18. フランチェスカに永遠の眠りを
花嫁衣装の生地は、タフタ織りの純白の絹を選んだ。体に添う美しいラインのドレスは、腰で一度細く締まってから、ふわりと広く裾が広がる。
袖や胸元、スカートの装飾にレースをふんだんに使っている。仕立ての際にはデザインがなかなかまとまらず、位置あわせの仮止めを施してから、ああでもないこうでもないと、みんなで意見を交換した思い出がよみがえった。
「マルキオン伯爵家ご令嬢、オリヴィエラ・マルキオン様ご到着でございます。御一同、ご起立を!」
近隣の貴族が教会に集い、伝令の口上を合図に一斉に立ち上がった。領地に戻ったら家族や領民に結婚披露をしたいというアウレリオの提案に同意したときは、内々に小さな宴席を設けてくれるのだと考えていたが、まさか正式な結婚式をやり直してくれるとは想像もしていなかった。
先頭を歩む友人たちの背中を頼もしく見つめる。五人の友が付添人として、私の周囲を固めていた。美しい装いの彼女たちだが、腰には細剣を吊るしており、銀の軽胸甲を着けている。
昔は花嫁を略奪にくる無法者がいたらしく、付添人が警護の役目を担った名残だ。王都の結婚式では、装飾用の短剣を身につける程度だが、南部の地ではもっとはっきり武装する。
祭壇の前で、私を待つアウレリオ。胸を高鳴らせながら、付添人から離れて、彼の傍らへ歩み出る。
私たちは神官の前で、再び夫婦の誓いを交わす。アウレリオは私の手首に、緻密な細工が施された金の婚礼腕輪をはめてくれた。
「では、誓いのくちづけを」
アウレリオが私のベールをそっと持ち上げた。
ベールには、青と白のスミレの刺繍が刺してある。刺繍が苦手な友達が、私のために何かしたいと提案し、みんなで一花ずつ刺してくれたのだ。
髪を彩るのは、湖のほとりでアウレリオがくれた絹の小花の髪飾り。彼は喜んでくれているだろうか?
白い礼装靴は義母と選んだ。当日、足が痛くならないようにと、部屋を歩き回って靴を慣らす私と義母を、目を丸くして義弟が見ていた微笑ましい記憶が思い出される。
「共に生きましょう。愛しています、私の美しい白スミレ」
「私もお慕いしております、アウレリオ」
優しいくちづけが唇に触れる。私は書類上の配偶者ではなく、心からアウレリオの妻になる。黒衣で嫁いだ一人きりの私に、あの時にはなかった温かい居場所が出来ていた。
教会を出ると、祝福に駆けつけていた領民が喝采を叫んでいる。我がことのように喜んで感涙している人々も少なくなかった。これほどの祝福に囲まれて、瞼が熱くなる私の肩へ腕を回し、労るようにアウレリオが抱き寄せてくれた。
式を終えた私たちは、一年暮らした領主館から居を移し、準備していた新婚夫婦用の屋敷へ向かう。
小麦畑を抜けた先にある、林の中に建てられた二階建ての館だ。石造りの外壁に、切妻屋根が載っている。領主館ほどの規模はなく、十二室と小造りだ。
カーテン、カーペット、壁紙、家具、食器類。館の何もかもを、新婚夫婦が決めることになっている。贅沢な慣習だと思ったが、次期領主夫婦の差配と予算調整の練習を兼ねていた。
実際、やってみると難しく、義父母や友人の意見を参考にしたし、どうしても残したかった素敵な家具はそのまま使うことにした。何を選んで、どの意見を聞き入れるか、勉強になる経験だった。
「今日からここでの生活ですね。無理をしてはいませんか?」
二人で整えた新居を感慨深く見上げていると、アウレリオが尋ねてくれた。一年前はあれほど恐れていた夫婦としての生活が、怖くなくなっていることに気が付いた。夜会の夜に目撃した忌まわしい光景と、目の前に立つアウレリオが結びつかなくなっている。
「新生活への不安はありますが、楽しみでドキドキしています」
「はははっ、私と同じだ」
微笑みを交わして手を繋ぎ、私たちはもう一度、新居を見上げた。
新居の女主人として采配をふるう、新婚生活が始まった。驚いたことに、カゼッリ家では出自を把握できる人間だけを雇用している。大抵、親族がカゼッリ家と関わっているのだ。
たとえば執事の祖父は、この家の馬丁だった。カゼッリ領の学校で学んだ父親が事務仕事を任されて、その伝手で彼も奉公にあがったという。従僕から始めて執事となった彼は、今や私に屋敷の差配を教えてくれる立場だ。他にも、下級使用人たちは、領民の子弟ばかりだった。
実家のマルキオン家では、使用人の斡旋所から雇ったメイドが情報を漏らしていた。推薦状で雇用履歴は確認できても、出自の確かさや秘匿性の保証はなく、情報管理は難しい。
慣れない女主人の役割は大変だが、屋敷の中に密偵が入り込む余地が無いと知れたことは、私に安らぎをもたらしてくれた。
「奥様、お茶に致しますか?」
午前中、他家へ送る時候の挨拶の手紙を書いていると、メイドに声をかけられた。
「お願い。肩がこってしまったわ」
「うふふ。栗の砂糖煮も一緒にお持ちしますね。甘い物を食べると疲れが取れますよ」
「ありがとう」
きりのいいところだったので、一旦、手紙を片付けた。お茶が運ばれるのを待つ間、気晴らしに書斎からバルコニーへ出て、深呼吸する。
屋敷の周辺に広がる林の中を、庭から続く小道が通っている。小道は小麦畑を抜け、近隣の村へ繋がっていた。
今は刈り取りを終えているが、夏の収穫前に小道を通った時には黄金の麦穂が地平線まで続いており、圧巻の光景だった。
栗を中心とした林の木々は、美しい黄褐色に色づいている。先日、屋敷の皆で行った栗拾いが、記憶に新しい。
田園風景の美しさも、栗拾いのような素朴な行楽も、王都育ちの私には新鮮で心弾むものだった。
「見せたかったな……」
ふいにあふれた感情が、言葉になって口からこぼれた。ハッとして唇に触れるが、一度沸き上がった情動は止まらなかった。
―-――いつか、世界中を旅してみたいわね、フランチェスカ。いろんな場所の素敵なものを見てまわるのよ。
オリヴィエラ。
オリヴィエラ。
オリヴィエラ!
果たされなかったあなたの夢!
―-―-予定より豪勢なハネムーンにできるかもしれない。子供の頃から、知らない土地へ旅してみたいって言ってただろ?
何故、そうならなかった!
どうして、この美しい景色の元へ、二人が訪ねて来ない!
向ける対象のない怒りで胸が張り裂けそうになる。
「……っ……」
バルコニーの手すりを掴み、かたく目を閉じ、激情を飲み込む。涙一粒、嗚咽ひとつ、こぼさないように。
一生癒えない傷がある。癒したいとも思わない、私だけの愛しい痛み。
旅行鞄をぶら下げて楽しげに歩み去るオリヴィエラとイヴァノの幻影を胸の底へそっと沈める。二人の背中を、白いリボンの少女が追いかけていった気がした。
再び目を開けたとき、屋外には何も変わらない栗林と小道の風景が広がっていた。
ビアンカと呼ばれる私はしたたかで、激情とは無縁そうな穏やかな表情を容易く浮かべられた。
このカゼッリ領で、アウレリオの伴侶として、堂々と胸を張って生きていく。
フランチェスカに永遠の眠りを。
愛しい痛みを抱えたまま、精一杯、望むままに、私は生きていこうと思っている。
【了】




