第2話その3
「アキラ君、君はアウターと言うものがどんな存在であるか知っているかね?」
「……人類の敵だって事だけしか」
「では語っても構わないかな? 科学者と言うのは自分の分野を語りたがるものでね、僕もその例に漏れず語りたがりなんでね」
好き好んで聞きたい話題ではないが、少なくとも目の前の人物が話している間は安全だと判断した彼女は静かに聞く事にした。
人類と100年以上も戦い続けたアウター。しかしその正体が何であるのかを知らない者は軍民問わずに意外と多い。直接戦っている兵士でさえ知らないと言うのは情報規制などではなく、アウターが彼らにとって殺すべき敵でしかないからだ。彼らが最も知りたい事は正体などではなく、体のどこを撃てば簡単に殺せるか、と言う事だけなのだ。
アウターとはどんな存在か、と訊ねれば多くの者が醜悪な外見の化け物を連想する。しかしその姿はあくまで細胞を変異させられた人間でしかなくアウターその物ではない。
アウターとはナノサイズの極小生命体なのだ。どのような経緯で誕生したのかは不明であり、そもそも天然なのか人工のものかさえも判明していない。だが後述するがその特異な性質から人工的に生み出されたと言う意見が強い。
アウターが人体を変異させるプロセスは、まず死体へ1体のアウターが侵入する事から始まる。血管を利用し全身を巡り、細胞を変異させながら脳を目指す。脳に到達したアウターは酸素欠乏により損傷した脳細胞を修復し、記憶を読み取り、身体機能の全てを掌握し、死亡した人間に成り代わる。故に正式呼称はアウター・マリオネット。
殺すではなく乗っ取る。しかも単細胞多細胞関係なく全ての生物を、だ。だからこそ自然に誕生したものではなく、何かしらの意図を持って造られたと言う意見が強いの。
人類は気付く事が出来なかった。親しい友人が、愛しい想い人が、尊敬する上官がアウターになっている事に。些細な事からその事実は判明するのだが、それでも生物の死体を掌握する機能、変異した細胞が持つ増殖機能による驚異的な再生能力の前に人類は敗北を重ねていった。
「そこで人類は勝つために人間を犠牲にし、数多の強化兵士計画を遂行していった。僕達の計画はそれらとは全く異なるものだが、それ自体は古来より行われてきたものだ。敵を己が物にし、武器にする。人為的に人の細胞をアウター細胞へと変異させる。それによりアウターの持つ再生能力を得ようとした。これは兄の主導の基行われた計画でね、成功した時は年甲斐もなく共に喜びを爆発させてしまったよ。で、僕の実験もそれに続けて成功、ってなればよかったんだけどねぇ」
「何の実験をしたんですか?」
よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりの笑みを浮かべる。悪意が一欠けらもない純粋な笑みであるが故にとても恐ろしいものに見えた。
「アウターをね、脳に入れるのさ」
トントン、と蟀谷を指先で突きながら誇らしげにそう言った。この男はそれを自分達に行おうと言うのか。メンスから感じる恐怖を必死に耐えていたアキラだが、その言葉に顔を青くした。
「ああ、心配しないでくれ。乗っ取られるような事はないから」
どれだけのバカでも、その言葉で胸を撫で下ろせる訳がない。それに加えこの男は先程、失敗したと言った。
「……さっき、失敗したって」
「昔はね。アウターの持つ機能の制限が上手くいかなくて。研究所は壊滅するし、被験体は全部始末されちゃったし、兄ちゃんは独房に入れらるし。我が身の未熟を恥じるばかりだよ。あ、でも今は大丈夫なはずさ」
さして重要でない事を告げるような口振り。アキラには目の前の人物が自分と同じ人間なのか分からなくなっていた。
20年も生きていない自分に、短時間で人の本質を見抜けるような観察眼があるとは思っていない。それでもこの過酷な環境を生き延びて来た事で、相手の輪郭を掴む程度の眼と自分にとって益か否かを判断する眼を会得したと言う自負のようなものがあった。
会話を通して分かった事は1つだけ。目の前の人物は底の見えない化け物と言う事だけ。
