、こうも思うのだ。キルシュがこういう怠惰な性格であるからこそ、これまで城内では、負傷者の出ない平穏な日々を続けられていたのかもしれない、と。
危うい均衡から成り立つ平和に思いを馳せ、ノエルはそっと小さなため息を漏らした。
☆
さて。
そんな四人が集う部屋の扉の前では、一人の青年が今にも乱入せんと息を巻いており、その両脇には、彼の行動を止めようと必死な男たちがいる。カトルカールとその取り巻きA、Bである。
「あいつら、全員揃っているんだけど……」
そう呟く取り巻きAの唇は震え、もう一方のBの膝はガタガタとみっともなく震えていた。それくらい取り巻き二人にとって、部屋の中の面子は恐怖の対象だった。
元第一王女セレスティーナ。こちらからちょっかいをかけなければ、全く人畜無害である。が、一度手を出せば最後。二倍どころか三倍四倍の報復が待っている。
新国王ノエル。この面子の中では最も常識的である。割と社交的で、誰とでもそつなく付き合って行けるタイプだ。しかし、一度敵に回ると途端に態度は豹変する。取り巻きA、Bに対する態度も、カトルカールが側にいる時といない時との差は歴然としており、その豹変ぶりが彼らには恐ろしいのである。
大魔術師キルシュ。この少年のことを考えると、生存本能が「こいつには絶対に近寄るな」と叫ぶのだ。ノエルと違って彼には常識だとか分別だといったものは備わっておらず、敵とみなした者は、常に敵であり続け、決して容赦はしない。
そんなキルシュが「敵」とみなした者の一人が取り巻きA、Bのリーダーであるカトルカールであるがために、二人は受難を強いられるのである。
元第四王女レア。吹けば折れそうな容貌をしていながら、その性根はたくましい。取り巻きAはつい最近、ふと目撃したのだ。己の陰口を叩いている侍女たちの台詞を漏らさず手帳に書き記しているレアの姿を。そしてその二日後、レアを見るなり真っ青になって、顔を合わせぬよう、そそくさと逃げた侍女たちの姿を。
――こいつらには近寄りたくない。
それが包み隠さぬ本音である。
そのためカトルカールとセレスティーナの婚約が破棄になった時には、手を打って喜びあったものである。これで二度と彼らと関わり合いになることはないと。
それなのに一体何故、カトルカールという男は、今日も今日とて元気に浅はかなのだろうか。
「何を言っているんだ、君たちは。手っ取り早く二人まとめて葬り去るチャンスだろ!?」
被虐趣味か。取り巻きAはそう考える。
友達少なくて寂しいから報復されてもいいから構って欲しいのか。取り巻きBはそう考える。
何にせよ。
「お前の自信って、一体どこから来てるんだ?」
「一人でも手に余るってのに、二人同時なんて……絶対無理だろ……」
あのノエルとキルシュに喧嘩を売るなど、自爆に等しい。
そう考えるに付けても、この男とはさっさと縁を切った方が身のためだと本心から、そう思うのだが。
あまりの彼の馬鹿っぷりに、どうしても見捨てることができず、ずるずる長い付き合いを続けてしまう取り巻きAとBであった。




