太陽嫌いとおでかけ
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高貴な吸血鬼がおっさんと親交を深めるお話の第3話です。
気分次第で更新予定
朝にしては少ない窓からの日差しが目を覚まさせる。それは今が昼時であることを知らせていた。
起き上がる気力もないので、まだ眠い脳で昨晩あったことを思い出す。そういえばガーネットはどこへ行ったのだろうか?凄く甘やかされていたような気がしたが……ガーネットは近くにいない。気のせいだったのか?いやはや危ない……こういう考えに惑わされる奴が勘違いセクハラオヤジになるのだ。
そんな考えは、枕元からのガチャリという音と共に遮られた。
「もう12時前なんだけど? 早く起きなさいよ林太郎」
「今日は休日だぞ……もう少し寝させてくれ……」
「そ、じゃあそうしてなさい」
瞬間、首元に近付いてくる気配とやけに胸やけがしそうな甘い匂いを感じ取った俺は昨晩の吸血を思い出し、跳ねるように飛び起きた。
「あら……起きないんだったら血を貰おうかと思ったんだけれど……起きちゃったのね」
「ただでさえ生活習慣病1歩手前みたいな体なんだ、寝起きの体にそれはいよいよ入院案件になりかねないからやめてくれ……」
ただでさえ首元には昨日の激痛がジンジンと尾を引いている。今吸血なんてされてしまえば俺の首は痛みで1日変な方向に曲がってしまうかもしれない。そう思い傷口に手を当てると……
「あれ? 治ってる」
「契約した影響で治癒力も上昇してるみたいね。よかったじゃない」
どうやら先ほどまでのジンジンとした痛みはプラシーボによるものだったようで、傷口はかさぶたになるどころか、何も起きてはいなかったかのように消えていた。痛みすらも完全に消え去り、体はいつもと変わらない調子を取り戻している。というか契約した影響って何?そんな影響が出るようなものなのか?にしては何も説明をされていないが?どこかで問い質さないといけない。そんなことを考えていると……
「ボサッとしてないで早く顔洗ってきなさい。もうご飯できてるんだから」
「はいはい……若いもんにはゆっくりしたいおっさんの気持ちはわからんか……」
言われた通り、洗面台へと向かう。顔を洗いながらふと今朝の事を思い出した。あの甘い匂いはなんだったんだ……?それがガーネットのものであることは分かったが、昨日出会ったときはそんな匂いしなかったはずなのだ。香水なんて小洒落たものはうちには当然ないわけで……
ただ、馬鹿正直に『お前から甘い匂いがするのはなんでだ?』なんて聞けばイメージダウンは避けられない。唯希のようなイケメン陽キャならともかく俺はさえないおっさんなのだから。セクハラだと言われたら即豚箱行きになってしまう。
「あなたちゃんとスキンケアした?」
「え? いや特に何も……」
「だと思ったわ……ほら、貸しなさいやってあげるから」
「いやでも別に」
「昨日も言ったでしょう? あなたは私の契約者なの。外見には気を遣ってもらわないと困るのよ」
気付かぬうちに背後に立っていたガーネットが呆れた表情をしているのが鏡越しに確認できた。よくもまぁそんなアニメみたいなジト目ができるものだなと楽観的なことを考えていると、彼女はこれが化粧水でこれが乳液だとか塗る順番はこうだとかよくわからない呪文だか母国語だかを唱え始めた。
単語には聞き覚えがあったので、なんとなく生返事を繰り返していると、ガーネットは俺の顔へとその液体を塗りたくっていた。
「今日は出かけるわよ」
「どこに、なぜ、俺は家から出たくないぞ」
「私の服とか靴とか買いに行くのよ。このドレスの格好じゃ浮きすぎちゃうでしょう?」
「俺があげたやつがあるだろ?」
「あなた正気? あの服1枚で過ごせるわけないじゃないのよ」
「ふーん……そういうもんか」
俺にとっての朝食を食べながらそんな会話を交わす。昨晩のなんちゃってパンツスタイルも結構似合っていたが、あれだけでは足りないらしい。まぁよく考えたらそりゃあそうか。服なんて何セットか持っておくものだしな。
「でもお前昼外出れるのか? 吸血鬼って日差しに弱いんだろ?」
「生物がいつまでも弱点を克服せずいると思ってるの? 吸血鬼だって進化するのよ。今は日光とか別になんも問題ないわよ」
「ふーん、そうなのか」
吸血鬼も生物だ。そりゃ進化もするか……ってことは同じ魔界に存在するであろう狼男だとかスライムだとかも弱点を克服してるんだろうか?そんな奴らが襲って来たらもはや人間は太刀打ちできないんじゃないか……?明らかに人間より上位の存在になってしまっている。
魔法なんてものが使える人間がいるはずもないし意外と人間界の終わりは近いのかもしれないな……
「ちなみに私はシンプルに日光が嫌いよ。だからあなたの影の中に隠れて移動するわ」
「結局無理なんじゃねえか! ってか、それなら通販じゃダメなのか?」
「せっかく買うなら試着したいじゃない」
「うーん、まぁ……確かに……?」
正直服なんて清潔であればなんでもいいと思っているわけだが、どうやら彼女にとってはそうではないらしい。
ごちそうさま、と食べ終えた食器を片付け、出かける準備をする。飯はイチゴジャムのトーストだった。別に特別な事はしていないように見えるのだが、俺が昔作っていたものより何倍も美味しい。ジャムの味わいから違う気がするのはトーストの焼き加減とかが関係しているのだろうか?
