第2話その4
「イオン、着替え終わったか?」
「終わりました」
手の部分のズレを直しながらドアを開けたイオン。
ティーンエイジの少年に肌を見せた事については何とも思っていないようで、未だに顔を赤面させているケイタには視線を向ける事も声を掛ける事もなかった。彼女が無頓着っぷりは彼女の生まれに起因しているが、未だに変わらないのは完全にセオのミスだった。
彼は性欲がほとんど枯れている状態であり、女性の裸に羞恥や興奮を覚える事がなかった。だからアンダースーツに着替える時も時間短縮のために一緒に着替えていたのだ。異性に対して妄りに肌を見せてはいけない、と言う至極当たり前の事を教えていなかった。彼女の精神は未だ幼い子供のそれなのだ。常識と言うものは、成長と共に学んでいき社会に出る前に大凡の事を学び終える。彼女のその期間は丸々抜けており、絶賛学習中なのだ。それには周りから、特にパートナーであるセオのサポートが必要なのだが”出来て当たり前”と無意識に思ってしまい中々上手くいってなかった。
彼女と入れ替わりで中に入りパッパと着替えるセオ。プラットフォームを起動させ、AERAS着用シークエンスを開始する。その様子をケイタは目を輝かせて凝視していた。開発目的を考えれば決して目を輝かせ見ていいものではないが、男子と言うものは得てしてメカに興味を抱いてしまうものなのだ。
背中の開口部が密閉され、着用シークエンスが完了する。四肢や胴体が太くなる事で長身で筋肉もあるはずの生身のセオが、ケイタには妙に小さく感じられた。逆に女性特有の細い体付きだったイオンが身長に差があるとは言え、横幅がほぼ同じになっている姿も奇妙に感じられた。特にメットを被っていないと、顔とそれより下とのバランスが完全に崩れておりデッサンの狂った絵を見ているようだった。
「おまた~」
無骨な外見のAERASがクネクネと科を作りながら歩いて来る様は、それ以上に奇妙で気味が悪かった。近寄られたくない彼はセオの背後に隠れる事にした。
「よし、行くぞ」
マンホールの蓋に手を掛け、持ち上げる。空気の通り道が出来た事で漏れ出す強烈な悪臭。ケイタにとっては毎日嗅いでいる臭いだが、街に住んでいる人間にとっては耐え難いものだった。敢えて口には出していないが、顔を顰めているのを見れば不快に思っている事が分かる。
「くさい……」
全く警戒せず鼻呼吸をしていたイオンは初めて嗅ぐ悪臭に涙目になり、AERASで器用に鼻を摘まんでいた。
「ごめんなさいイオンちゃん。こらセオちゃんと言っておきなさいよ!」
「すまんイオン。メット被っていいぞ」
口を開け頬が膨らむ程息を吸い止める。余程臭かったのだろう。メットと頸部装甲との接続を確認し、大きく息を吐いた。タイミングを合わせバートとゴアがセオを見ながら溜め息を吐いた。無言の非難。しっかりしろお父さん、と。目を合わせず手で御座なりな返事をし、メットを被る。逃げたな、と2人の丸聞こえの呟き。
「……オレが先に降りる。問題なかったら合図を送るから、ケイタ君が降りて来てくれ」
「分かりました。気を付けて下さい」
「ありがとう」
梯子を使わずに飛び降りる。穴からの光はスポットライトのようにしか床を照らさず、周囲は暗闇に包まれている。突然の光とAERASに対するアクションはない。
「赤外線、アクティブソナー」
単語を区切りながら、2つの機能を起動させる。
視界確保のため、光から外れ暗闇に身を置く。膝立ちになり、ライフルモードのSWHを構える。左右に伸びる足場に人影はない。バイザーに表示されるアクティブソナーにも、壁や天井など以外に映るものはない。
「イオン、ケイタ君に降りるよう伝えてくれ」
『分かりました』
カツンカツンと降りる音が響く。降り切ったケイタは珍しげに辺りを見回す。自分が普段道として使用する下水道とは全く違っていたからだ。通路を塞ぐ巨大な瓦礫はなく、壁に走る亀裂や剥離している箇所もない。きちんと舗装された床に壁に天井。目立つために白く塗られたそれらは彼に綺麗な下水道だ、と矛盾した感想を抱かせた。
重い着地音が立て続けに響く。
「ケイタ君を真ん中にして置いて移動するぞ。フローネ、ナビ頼むぞ」
先程も聞いた名前。だがその場に姿はなく、一体誰の事を指しているのだろうかとケイタが疑問に感じた直後、まるで見計らったかのようにフローネの声が響く。
『そう言えば自己紹介がまだだったわね』
いくら透き通った耳に心地よい綺麗な声でも、暗闇の中で不意に聞こえれば恐怖の対象となる。ケイタは体を大きくビクつかせ、慌ててセオの陰に隠れた。唯でさえアキラの事でナーバスになっており、降って湧いた恐怖体験に体を震わせる様は見ていて可哀想になるほどだった。