「詳しい話は省くけど、アウター・マリオネットの脳は人間のと大きく異なっているんだ。戦闘形態のためにね。それも感嘆すべきものだけど、僕が最も心惹かれたのはアウター達が持つラグなしのコミュニケーション手段。あの極小の存在が驚異のニューラルネットワークを持っているんだ。テレパシーと言っていい。もしこれを指導者たり得る者が持ったらどうなると思う? アウター・マリオネットを従えた無敵の軍隊の完成さ」
「……そんな物作ってまた戦争でもするの?」
「人類は賢くならなきゃいけないんだ。何故種としての滅亡の危機を経験したのに、未だに争いを止めない? それは愚かな者が多いからだ。こんな状態でまたアウターのような敵対生物と遭遇したらどうする? 僕はね2度も人類が蹂躙されるのを見たくない。団結するしかないんだ。でも今の人類では難しい。だからこそ愚かな者は傀儡となり指導者に従うだけの存在になるべきなんだ」
「王様にでもなるつもりなの?!」
「僕が? 僕は指導者になれるような器じゃない。僕はただ人間が大好きなだけだよ」
*
「おいーっすセオの旦那」
少年―ケイタ・オーリック―はとても困っていた。
課長がエレベーターの中へと消えてから10分少々。その場には少年とどちらかと言えば寡黙なセオと、無表情のイオンしかいなかった。セオは話し掛ければ答えてくれるのだが、向こうから話を振って来る事はなく、ケイタも話題を豊富に持っているわけではないためあっと言う間に静寂の空間となった。本来であればそれを打開するのは年長者であるセオの役目なのだが、ここでは役に立たないと判断した彼はイオンに話を振る事にしたのだが。
「俺ケイタ・オーリックって言います。よろしくお願いします」
「……」
「……あのお名前は?」
「イオン・オーウェン」
「……」
「……」
「……」
「……」
待てども待てども二の句が出る事はなかった。年上で綺麗な女性との久しぶりの会話に小躍りしていた心は、急転直下しすっかり萎えていた。セオの隣に座ったから仲がいいのかと思えば2人は終始無言。静寂を通り越し非常に居心地の悪いになってしまっていたところに、暗雲を切り裂く聖剣の如き明るい声が響いた。
弾かれたように顔を上げると、金髪オールバックにだらしなくスーツを着崩したホストみたいな男が手を振りながらこちらに来ていた。普段であれば関わりたい人種ではないが、この時ばかりは藁にも縋りたい一心で声を掛けた。
「ケイタ・オーリックです! よろしくお願いします!」
「お、おう」
熱血漢染みた自己紹介を受けた金髪は戸惑いの声を出したが、ケイタを囲む惨々たる環境を見て理解した。
「おっそろしい空間に取り残されてんな少年。俺はバート・カルバート。短い間だけどよろしく頼むよ」
そう言うと彼は手を差し出した。ケイタはそれが握手を求めている事にすぐに気付けなかった。自分が汚い事を自覚しており、ここに来てからもソファー以外のものに触れないようにしていたのだ。
「俺の手、汚いですよ」
「博愛のバートで通ってる俺が、体がちょいと汚れてるだけの少年を冷たくあしらうと思いかい? 俺が真に嫌いなのは心が嫌いな奴!ってね。確かに暮らしは辛いだろうが、卑屈になるこたぁない。卑屈になっちゃ這い上がる気概も湧かないぜ。モチベーション保ってたらチャンスが見つかるもんさ。お勧めはエロいねーちゃんとエロい事するまで死ねるか、だ。俺はこれでいくつものピンチを抜けて来たんだぜ?ちゅーわけでよろしく!」
「……はい。お、お願いします」
嬉しくて涙が出たのはいつ以来だろうか。足元に落ちる涙の滴を見ながらケイタはそう思った。
「おっまたせぇーん!」
野太くどこか粘っこい声が辺りに響き渡るまでは。
声の主を確認しようと顔を上げたケイタは完全にフリーズした。
筋骨隆々の焼けた肌にスキンヘッド、だけならば筋トレが趣味の男で済んだだろう。だがマスカラにアイシャドウにグロテスクにテカる唇が男の異様さを際立てていた。ケイタの脳裏に何故か狩りをする雄ライオンの姿が過ぎった。見た事のない物体に戦き、固まっていた。
「あんら、可愛い子がいるじゃない。私の名前はゴア・ハート」
「ケケケイタ・オーリック、です」
差し出された手を握り返す。その手は温かい、を通り越して熱く、そしてどこか湿っている気がした。バートの言葉に溢れた涙は止まり、代わりに冷や汗が止めどなく流れていた。
やたらとウィンクしてくるのはドライアイだからと自分に言い聞かせ、焦点をずらしながら応対する。
投げキッスも口紅を落とそうとしているだけだ……!
