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7 怒れる大魔術師を御する方法(1)

 ふうわり、と漆黒の髪が揺れる。


 辺りには不気味なくらいに風がなく、完全なる凪ぎの状態であるにもかかわらず。その髪は風に煽られたかの如く、宙に舞う。

 否、風は、ある。ただし自然界のそれではない。魔力を放つ際に生じる魔風と呼ばれるもので、それが「彼」の足下から沸き上がっているのである。


 「彼」は、尋常ではない魔力を、はた迷惑にも撒き散らしながら、歩いて行く。もちろん、魔力を抑える術も知っているが、ここは敢えて誇張しているのである。そうして彼が向かう先はただ一つ。シュトーレンの王城だ。


 そうして彼は城の門の近くへと辿り着くと、そこから城を見上げた。


 ガラス窓が、殺気に呼応して振動している。まるで城全体が恐怖に震えているようである。その城を一瞥するなり、少年はくすり、と薄く嗤った。


「……よほど歓迎してくれているみたいだね」


 彼の言う「歓迎」とはつまり、城の周囲に張り巡らされた結界を指す。幾重にも念入りに張り巡らされた結界。それは並の魔術師では解き得ないほど複雑な構造となっているようだ。

 その結界が一体何の進入を拒んでいるのか。その答えを少年は、分かりすぎる程に理解していた。


「くだらない」


とつまらなそうに切り捨てると、彼はそのまま城の門へと向かった。


 さて。


 本日の門番と書いて、運の悪い男だとか哀れな生け贄の子羊だとか犠牲者だとフリガナを打つわけだが、彼は何故門番に選ばれたのか誰もが首を傾げるほどに、全く魔力感知能力がなかった。

 更に悪いことには、彼は少年と全く面識がなかった。


 もし少年の事を城内で最も悪名高い例の魔術師であると知っていたならば、抵抗一つ見せず道を空けたに違いない。


 男は少年を知らなかった。それが全ての運の尽き。


「こんにちは」


 そうだ。門番が目にしたのは、漆黒の髪のやたら綺麗な顔をした少年で、鍛え抜かれた屈強な肉体を持つ門番にとって、愛想良く、天使のように微笑む少年の姿は人畜無害に映ったに違いない。

 であるから門番は、己の職務を果たすべく、ずいっと少年の前に立ち塞がり、型に沿った言葉を紡いだ。


「許可のない者は何人たりとも城の中に入ることはできん」


 入城を望むなら、明日にでも正規の手続きを取るように、と紋切り型の台詞を続けた門番に対し、しかし少年は立ち退く素振りを見せない。


「僕はこの城に用があるんだけど」


 だが門番も門番で、許可なき者は蟻一匹この門をくぐらせぬという勢いである。頑とした調子で首を振った。


「駄目だ」


 言いながら、剣に手をかけた。もちろん一般人相手に剣を抜くわけではなく、ただの脅しである。


 だが、その軽率な行動が、流れを一転させた。


 少年はちらと門番の手を一瞥した。その場所から目を離さず、


「どうしても?」


と尋ねる。対する門番は、


「くどい」


と一刀の元に斬り捨てた。


「そう……」


 その瞬間。

 少年の笑みが変質した。

 即ち、天使の微笑みから、悪魔の微笑みへと。


「それは……残念だな」


 声のトーンも一段下がる。

 少年を取り巻く空気が一変する。


 魔力に鈍感な門番も、ようやく様子がおかしいことに気づき始めたようだ。ん? という目で胡乱に少年を見やる。

 少年は、門番を見上げた。底の見えない深い漆黒の瞳で。

 その微笑みは美しいけれど、あくまで邪悪である。


「ねえ、知ってる?」


 幼げな喋り方も、それは相手を油断させるために作られたもの。そのことに門番が気づいた時には、最早手遅れだったのだ。


「まだ……何かあるのか」


 それは本能的な恐怖だろう。門番の声は微かに掠れていた。ぎゅっと握りしめられた拳は、恐らくじっとり汗ばんでいることだろう。


 一方の少年は、涼しげな表情で続けた。


「僕にとって必要なのは、セレスだけ」


 一歩、少年が足を踏み出す。

 門番は咄嗟に少年と距離を取るべく後ずさろうと試み、しかし体が石のように固まって動かない。それに気付いた門番の全身から冷たい汗が噴き出した。


 そして少年は宣告する。


「僕からセレスを奪う者は……誰であろうと、許さない」


 そう言うや否や。


 常人には感知し得ない魔力の塊が、その門番を襲ったのである。







 恐らく、門番には少年が自分に一体何をしたのか理解する暇もなかっただろう。

 何が起こっているか分からないままに腹に衝撃を受け、そのまま激しく吹き飛ばされ、木に叩きつけられた。


「う……っ……げぇ」


 痛みに咳き込むと同時に、胃の中の物がせり上がってくる。


 痛みもさることながら、衝撃を受けた際、得体の知れない感覚が腹部を通り抜けて行き、その異物感に吐き気を催す。そのような未知の衝撃が門番の体を食い荒らしたのである。魔力が肉体を貫通した際の症状だ。


「……はっ……」


 異物感がたまらないのか、門番は痛みに這いつくばり、もだえながらも腹の辺りを掻きむしっている。その様子を、少年は冷たい目で見下ろしていた。

 本来の威力であれば、即死してもおかしくない攻撃であったが、少年もかなり手加減はしていたらしい。

 むろん本意ではないのだろうが。


 その証拠に、彼は冷たくこう言い放った。


「セレスに感謝することだね。城の者を殺してはいけないと僕に約束させたのは、彼女のなのだから」


 ついでに言えば、彼と彼女との誓約はもっと多岐に渡っており、例えば四肢をもいではいけない、例えば耳を削いではいけない、先制攻撃をしてはならない、ただし相手が武器に手をかけた時はこの限りではない、等々軽微なものからグロテスクなものまで数え上げればきりがない程の「禁止事項」がある。


 が、裏を返せば、細部に至るまで禁止事項を設定しなければ、それを躊躇なく行う可能性が少年にはある、ということだ。


 門番にとって不幸中の幸いだったことは、今のところ少年も小者に構っている余裕はなかったということだ。これ以上門番を痛めつけることはせずに、一歩足を踏み出す。

 彼が目指す場所はただ一つ。この門をくぐり抜け、城へ入ることだ。


 そのためには、障害は全て排除しなければならない。第一の障害は、この門番。それを難なく排除した今、次なる障害はこの城を取り巻く結界である。

 彼は門番に見せていた偽りの笑顔を引っ込めると、冷徹な瞳で結界の解析を始めた。そして呟く。


「ノエル……僕の力を侮ったこと、後悔するがいい」


 圧倒的な力の前に、小賢しい謀略など、無意味である。それを敵に思い知らせるために、彼はゆっくりと手を持ち上げた。

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