『ごめんなさい、そこまで驚かせるつもりはなかったの』
その謝罪の言葉と自分以外が全く慌てていない事に気付き、震えていた体と踊り狂っていた心臓は落ち着きを取り戻し始めた。
『私はS級AIのフロネシス。驚かせて悪かったわ』
「ケイタ・オーリックです……って、AI?」
彼の知るAIとはあまりに違うため、思わず聞き返してしまう。彼の中でAIとは事務的な遣り取りと、テンプレートに沿った言葉しか話さない存在だった。
「普通の人なら驚くわよねぇ。キャリアーを指名するぐらいなんだし」
『しょうがないじゃない。ゴアは力が強過ぎるから持たれるのが怖いのよ』
「俺も異議あり! 綺麗なレディを手放すなんて事しないっす!」
『本当は初対面で口説いて来た時から好きじゃないの』
「ええっ?!」
S級AIと言う存在がどれ程の性能を持っているのか想像も出来ないが、今の会話の応酬から他のAIとは一線を画していると言う事がよく分かった。仲の良い友人同士が話しているようだった。
「おしゃべりはそこまでだ。遠足に来た訳じゃないんだ」
呆れた声だが心底からではなく、仲の良さを感じさせるような声色だった。そこでやはり気になるのが、会話に全く参加しないイオンの存在だ。上での遣り取りを見る限り仲が悪いようには見えず、何故ここまで無関心なのか分からなかった。
彼にとって会話とは人とのコミュニケーションの手段以上に、安心を得られるものと言う認識が強い。親を亡くした彼は、妹のために強くならなければいけなかった。弱音を捨てたつもりだった。だが20にもならない子供に周囲は容赦しなかった。荒波に削られていく心。妹と言う存在がいたからこそ、摩耗し切らなかった。アキラと話す事で役目を思い出し、そして救われた。
セオが言う彼女の複雑な生い立ちが彼にはどんなものかは分からない。だがまともなものでない事は分かる。だからこそ何でもない会話が必要なのだ。自分がそんな事を言う事は烏滸がましいかもしれないが、自分を助けてくれた人達に恩返しをしたいと思うのは当然のはずだ、とイオンの背中を見ながら彼は思った。
*
闇に紛れる鋼鉄のAERASに前後を挟まれ、ケイタは威圧感と安心感を同時に味わっていた。
彼の負担にならない速度で移動するセオ達。弱音を一切吐かない彼の姿は好感を抱かせた。
戦争を通し消せないほどに染み付いたものは、曲がり角に差し掛かる度にお互いのカバーポジションへと動かせた。どれ程熟して来たのか、その動きに淀みは一切ない。その動きを格好良いと感じたケイタは、本職がいる前でついつい真似してしまう。後ろから聞こえてくる忍び笑いにハッとし、見る見るうちに赤面していった。
「可愛いわね~」
これが若く綺麗な女性から言われた言葉ならより一層羞恥と若干の嬉しさを感じるが、筋骨隆々のオカマに言われれば昇った血も急転直下の恐怖の言葉となる。間にバートがいるのは彼の気遣いだろう。
しばらくすると、先頭のセオが速度を緩め始めた。その先はまるで境界線があるかのように景色が一変していた。塗装は全て剥げ、下水と同じ濁った色だけ。外部からの衝撃による亀裂は床に天井に壁と縦横無尽に走る。内部での戦闘による崩落に陥没は下水道にアスレチックを生み出した。視界の中に綺麗な箇所など1つとしてない。スラム街と同じ戦争の記憶を剥き出しにしていた。
『ここからがスラム街だ。フローネ、マッピングの補助頼むぞ』
『任されたわ』
「ケイタ君そこからでいいから案内してくれ」
瓦礫や崩落のせいでそれまでの速度を維持出来ないと思っていたが、慣れた道と言う事と元々高い身体能力が合わさり、スムーズに進めていた。
「酷い状態っすね」
まるで戦場だ、と口の中で呟いた。
行き場のない下水が水位を上げ、沈んだ側道を移動中にバートが言った。戦場の荒れ具合に比べればマシなはずなのに、何故かより悲惨だと彼には思えてた。
戦場が荒れている事は当たり前なのだ。だが戦争はもう終わり、ここは戦場ではない。本来ならば日常を感じさせる場所なのだ。それにも拘らず、スラム街も含め様相は戦中のまま。だからこそより悲惨だと思ってしまうのだ。
*
武装した男達は困惑していた。何故なら雇い主であるメンスは捉えた浮浪者に対して実験をせず、かと言って自分達に指示を出す事もなく少女とオセロをやっているのだから。逃げた兄が助けを呼んで来る可能性を考えれば、見回りなりして警戒すべきなのだ。そう進言したが、生返事をされるだけで碌な反応がなかった。仕方なしに勝手に見回っているが、それも結局真面目にやっている訳ではなく歩いている最中の汚れを気にしているレベルで、とても効果があるとは思えなかった。
