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04. 快方と縁談

 姉の白い指がページをめくる。部屋の静けさに響く、紙が擦れる小さな音と、オリヴィエラの穏やかな声。寝台に座る姉の傍らへ、靴を脱いで私も座っている。


「懐かしいわ。もう十年前になるのかしら」

「うん。まだ、おばあ様が健在で……」


 それに、イヴァノも生きていた。得意になって、贈られた本を音読する私たちに、気のいい幼馴染みは難しい単語の意味を教えてくれた。屋敷のいたるところに、イヴァノの思い出がつまっている。


「あらすじはなんとなく憶えていたけど、改めて読んでみると、印象が違うのね。けっこう、残酷。神様オチだし」

「訓話だから、多少は仕方ないわよ」


 横暴な王様に、仲良しの男の子がさらわれて、女の子が助けに行くお話だ。優しい女の子は、道々、困っている人や動物に出会い、助けてあげる。お礼に助力を得た女の子は、なんとかお城へたどり着く。しかし、男の子を小姓にしたい王様は、返すのが惜しくてたまらない。


 男の子を返す交換条件に、毒をそそいだ杯を用意する。


『さあ、その杯を飲むがいい、下賎な小娘よ。貴様の覚悟を示してみせよ。見事、成し遂げてみせたなら、望みを叶えてやろうではないか』


 女の子はためらったが、王様が差し出した毒を飲む。嘆き悲しむ家族の元へ、男の子を返してあげたくて。

 呆気なく死んでしまった女の子を、王様は嘲笑う。


『なんて馬鹿な子供だろう。嘘を真に受けて、毒を食らいおったぞ。誰が返してなどやるものか。愚か者をからかうのは愉快でたまらぬ』


 王様と家来は大笑い。さめざめと泣いた男の子は、杯に残った毒を飲んで、女の子の後を追う。


 子供たちが亡くなると、全てを見ていた公正神リリシーファウラが降臨するのだ。


 裁きを与える左手で、嘲笑した者たちをわし掴み、地獄の穴へ次々と放り込む。悲鳴をあげてゆるしを乞う罪人たちは、なすすべもなく落ちていく。

 罪人をすっかり飲み込むと、地獄の穴は口を閉じた。断罪を終えた公正神は、慈悲を与える右手を伸ばし、子供たちの頭をなでる。そして、天上へとかえっていった。


 空っぽになったお城の中で、女の子と男の子が目を覚ます。息を吹き返した二人は、なんて悪い夢を見たのだろうと話し合う。

 彼らは遊び疲れて、眠ってしまったと思い込んでいた。空っぽのお城はボロボロに崩れており、とても現実だとは信じられなかったのだ。


 女の子と男の子は手を繋ぐ。笑顔の二人が歩き出して、物語は幕を閉じる。


「ねえ、フランチェスカ。彼らは、どこへ行くのかしら」

「え? 家に帰るんでしょう」


 最終項の挿し絵を、オリヴィエラはそっとなぞる。恐ろしい断罪の挿し絵には、靴跡がついてしまったけれど、笑顔の子供たちのページは難を逃れた。


「……ええ。きっと、そうね」


 曖昧に微笑むオリヴィエラ。あっさり肯定した姉の横顔が、何故か心に引っかかる。けれど、続く姉の言葉に、ささいな違和感など忘れてしまった。


「ねえ、フランチェスカ。わたし、お腹がすいてしまったわ。食事を持ってきて欲しいのだけれど、いいかしら?」

「もちろんっ!」


 寝台から飛び下りて靴をはくと、姉の部屋を飛び出した。ようやくオリヴィエラが、自主的に食事を取ると言ってくれた。感激に目が潤む。


 食べやすいスープがいいだろうか? それとも消化に良い麦粥にしようか?

 久々に前向きな問題に頭を働かせて、私は厨房へ駆け込んだ。




 この日を境に、オリヴィエラは食事を取るようになった。痩せてしまった体型を気にしているのか、甘い物をよく食べる。快方に向かったオリヴィエラは、当主である父へ縁談を持ってくるよう願い出た。


「独身を通すつもりは無いの。この家にはいたくないもの。それにジルベルト卿の振る舞いを容認する、コルツァーニ公爵家の傲慢がゆるせない。王都から出来るだけ遠くに領地をお持ちで、中央貴族と距離を置く男性に嫁ぎたいわ」

「突然、何を言い出すんだ」

「わたしはただ、前向きになっただけ。それとも、人殺しと非難して、半狂乱で泣き叫ぶほうが、お父様たちのお好みかしら?」


 息を飲む父に、オリヴィエラは冷ややかに目を細めた。姉がイヴァノの件を恨んでいると匂わせるのは、初めてのことだった。


 イヴァノの事故で、オリヴィエラは誰も責めなかった。それでも、私たち家族と公爵家が、イヴァノの死の遠因になったのは事実だ。


「今更、失うものなどありませんし、糾弾するなら徹底的にさせていただくわ。そうね、来年、妹の花婿を教会で罵倒するなんて、どうかしら。悲惨な結婚式の代名詞として語り継がれるように、次期公爵様の晴れ舞台を台無しにするのは、さぞかし爽快な気分になるでしょう。わたしは、どちらでもかまいません。よくお考えになることね」

