第十話 証拠―2
昼下がりの風は穏やかで、石畳には木漏れ日の模様が落ちていた。メラード通りには人の声があふれ、果物や焼き菓子の甘い香りが漂っている。通りを駆け抜けていく子どもたちの笑い声までが、昨日の騒ぎを嘘のように遠ざけていた。
セレナとアリアは、通りを歩いていた。
「せっかくですし、少し見て回りましょうか。聞き込みといっても、堅くしすぎると誰も話してくれませんし」
柔らかく言うアリアに、セレナは小さく頷いた。
アリアの口調は風のように軽く、どこまでも丁寧で、聞いているだけで相手の警戒をほどいていく。
行く先々で露店の店主に笑みを向け、季節の果物や隣町の祭りの話から入り、気づけば自然に目的の話題へ繋げていった。
その様子を、セレナは少し距離を置いて見ていた。自分が前に出れば、表情の乏しさも、魔力の圧も、相手を余計に緊張させると分かっていたからだ。
「こんにちは。いい香りですね」
アリアは焼きリンゴの籠を覗き込み、店主へ笑いかけた。
「この街の果物はとても甘いって聞きました。やっぱり土地がいいんでしょうか」
「そりゃあ、水がいいからさ!」
店主の男は誇らしげに胸を張る。
「北の山から湧き水を引いてるし、土にも鉱物が多い。燐灰石の欠片なんかも混じってるから、作物の育ちが違うんだ」
「燐灰石……今もこの辺りで採れるんですか? 実は私たち、この街の商業の歴史を少し調べていて」
「学者さんかい?」
目を丸くした店主に、アリアは手帳を軽く上げて見せた。
「ええ、ちょっとした資料をまとめているんです。トアールって、鉱石と染色で有名でしょう? その成り立ちを知りたくて」
「それなら、俺よりはそういう店の人間に聞いたほうが詳しいだろうな」
「もちろん、そうします。でも、いろんな人のお話を集めているんです」
店主は興味深そうに、へえ、と頷く。
「燐灰石か。昔は東の山で掘れたんだが、今はほとんど採れないよ。親父の代までは鉱山も回ってたが、石の質が落ちて、もう儲からねぇって話でな」
アリアは、なるほど、とさりげなく次の話題へ滑らせる。
「でも最近、また話題になっていますよね。『光を放つ燐灰石』のことです」
「ああ。かなり価値があるらしいな」
店主は声を少し落とした。
「俺は詳しく知らないが、新しい鉱山が開いたって話だ。領主様の山だとか。珍しい石だし、価値があるとなれば、期待するやつも多い。若い連中なんか、みんな欲しがってるよ」
「本当に光るんですか?」
「見た目はな。燐灰石なんて本来は灰色で、磨いても鈍い艶しか出ない。光るなんて聞いたことがないから、余計に目新しいんだろうさ」
アリアは首を傾げる。
「昨日、少し騒ぎがあったって聞きましたけど……それでも価値は下がっていないんですね」
「騒ぎ? ああ、あの装飾品の件か」
店主は苦笑した。
「あれは悪徳商人の問題だって話だ。呪いに汚染された装飾品を売ってたらしいが、宝石自体は関係ないって、ダンベント商会からお触れが出てたよ。商会がそう言うなら、そうなんだろうな」
「そう……なんですか? 私たち、少し気になって、買ってみようかと思っていたんです」
「ああ、みんなそんなもんさ。怖がってたら商売にならねぇしな。それに、燐灰石を買うのは町の人間か旅人だ。そこまで気にするやつはいないよ」
セレナは黙って聞いていたが、わずかに眉を寄せた。昨日の出来事そのものが、最初からなかったことにされているようだった。
「そのうち、お土産としても並びそうですね」
「ああ、そうなるだろうな」
「ありがとうございます。よければ、四ついただけますか?」
「おお、まいどあり!」
アリアは焼きリンゴを受け取り、代金を渡した。そのうちの一つを取り出し、何でもないことのようにセレナへ差し出す。
「セレナさんも、どうぞ」
「……え?」
セレナは何度か瞬きをしてから、その包みを受け取った。薄紙越しに、焼きたての甘い香りが指先へ移る。
「焼きリンゴ、本当においしいんですよ」
アリアは自分の分にかじりつき、果汁がこぼれないよう包み紙を押さえながら、ふっと目を細めた。
「んん……! おいしいです。ふふ、食べてみてください」
そのほどけるような表情が、セレナの胸に残る。誰かがこんな顔をするのをひどく久しぶりに見た気がして、どうしていいか分からなかった。
少し迷ってから、セレナも焼きリンゴに歯を立てる。薄い皮が破れ、内側からとろりと甘い果肉があふれた。香ばしさと酸味が一緒に広がり、焦げた砂糖の匂いが鼻を抜ける。
――甘い。
「……おいしい」
思わず零れた声に、自分で驚く。
「でしょう?」
その笑顔は、午後の陽ざしより柔らかかった。
二人は並木道の石段に腰を下ろした。通りの喧騒が少しだけ遠くなる。しばらく沈黙が続き、その甘さの余韻が口の中に残ったあとで、セレナがぽつりと口を開いた。
「……あなたは、どうして私を怖がらないの?」
「え?」
アリアは目を瞬かせる。
「無表情で、近寄りがたいって言われるし……魔力の圧も強い。たいていの人は、私のことを怖いって思う」
アリアは手にした焼きリンゴを見下ろし、少しだけ考えてから空を見上げた。
「たしかに、最初は少し怖かったです」
「……」
「でも、『怖い人』と『怖く見える人』は違います」
空を見たまま、アリアは静かに続ける。
「あなたと話していると分かるんです。あなたは人を脅かしたいわけじゃない。むしろ、何かを壊したくないと思っている人なんだって」
セレナは胸の奥で込み上げたものを、静かに押しとどめようとして、できなかった。
「……あなたに、何がわかるの?」




