第十一話 魔法の再現―4
薄い膜のような光が、銀と水色の線から滲み出す。空気の手触りが変わり、透き通るような冷気がセレナの肺を満たした。
紙に描かれた魔法陣は静かに歪み、淡い輪が幾重にも重なりながら形を崩していく。何かの輪郭を探るように揺らめく光の中で、そこに刻まれていた痕跡が立ち上がった。
「再現……というより、存在の痕跡を呼び戻しているのですか?」
ルフェンの掠れた声が落ちる。重なっていた光の線が弾けるように分かれ、空中に並び、やがて一つの構造を成し始めた。
目を閉じていたセレナは、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「一つめは、帷」
読み取ることは、セレナが得意とすることだ。組み上げられた魔法の構造を分解するように、一つずつ解いていく。
「視線の縁を歪める、認識阻害の魔法」
一番大きな輪を指先で弾く。光の輪郭がほどけるように消え、視界がわずかに揺らいだ。その隣、魔法陣を内包した光の球体へ視線を移す。
「二つ目に、殻。流れを繋ぎ、器に収める……保存の……」
保存。
その魔法陣に描かれているのは、『保存をするため』の魔法。何を保存しようとしていたのかまでは、完全には引き上げきれない。そもそも、平面であるはずの魔法陣が球体の内側に組み込まれている時点で、既存の理論から外れている。
それでも、点と点は確実に結びつき始める。言葉を途中で切り、セレナは光の球体を弾いて消した。
「三つ目は、路。形を再び与え、送るためのもの」
呼応するように魔法陣がほどけ、光の線が螺旋を描いて集束する。中央に細い道のような筋が現れ、光がその内側を流れ始めた。何かを運ぶための管のように、その先端が宙を探る。
次の瞬間、バチ、と乾いた音が弾けた。
セレナの手元に黒い線が走り、光が散る。机上に淡い火花が飛んだ。
「セレナ!」
イグニスが肩を掴み、引き寄せる。
「大丈夫か?」
「――ええ」
セレナはあっと息を呑んで、イグニスを見上げた。イグニスはセレナからすぐに離れると、視線を魔法陣に向けた。
「最後のは、転送の魔法か」
「おそらくは」
短く答えた声の奥で、ほんの一瞬だけ揺れがあった。
――本当は、見えた。
消える直前、光の筋が一度だけ、地図の東にある場所へとわずかに偏ったことを。
セレナは紙に描かれた銀と水色の線を指先で擦り、魔法の炎で紙ごと焼いた。紙はみるみるうちに灰なった。
「これにかかっていたのは、認識阻害と保存、それから転送の魔法。完全な再現じゃないから断定はできないけれど」
「認識阻害は分かるが……保存と転送か……」
イグニスの声が低く落ちる。
「黒い潮が関わっているなら、結論は一つよ」
「黒い潮は魔力を汚染し、人体から奪い取る……街の人も、生命力の魔力を吸い取られていた……」
アリアが言いかけて、はっと表情を変えた。
「汚染された魔力を吸い取り、それを保存しようとしたということですか? そんなことが……!?」
「そして奪った魔力をどこかに送っている?」
「どこへかまでは。東であることは確かね」
セレナは目を伏せ、静かに答えた。
「魔力を保存できるのか? 魔力は流れ続けるものだ。器があるならばまだしも、魔法式に留めるなんて――」
イグニスの言葉に、誰もすぐには返せなかった。
魔力は人間の生命力のひとつである。
人は誰しも、自然界に満ちる魔力――その世界の流れを取り込みながら生きている。それは血や呼吸のように、絶えず体の内外をめぐり、世界と混じり合っていた。
その流れを制御し、魔法の発動に必要な魔力を取り込むことができる者が魔法師だ。そして魔法式とは、魔力の流れを変化させるための命令と図形にすぎない。
命令が働く間だけ、魔力はそこに留まるが、それは一時的な現象だとされている。だからこそ、魔力そのものを恒久的に留め置くという発想は、いまだ証明されていない。
理論上は――もし可能であれば夢のような発見となる。
だが、自らの魔力を切り抜き留め置くとすれば、理屈の上でも身体の上でも、多くの問題が立ちはだかる。
魔力は人の生命活動と表裏を成す流れであり、扱える量には限界があった。自分の魔力を蓄えて「必要なときに大量に放出する」という発想は、理想としては魅力的だが、現実的にはほぼ不可能と考えられている。
もし常人をはるかに超える量の魔力を制御できる稀有な者がいるなら、理論上は抽出や増幅もあり得るだろう。しかし、他者の生命力を奪って成立するのであれば、それは発見でも、奇跡でもなく、倫理に反する犯罪だった。
「――何をしようとしているのか分かってきたな」
イグニスは冷静に言った。
「黒い潮の汚染を利用して、人から魔力を奪っているのか」
「それを何に使うのか。……それが一番の問題です」
ルフェンの言葉にイグニスは頷いた。
「その流れが東に向かっているなら、伯爵の鉱山と繋がる」
セレナは黙っていた。先ほど見た、球体の魔法陣の像が脳裏を過ぎる。魔力を集めた先にある、媒体の姿を映しているように。
(……こんなところに)
胸の奥が強く脈を打った。
あの球体の形と特徴を、セレナは知っていた。
それは、つい最近、大魔法図書館から消え去った遺物の一つ――『共鳴石』。 複数の魔力を遺物内に定着させ、情報として蓄える過去の危険な遺品だ。
それは、セレナが今回探しているものでもあった。