「オリヴィエラ……!」

「疲れてしまったので、お部屋で休みます。ごきげんよう、お父様」


 オリヴィエラは私を連れて、自室へ向かう。部屋に着くと、青ざめる私に、優しく声をかけてくれた。


「安心して、はったりを言っただけ。可哀想なお父様を脅すなんて、悪い娘ね。わたし、自分の家族を恨んだりしていないわ、フランチェスカ」

「だ、だけど、私……」

「もっと前に、あなたがジルベルト卿に愛想を尽かしていたとしても、同じ結果になったはずよ。止めようが無かったあなたに、自分を責めて欲しくないの」


 私を慰めたオリヴィエラは、その一方で決然と告げる。


「この家にいたくないのは本当だし、コルツァーニ公爵家とは一切関わりたくない。あなたが嫁いでしまったら、耐えられないわ。冷たい姉だと思うかもしれないけど、あなたが結婚するより先に、遠くへ行きたいの。ゆるしてくれる?」

「……正直、オリヴィエラが遠くに行くなんて、胸が潰れそうよ」

「フランチェスカ」

「だけど、あなたが元気になれるなら、なんだってする。協力するわ、オリヴィエラ」


 スカートを握りしめて、胸の痛みをやりすごす。オリヴィエラが平穏に暮らしていけるなら、私の孤独など、どうでもいい。私は平気だ。平気だと、思わなければいけない。


「ありがとう、フランチェスカ。お父様は、必死で縁談を用意してくださるはずよ。釣書が届いたら、あなたが選んでね」

「私が?」

「だって、わたしにはイヴァノ以外の男性なんて選べないもの。客観的に判断なんて、できないわ。できるだけ幸せに暮らせそうな相手を、妹として選んでちょうだい」


 重要な役目を任されてしまった。ためらいはあったが、頷いた。両親や兄は信用できない。オリヴィエラの希望より、マルキオン家の利益を優先しそうだもの。


「わかったわ、オリヴィエラ。精一杯、良いお相手を選んでみせる」


 数日後、マルキオン伯爵家にたくさんの釣書が届いた。私はオリヴィエラと一緒に、縁談相手を探しはじめた。




 釣書に目を通していた私は、そのうちの一枚に驚きの声をあげた。


「え? カゼッリ家って、南部貴族の!? ちょっと、これを見て、オリヴィエラ」


 アウレリオ・カゼッリ。年齢は二十三歳。南部地方に君臨する二大伯爵家のひとつ、カゼッリ伯爵家の嫡男だ。


 階級こそ我が家と同じ伯爵家だけれど、貴族社会は爵位だけで優劣をはかれない。南部の二大伯爵家は、建国の頃から続く名門。普通の中央貴族、マルキオン家とは格が違う。


 南部地方には特殊な背景があり、中央貴族との溝が深い。地方地主を中心に庶民が台頭してきた昨今、軋轢は薄れつつあるものの、未だ偏見が残っている。


「まさか、そんな大物が出てくるとは驚きね。南部の大家が中央貴族との融和を進めていると聞いたことがあるわ」

「ああ、マルキオン家は手頃な家格だから……」


 コルツァーニ公爵家を筆頭とする、王統派という最大派閥に属するマルキオン家は、良くも悪くも中堅貴族。そこまで偉くない反面、取り立てて問題のない血統なのだ。


 私とジルベルトの婚約を公爵夫妻が歓迎したのも、家格の件が影響している。大貴族コルツァーニ公爵が王妹を娶ったことで、少々、力をつけすぎてしまった。そこで、同一派閥の、ほどほどの血筋の娘である私が受け入れられた。


「でも、いいのかしら。コルツァーニ家とカゼッリ家は、対立関係にあるわよね」

「ふふっ。対立どころか絶縁が長じて、無縁状態よ。敵対する接点さえないわけだし、気にしなくていいんじゃないかしら。わたしの花婿探しを聞き付けた誰かさんが、この縁談を潜り込ませた気がするし」

「誰かさんって……。まさか、ジルベルト様?」

「たぶんね。公爵夫妻なら、天敵を遠ざけようとはしないもの。動向を追うために、却って目の届く範囲に置きたがるわ。子供じみた拒否反応で、わたしとあなたの関係を絶ちたがる人なんて、彼しかいないでしょう。本当に、わたしが目障りなのね」


 姉を疎ましく思っても、以前のジルベルトは、排除しようとはしなかった。私が自分の愚かさに気付き、婚約解消を望んだのを、姉の入れ知恵だと誤解して、逆恨みしているのかもしれない。そういえば、姉が調子を崩して以来、用事がなければジルベルトと会うのをやめていた。

 オリヴィエラが心の支えだと知っていて、彼は姉妹の断絶を望んでいる。私さえ手に入れば、心が壊れていようと、構わないとでも思っているのだろうか。


「ひどいわ。私の考えで行動しているだけなのに。オリヴィエラを遠ざけようとするなんて……」


 南部貴族は独特で、どこの派閥にも属していない。いうなれば、南部の地そのものが、ひとつの派閥になっている。

 庇護という名目で、彼らを監視してきたのは穏健派の筆頭、ベッカロッシ公爵家。こちらも大貴族だが、コルツァーニ家との親交は浅かった。


 もし、オリヴィエラが南部貴族へ嫁いだら、手紙のやり取りさえ難しくなりそうだ。


「ねえ、穏健派の殿方にしておかない? 外国に嫁ぐより、交流が難しくなってしまうわ」


 涙ぐむ私に、オリヴィエラは困ったように微笑んだ。しかし、うんとは言ってくれない。


「ごめんなさいね、フランチェスカ。あなたの婚約者様のご提案に、乗ってやるのは悪くないと思っているの。だって、カゼッリ家なら、コルツァーニ家の馬鹿どもと、二度と関わらずに済みそうだし。あちらからも容易く手出しできないでしょう」


 オリヴィエラは、カゼッリ伯爵家の嫡男、アウレリオ卿に会うと決めてしまった。

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