「あら、もう行くの? なんだかんだやる気満々じゃない♪」
「断じて違う。面倒ごとは早めに終わらせたいんだ」
「なっ、今あなた面倒ごとって言った!?」
「いや言ってないな。勘違いじゃないかな」
「なんでそんなバレバレな嘘つくのよ! 全く……デリカシーなさすぎじゃない? ……そんなこと言ってるから彼女はおろか女友達もいないのよ?」
「余計なお世話だ。てか今更だが何で彼女も女友達もいないことをお前が知ってんだよ」
「そりゃあ見ればわかるわよ。考えてもみなさい? 趣味は酒煙草でお洒落もロクにしないし休日の過ごし方はインドア派。女友達がいたらこんな始末にならないもの」
「もしいたとしてもそんな変わんなそうだけどな……もう33だぞ33、年相応だろ」
「まだ33歳じゃないの。何諦めてんの? 恋愛はマインドが大事なんだから。そんな事ばっか言ってたらあなた本当に独りで死ぬわよ」
そもそも俺に近付いてきてくれるほど出来た人間がいるなら俺はそいつに唯希を紹介するだろう。その方が相手にとって間違いなく幸せだろうし、あいつも輝く。それこそ唯希に嫌悪感を持っているとかでもなければ間違いなくそうする。まぁそんな人間がいるとは思えないが……
30代の体力は貴重なのだ。俺のための恋愛だとかそんなことに使っていいリソースは存在しない。
「……まあいいわ、とにかく早く行きましょう? 久々のショッピングだもの、いっぱい楽しみたいわ」
「急かすな急かすな……煙草は……あぁ、全部捨てたんだったな……はぁ……」
正直たばこがないと不安で仕方ないし、今もストレスがやばい。だが不思議なことにこの生活に不満はなかったし、今では禁煙に前向きな気持ちになれている。
こいつの目を欺いて吸ってやろうか?などとも思うが、十中八九臭いや吸血でバレるだろう。そうなれば叱られるのは目に見えているしそれはなんとなく嫌だった。
「じゃあ、行くか」
「えぇ」
俺の背後へと歩み寄ったガーネットの姿は次第に溶け始め、俺の影と一体化した。その影は寸分の違いもなく俺の動きを真似していた。まさかこの中に吸血鬼がいるなどとは誰にも分らないだろうな。
しいて言うのであれば、上から何かに抑え込まれるような感覚があるくらいだ。
『じゃーん、すごいでしょう?これが私の影に潜る力。私はこれのおかげで昼間も日光を避けて行動できるのよ』
耳よりも深い場所、脳から全身に響くように聞こえるその声。感じたことにない感覚に少々戸惑ったが、RPGや異世界バトル漫画なんかを若いころによく見ていた俺にはわかった。いわゆるテレパシーというやつだろう。そんなことまでできるのかこいつは?