「姐さん、ケイタが困り果ててるからそろそろ止めてやってくれねーかな」
ケイタはバートを兄と慕う事を決めた。
「個人でバレずにそう言う事をするのは構わないけど、流石に事件の関係者且つ僕の目の前でやられちゃ無視は出来ないよ」
と、遅れて来たアクセルが言った。
「セオとイオン、筋髪に別れて駐車場にある車載式プラットフォームに乗り込んで。スラムの1キロ手前まで行って、そこからは下水道を使って。整備されている下水道ならフロネシスが案内出来るけど、そこより先はその子に案内してもらって。入口の周辺の封鎖はもう完了してるから」
フロネシスがインストールされたメモリーチップをセオに渡す。
「なあおやっさん、いつも聞きたかったんだけど何で複数のチームで当たる時俺達にフローネ渡してくれねーの?」
「金髪はどこかで紛失しそうだし、筋肉はふとした拍子に壊しそうだからだよ」
「ひでーすっよ、ねぇ姐さん?」
「そうよ、私達のどこを見てそんな事思うのよ? よく見なさいよ」
「よく見てるからこそなんだけどね。そもそもバートに関してはフロネシス直々に拒否していてね。視線が不快だそうだよ」
「え、え~……」
ケイタにとってバートは尊敬出来る大人であったが、完全無欠の人間はいないのだと改めて実感した。彼自身のセリフでも想像出来るが、どうやら女性関係で難があるようだ。
どちらかに搭乗するよう言われ、気まずい空間か身の危険を感じる空間かで迷いに迷い、ケイタは前者に決めた。
*
「これが……AERAS」
トレーラーの後部から乗り込んだケイタの眼に入り込んだ、群青一色の鋼鉄の人型。戦いのために生み出された、闘争の申し子。数多のアウターを葬り、幾多もの装着者と共に散っていった。
このAERASも既に戦場を経験しており、表面に細かな傷があった。ただそれだけなのに、ケイタは知らずに固唾を呑み込んでいた。
「あまり寛げる場所じゃないが、備え付けの椅子に座っててくれ」
ドアが閉められる。
目まぐるしく変わっていく状況に緊張していたのか、1人になった途端長い溜め息を吐いた。妹は無事なのだろうか。男達の顔を思い出すと、あの時の恐怖が蘇って来る。突然鳴り響く銃声と、それに続く怒声。日々の糧を得る事さえ難しい生活だったが、圧倒的な暴力に晒されるなど想像した事もなかった。すでにどん底に浸っていると言うのに、何故それ以上の仕打ちを受けなければならないのか。
今までであれば、バートに会わなければそう腐って終わるだけだった。卑屈になるな、と言われた。どうせ、なんて思っていたら何も変わらない。妹にオシャレもさせられずに、美味いものも食わせられずにいていいはずがない。この状況は途轍もないピンチだが、同時に街の人と出会える唯一のチャンスだ。何としてでも伝手を手に入れなきゃいけない。
どれぐらい経ったのか。強く決心しても考える時間があればあるほど、焦りが生まれて来る。敢えて考えないようにしていた、連れ去られた妹の安否。意識した途端冷や汗が噴き出し、吐き気も催してきた。そんな状態だからトレーラーが止まった事に気付いていなかった。ドアの開く音に酷く驚いてしまい、セオも驚かせてしまう。
「大丈夫か?」
「あ、あの、妹は……無事でしょうか?」
ケイタは安心したかった。こんな不安定な状態は、親が死んだと分かった時以来だ。だからたとえ確証がなくともセオに生きている、と保証して欲しかったのだ。
「恐らく無事だろう」
だが淀みなく吐かれた言葉には確信が込められており、そう答えて欲しかったはずのケイタの方が困惑してしまった。
「妹は自分を囮に君を逃がしたんだろう?」
「はい、そうです」
「君が言ってた奇妙な男はそう言う強かな気概を持った人間が大好きなんだ。そう言う相手には柔らかい態度で接するし、他からの暴力も止める。その上当初の目的も忘れて長く話し込む。だから無事である可能性は高い」
「……あの男の事知ってるんですか?」
「昔会った事がある。君が言った特徴を聞いてピンと来たよ。すまないけど降りてくれ」
セオの言葉に従い降りるために席を立とうとすると、彼の横をイオンがすり抜け入って来た。ケイタには一瞥もくれず、プラットフォームの前で止まり徐に服を脱ぎ始めた。
「うわああぁ!」
「待てぇイオン! ケイタ君早く降りるんだ!」
両手で顔を覆い、少し後ろ髪を引かれつつも慌てて走る。ドアを閉じたセオは溜め息を吐いた。
「すまん。イオンは少し複雑な生い立ちでな、ああ言う事に無頓着なんだ」
複雑な生い立ち。少し見えた肌色を頭の中から追い出すために、失礼かもしれないがその生い立ちを想像してみた。全く動かない表情などはそれが原因なのだろうか。自分のように両親が死んでしまったのか、それとも長く戦場にいて麻痺してしまったのか。
両親を亡くし妹と共に底辺の生活をしながらも健全な精神を持つケイタと、破滅願望を抱くほどの経験をしながらもまともな生活を送るイオン。不幸なのは果たしてどちらなのだろうか。
答はまだ分からない。2人はまだ生きているのだから。答が分かるのは死ぬ間際の当人だけなのだ。