エピローグ
新たに編成されたアスファリアの騎士団一行が、トゥーレへの峠を超えようとしていた。
霧が立ち込める早朝、ユアンは馬具を取り付けていた。馬の息が白い。秋は過ぎ去り、まもなく大陸は冬を迎えようとしていた。
「ユアン」
呼ばれて振り返る。ちょうど太陽が昇りはじめていた。朝焼けに彩られて、彼の銀色の髪が、蜂蜜色に輝いている。
「アルバート師団長から伝言だ。二人で先行してトゥーレへ入れと」
「理由は?」
「霧が深いから出発を遅らせるらしい。ラグーンに知らせるようにと」
「わかった」
アスファリアとレガリスの会談は、おおむねアスファリアの要求通りに終わった。アデルの身分はアスファリアに引き渡され、審問官の追及の後、おそらくは流罪になるだろうとの見方だった。フォワ公はレガリス大公に城を明け渡し、公国の西方へと領地替えとなった。
親和派のレガリス大公の領地にはなったものの、アスファリアはこれまで通り、ラグーンに駐屯部隊を派遣する。レガリス公国には、ラグーンを諦めていない人間も残っているからだ。
そしてユアンはまた、こうしてシオンと一緒にいる。
そういえば、とユアンは思う。結局、彼のことを何も知らない。いや、知らないのではない。知ろうともしていなかった。
レガリスとの会談が終わり、ユアンを見舞って伯父は、よくやったと満足そうに言った。伯父を前にしても、何の感情も湧かなかった。あれほど嫌悪していたものが、無くなってしまっていることに自分自身で驚いた。ここだけが、世界の全てじゃない。
二人は馬に乗る。視界が悪いため、馬はゆっくりと歩を進める。
隣を進むシオンに、ユアンは言った。
「アスファリアにくるまで、お前が何をしていたのか、結局聞いてなかった」
不意に言われてシオンはきょとんとし、それから柔らかな笑顔をつくる。
「そういえば、そうだった」
「どうして騎士団に?」
「……行き場のないところを、ラウラ様が拾ってくれた。だから、少しでもラウラ様の力になりたいと思ったんだ。力になるなんて、傲慢なのかもしれないけれど。でもそうしたいと思うのだから、やってみるしかない」
シオンは前を向き、そこにはない何かを見つめ、少しまぶしそうな表情をする。
「はじめは、自分に騎士団なんてとても無理だと思っていたんだ。そんな資格はないと思い込んでいた。でもラウラ様は言ってくれた。人は変わってゆく。変わっていいんだって。そうすることに、資格なんか必要ないって」
彼にもきっと、人には簡単に言えない過去があるのだ。ユアンが知ろうとしなかっただけで、誰もが過去と歩いて生きている。
ユアンは、ラウラが自分のときと同じように、シオンの背中を押したのを知る。多分ルチカも同じなのだろう。彼女もシオンと同じように、ラウラを信頼していた。
「あの人はそうやって、人の心配ばかりしているんだな」
そう言うと、シオンは少し笑う。
「本当にね」
シオンは前を向いた。木々が途切れ、視界が開ける。
「俺のことは、これからゆっくり話していくよ」
そうだ。焦らずとも、時間ならいくらでもある。
シオンと同じように、ユアンも彼方を見やる。太陽が昇りきる。風が吹き、霧が晴れてゆく。
僅かに潮の香りが届き、視界に飛び込んできた、光輝く水面。ユアンは思わず、目を細めていた。
澄みきった、どこまでも清涼な空にむかって、黒い竜が飛翔した。
(了)




