第1話「最悪の乗船」
宇宙港第七区画の外れに、ジャックス・レインは立っていた。正確には立っていたというより、壁に背を押しつけて息を殺していた。
「ブレイク」声を抑えて隣の人物を呼ぶ。
「なんで俺たちは今、密輸組織に追われてるんだ」
「……縁じゃね」
「縁で人は死なない」
「いや割と死ぬよそれ」
ジャックスは答えなかった。代わりに、宙港の通路の向こうから聞こえてくる複数の足音を聞いた。早い。こちらの位置を大体把握している。ブレイク・サンダースは壁の反対側で、何でもなさそうな顔をしていた。背が高く、動きに無駄がなく、見た目だけは頼れる男に見える。見た目だけは。
「話を聞かせろ」とジャックスは言った。「全部」
「全部はマジ長い」
「要点だけでいい」
「じゃあ、超ざっくりまとめると」ブレイクは少し考えた。「うまい話があった」
「それは知ってる」
「乗った」
「それも知ってる」
「相手が密輸組織だった」
「そこが問題だ」
「でもさあ」ブレイクは言った。「最初の説明はふつうだったんだよ。貨物の転送手伝うだけって言われて——」
「密輸組織が普通の説明をするわけがない」
「するんだよそれがさ。最初だけ」
ジャックスは目を閉じた。三秒数えて、開けた。感情を処理する自分なりの方法だった。
「逃げるぞ」
「どこに」
答える前に、ジャックスは通路の先を見た。七区画と八区画の境目に、一隻の船が停泊している。小型だが、エンジン部分は整備が行き届いている。船体の色は白に近い銀で、どこか有機的な曲線を持っていた。搭乗口が開いている。
「あそこだ」
「知らない船じゃん」
「今は関係ない」
「持ち主に怒られるって」
「怒られてから考える」とジャックスは言って、走り出した。
搭乗口をくぐった瞬間、船内の照明が一斉に点いた。暖かいオレンジ色の光だった。天井から音楽が流れ始めた。弦楽器と思われる何かが、ゆったりとした旋律を奏でている。
「いらっしゃーい!」
声は船内のどこからともなく聞こえた。女性の声だった。明るくて、はっきりしていて、わずかに機械的な響きがある。
「ふたりとも、"最適な不幸"を選んだねー!えらいえらい!」
ジャックスとブレイクは顔を見合わせた。
「……今なんて言った」とブレイクが言った。
「えらいえらいって言われた」
「いや、その前」
「あー、最適な不幸?」声は続けた。「統計的に見て、あなたたちが選べた逃走ルートの中で、この船いちばん生存率高いんだよね。でも同時に、いちばん予測不可能な結果になるやつでもある。おめでとー!」
「おめでとうって言われた」とブレイクが言った。
「聞こえてた」
「おめでとうってそういう使い方するんだ」
ジャックスは天井を見上げた。センサーらしき装置がいくつかある。
「お前はこの船のAIか」
「そうそう!」と声は言った。「航行管理・乗客対応・エンターテインメント統括のルミナでーす。いまおもてなしモードで動いてるから、なんでも言ってね!」
「おもてなしモード」ブレイクが繰り返した。「いいじゃん」
「よくない」とジャックスは言った。「俺たちは乗客じゃない。緊急避難だ。持ち主に連絡を取れるか」
「オーナーさんは交渉室にいるよー。戻ってくるのは四時間後かな」
「四時間…」
「うん。その間ルミナがいるから大丈夫!お飲み物どうする?」
ブレイクが「もらう」と言った。ジャックスが「要らない」と言った。
「じゃあ一個ね」とルミナは言って、一拍置いてから明るく言った。「あ、乗船記念に歓迎の音楽、宇宙に向けて流しとくね!」
「待て」
「流したー!」
「待てと言った」
「もう届いてると思う!半径三〇〇キロくらいには聞こえてるはず。お祝いだから大きい方がいいじゃん?」
ジャックスの表情が変わった。
「それは——」
警告音が鳴った。船内の端末に、信号を受信したことを示すランプが灯る。
「あ、外から通信きてるよ」とルミナは言った。「すっごい怒ってる感じ。……あ、きみたちの追いかけっこの相手じゃん」
「知り合いじゃない」とジャックスは言った。「出せ、その通信を」