どうするか、と小声での遣り取りを見ているアキラ。誘われるままにやっているが、異常な状況の中での更なる異常な状況は、精神にかなり来るものがあった。
「……あんたは何がしたいんだ?」
「角を取りたい」
「オセロの事じゃない。アタシ達をいつまでここに置いておくつもりなんだ」
「もーそろそろ助けが来るんじゃないかな?」
喜ぶべき言葉だが、アキラは自分には全く関係ない事のように言ったメンスの態度に思わず心配するような言葉を放っていた。
「助けが来るって、アンタ捕まるんだぞ? 第一アタシに何もしないで、一体何が目的なんだよ」
「だいじょーぶ、足止めの手段ならいくらでもある。後君に何もしてない事だけどね、可哀想になっちゃったから止めた。確かにアウターで脳を変異させればマリオネットも自由自在なんだけど、よく考えたら君みたいな若い女の子にやらせるものじゃないなって思って」
「……」
天使と悪魔が同居しているのではない。混在しているのだ。悪魔的所業を行いながら、情を忘れていない。人を平気で笑いながら殺す事が出来るのに、子供だからと情けを掛けてしまう。どちらも本性。まともではない。
今更ながらにアキラの背を怖気が走った。
「それに後出しになっちゃうけど、実験自体はもう成功してるしね」
「それって……」
「僕の脳みそは変異してるよ。いやー自分の命掛けると気合いの入り方が変わるね」
「アンタ、狂ってるよ……」
「言われ飽きたよ、その言葉は。……ん? そうか、分かったよ」
脈絡なく吐かれた言葉にアキラは戸惑った。明らかに自分以外の誰かに語り掛けているのだが、ここにはいるのは自分だけ。最後の駒を置き、立ち上がる。
「いやー結局勝てなかったよ。アキラ君はここにいるといい。時機に助けが来る。僕は逃げさせてもらうよ」
そう言い、メンスはスキップしながら闇に消えていった。
*
『ストップ。100メートル先の曲がり角の向こうに動体反応。人数は少し多いわね。7人いるわ。後30秒で姿が見えるわ』
「あそこの十字路まで進んで迎撃だ」
ゴアとバートが反対側の側道へと移動。足音を殺しながら十字路まで走る。イオンとバートが前方で膝撃ち、セオとゴアが後方に立ち撃ちで待機。武装集団との距離は、相手が姿を見せた時点で50メートル程になる。生身の人間がSWHを装備したAERASに抵抗出来る訳がなく、姿を見せた瞬間に戦闘不能となるだろう。
「ケイタ君はそこの十字路に入ってるんだ。絶対に顔を出したりするんじゃないぞ」
「わ、分かりました」
間もなく始まろうとする銃撃戦に、彼の心臓は否が応でも高鳴っていく。感じた事のない肌を突き刺す緊張感。目の前で命の遣り取りが行われようとしているのだ。
『セーフティ解除』
『セーフティ解除、了解』
『OKよ』
『了解っす』
『接敵まで10秒。…………5、4、3、2、1、』
姿を現した集団は既に手に持つ大ぶりな火器を構えていた。だが携行火器の類でAERASを破壊出来ると思っていないバートは、その大きな火器にも怯む事なくトリガーに掛けた指を引こうとしていた。それはイオンも同様の事で、自覚なく昂っていく神経に言われるままトリガーを引こうとしていた。もし2人だけだったら気付けなかっただろう。人が持つには少し大きいライフルが、化け物を殺すために造られた化け物ライフルである事に。
それに気付き動いたのはセオとゴアだった。それぞれのパートナーを抱えながら横の通路に飛び込む。次の瞬間、携行火器とは思えない轟音と共に吐き出された弾丸が、壁をまるで発泡スチロールのように抉っていた。一瞬でも遅れていたらAERASとて蜂の巣になっていただろう。
飛び散る瓦礫がAERASを叩く。
『この音にこの威力……!』
『ええ間違いないわ、20ミリライフルよ』
20ミリ。対人ならば容易く肉塊に変えるこの化け物は大型のアウター用に製造された代物だ。アウターに乗っ取られた生物に共通する特徴として驚異的な再生能力と、硬質な外皮が挙げられる。後者は大型になる程顕著になり、像などの大型生物相手では対人用の火器では全く歯が立たなくなる。しかし対抗策は至極単純な事。弾丸を巨大化させ、火薬の量を増やせばいいのだ。そして出来上がったのが、最低でもアンダースーツを着なければ撃つ事は疎か、持つ事も出来ない20ミリライフル。
だからこそセオとゴアはこの事態に驚愕し、焦っていた。
『何であいつら生身で撃ってんの?』
『単純な事だ。あいつらは……アウターだ』




