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第八話 風向き―2

 夜の病室は、息を潜めたように静まり返っていた。


 淡い灯が壁を照らし、寝台の上では、母親の胸が規則正しく上下している。容体が落ち着いたのを確かめてから、イグニスたちは簡素な卓を囲み、姉弟に話を聞き始めた。


「その首飾りを、お母様が手に入れたのはいつ頃だろう?」


 椅子に浅く腰をかけて両手を軽く組んだまま、イグニスが静かに尋ねる。カヤは記憶を辿るように目を伏せた。


「……ずっと前からあったような気がします。でも……」

「ちがうよ!」


 勢いよく遮ったのは、マヤだった。


「一週間前! 休みの日に、市場で買ったの!」

「市場……」


 アリアは今朝の屋台を思い出しながら、短く手帳へ書きつけた。


「どこのお店か、覚えていますか?」

「人が多くて……。たしか、屋台みたいなところでした。装飾品のお店だったと思います。お母さん、それを見て、綺麗だねって言って……」


 カヤは唇を噛み、視線を落とした。


「たしか……止めたんです。家計も苦しかったですし。でも母は、安いからって……。どうして、忘れていたんでしょう」

「装飾品の影響よ」


 セレナの声は低く、淡々としていた。アリアとルフェンが無言で視線を交わす。


「すべて、同じ商人の仕入れかもしれませんね」

「その店、何か変わった様子は?」


 イグニスが問いを重ねる。


「お客さんが多くて……。それから、あの店のそばには警備兵がいました。かなり人が集まっていたのに、他の屋台は注意されていたのに、そこだけは誰も咎められていませんでした」

「警備兵が?」


 セレナの眉がわずかに動いた。


「はい。でも、許可証は持っていました。商会の印付きで、出店が認められているって」

「トアールでの商業許可証には、商業を統括するダンベント商会組合の印章が必要です」


 ルフェンが簡潔に説明を引き取る。


「あの店の男が口にしていたジュレーバにも問い合わせていますが、まだ返答はありません」

「ダンベント商会は伯爵の傘下でしたね」


 アリアが続けた。


「トアールの流通の大半を管理していて、税や出店の決裁もそこを通ります。伯爵が直接許可を出しているわけではありませんが、裏で関与している可能性は否定できません」


 卓を囲む空気が、わずかに張りつめる。


「つまり、黒い潮に汚染された装飾品が、正規の許可を得て、この街に流れ込んでいる……?」


 セレナが言うと、ルフェンとアリアの話を聞いていたカヤが、何か思い当たったように「あの」と声を上げた。


「少し前から……『光を放つ燐灰石』が流行っているって聞きました。今はもう、燐灰石の流通も下火ですから……。新しくて珍しいものなら、この街も栄えるんじゃないかって」


 不安げに言葉を継ぐ。


「領主様の鉱山だと聞きました。前に、鉱員の募集もあったんです」

「鉱山か」


 イグニスが短く問い返す。


「その鉱山は、どこにある?」

「分かりません。貴重なものだから場所は秘密にしているって。街の人にも伏せられているそうです。たしか、鉱員たちも、その近くで住み込みになるとか……」

「……怪しいな」


 イグニスは腕を組んだ。


「領主か商会、あるいはその背後。権力を持つ側が関わっているなら、憲兵隊への指示も難しくないはずだ。だが、これだけ堂々と売っているわりに、管理はずいぶん粗い」

「あの……」


 カヤが言い淀む。


「領主様は……、その、あまり評判がよくありません。今の領主様は、お金と女に目がなくて……夜になると、屋敷で宴ばかりだって……」


 恐れているのか、声がかすかに震えていた。イグニスたちは何も挟まず、その先を待った。


「最近は税も上がって……。昔からの店は払えなくなって、立ち退かされました。代わりに、領主様に後ろ盾のある外からの商人が増えたんです」


 カヤは唇を噛む。


「残った店も、売上の多くを納めろと言われて。でも、そのお金がどこへ行くのか、誰も知りません。街の整備に使われるわけでもなくて……まるで、どこかに吸い込まれていくみたいで」

「上前をはねている、ということですね。場合によっては、どこかへの貢ぎ物になっている可能性もあります」


 アリアが静かに息を吐く。その言葉に、カヤは小さく肩を震わせた。


「……うちも、小さな染物屋を畳みました。半年ほど前から、もう続けられなくて。街の様子も、お金の流れも……今の領主様になってから、変わってしまいました」


 イグニスは卓の木目へ視線を落とし、静かに息を吐いた。


「いずれにせよ、慎重に動く必要がある。このままでは、街が混乱するだろう。……明朝、商会と領主について調べよう」

「私も行く。誰が、何を企んでいるのか、確かめないと」


 セレナはそう言って、一瞬だけ窓の外へ視線を向けた。夜のトアールは光に満ちている。だがその下を、黒い霞が見えない流れとなって、静かに街を巡っていた。


「頼もしいな。でも、今日はもう遅い」


 イグニスはそう言って、わずかに笑みを浮かべた。


「戻って休もう」

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