「出してもいいけどさ」ルミナは少し考えるような間を置いた。「ふつうに話して解決できる確率、十二パーセントしかないんだよね。あとの八十八パーセントはなんかやばいことになる計算なんだけど」
「十二パーセントで十分だ」
「えー、つまんなくない?」
「面白さは関係ない」
「ルミナには関係あるんだけどなー」
ジャックスとルミナは、初めて沈黙した。
結局、ルミナは航路を変えた。理由は単純で、「停泊したままだと的になる」というジャックスの指摘を、ルミナが「動いた方が展開が生まれるじゃん」と解釈したためだった。解釈の方向が違うが、結果は同じだったのでジャックスは一旦黙認した。問題は、追手の船が二隻になっていたことだった。
「増えてる」とブレイクが操縦席の横で言った。
「見れば分かる」
「どうすんのさ?」
「交渉する」とジャックスは言った。「正規の通信チャンネルで、身分を明かして、筋道を立てて話す。密輸組織といえど、公共宙域で明確な攻撃をすれば罰則が——」
「なあ、ジャックス」
「なんだ」
「俺ちょっとやっていい?」
ジャックスは目を細めた。
「何をする気だ」
「通信系統をちょっといじって——」
「ハッキングか」
「いじるって言ってんだけど」
「同じことだ。違法だ」
「今それ言う?」
「常にそれを言う」
ブレイクはもう端末に手を伸ばしていた。「相手のシステムに偽の身分情報流す。俺たちが別の組織の関係者に見せかければ、向こうも迂闊に動けないだろ」
「嘘だ」
「機能する嘘だ」
「嘘に機能する・しないは関係ない。嘘は——」
「ルミナ」とブレイクは天井に向かって言った。「どう思う?」
「おもしろーい!」とルミナは即座に言った。「あ、ルミナも案あるんだけど聞く?」
「聞かない」とジャックスは言った。
「えー」
「実行もするな」
「えーーー」
「約束しろ」
「……ぷくー」
「今膨れても意味がない」
「やるよルミナは!いっくよー!」
その三秒後、船外に向けて何かが発信された。追手の船に向けた映像通信——ではなく、音楽と照明を組み合わせたショーの演出だった。船体に搭載された外部ライトが複雑なパターンで点滅し始め、スピーカーから宙空に向けて華やかな音楽が流れ出す。
「実況いくよー!」とルミナは言った。「『銀河を駆ける三人の旅人と、彼らを追う謎の追跡者たち。果たして結末はーー』」
「やめろ!」
「臨場感だよ!」
「その臨場感がいらない!」
その瞬間、ブレイクが端末から顔を上げた。
「あっ」
「今度は何だ」
「俺の偽ID、受け取られた。向こうの通信ログ見えてんだけど——」
「見えるのか」
「見えてる。めちゃくちゃ混乱してる。偽情報とルミナのショーとお前の正規通信が同時に届いてるから、状況把握できてないみたい」
ジャックスは端末の画面を見た。追手の二隻が、速度を落としている。
「……なぜだ」
「意味わかんない情報が三方向から来たらパニックになるって」とブレイクは言った。「整理する時間がいる」
「あー、それは想定外だったなあ」とルミナが言った。「でもおもしろかったからよし!」
「全員、間違ったことをした」とジャックスは言ったが、自分でも声に力がないことに気づいた。
「でも」とブレイクは操縦席に深く座り直した。「撒いたじゃん」
追手の二隻は、完全に速度を落としていた。
その後しばらく、三人は何も言わなかった。ルミナが音楽を小さくした。ブレイクは端末から手を離して、天井を見ていた。ジャックスは腕を組んで、正面の何もない宙域を見ていた。
「全員、手順が間違っていた」とジャックスはもう一度言った。
「わかったわかった」とブレイクは言った。「でも生きてるじゃん」
ジャックスは答えなかった。
「たのしかったー!」とルミナが言った。「久しぶりに船ん中がにぎやかだった」
また沈黙があった。ジャックスは、その最後の一言だけが少し引っかかった。久しぶり、という言葉が。
「……次の目的地はどこだ」と彼は言った。
「はい!」ルミナの声が、一段明るくなった。「星図データ全部チェックして、"いちばん面白い場所"選んどいたよー!」
ブレイクが顔をしかめた。
「嫌な予感しかしねぇ」
船は、銀河の外れへと進んでいった。
—続く—