『ちなみに、会話したいなら心の中で話したらこっちに聞こえるわよ』
『あー、聞こえてる?』
『えぇ、聞こえるわよ。これで外でも問題なく会話できるわね』
『……てか、なんか歩きづらいんだけど』
『この状態の私は佐藤 林太郎という存在と同一化してるのよ。1人分の命の重さを背負ってるから体はそれ相応の負荷を受けるわ』
『そういうことか……まぁこれくらいなら問題ないな』
そう言って玄関を出る。1月の昼下がり。未だ冬の真っただ中の世界は、夜に比較するといくらかマシだがそれでも殺人的な気温をしていた。お気に入りのロングコートを羽織り、ポケットのカイロを握りしめながら俺は最寄りのショッピングモールへと足を運ぶ。
その間、ガーネットは速く速くと俺の脳へ語り掛けてきた。どうやら影の中でも気温などは感じるらしく、寒さに耐えかねているようだった。一応コートを貸してやったがまぁそれでも寒いのだろう。あまりにやかましいので仕方なくカイロを影に落とすと、影はそのカイロを待っていたかのように吸い込んでいくのだった。
到着したショッピングモールは、正月シーズンを終え少し早めのバレンタイン仕様へと移ろいつつあった。ピンク色に彩られた店頭POPや、近くの店から聞こえる恋愛ソングが憂鬱さを刺激した。
「今年も1人か……」
そうつぶやくと、頭の中で響く声が1つ。
『萎えてるところ悪いんだけど人気の少ない所に移動してくれる? 人前で影から出るわけにはいかないわ』
『それもそうだな』
そういって階段の方へと向かう。近くにエレベーターがあるのでこの階段を使う人間はそういないだろう。道中にあった自販機でついでに買ったコーヒーを飲みながら階段の踊り場で待っていると、俺の影が少し濃くなった。
影は徐々に立体感を増し、それはマネキンのように俺の前に立つ。刹那、黒い影が洗い流されるかのように足元へと消えていく。腰まである長い白銀の髪と静脈を流れる血液のような暗い紅の瞳が現れ、そのマネキンは『ガーネット』という個体へと変貌した。
「おぉ……すごいな、こりゃ......人前で見せたら1発で人外認定だな」
「まぁバレてもなんとかならなくはないけれど……手間がかかることには変わりないわ、気を付けましょうね」
「一応言っておくが、もしそうなっても俺を巻き込むなよ?」
「無理に決まってるじゃないそんなの、私はあなたの影に入って移動してるんだからね?」
そんな冗談を交わしながら歩き始め、適当に店を物色する。俺からしたら服なんてものは大手チェーン店に売っている白黒の上下でいいのだが、女子にとってはそうでもないらしい。
ガーネットは俺1人ならまず入らないようなお洒落な店に入ってはこうじゃないああじゃないとぶつぶつ言っている。いやでも悟ってしまった。これは結構かかるやつだ……
「うーん……色合いはもう少し暗めな方が……」
「……」
「ねぇ、どっちがいいと思う?」
「どっちも買えば?」
「同じシルエットの服2着もってても仕方ないじゃないの、うーん……赤い方にするわ」
「そうか。で、値段は……あれ?」
そして気付く。この店の商品には値札がない。俺が知っている限りでは、それが指し示す事実は……
「ここって結構な高級店だったりしないか?」
「あら、よくわかったわね?」
「お前ふざけんなよ!?」
俺は確かに金には多少余裕はあるがそれでも一般人だ。そんな俺がこの店で服を買うって?そんなことは俺の身の丈に合わない。
「あら? 私は高貴な吸血鬼よ? それ相応の衣類を身に纏うのは責任であり義務でもあるのよ。ここは魔界でないとはいえ格好には気を遣わないと……」
「その代金を払うのは俺だろうが!?」
「ちょっと、騒がないで頂戴よ、お店の迷惑になっちゃうわ」
「今回だけ、今回だけ可憐な同居人のお願いだと思って……ね?」
「そういうことはその不遜な態度をなんとかしてから言え!」
「ちぇ、つれないわね……まぁいいわ、あなたの財布はここにあるんだから」
「……は? なんで」
ガーネットの手には俺の財布が握られていた。そういえばさっきから妙に上着が軽いような気がしていたが、これが原因だったらしい。いや、そんなことを考えている暇はない。早くガーネット止めなければ!
「ありがとう、また来るわね」
しかし、残念ながら気付けばもうガーネットはお会計を済ませて上下1セット分の服を受け取っていた。終わった……俺は悲哀の心で天を仰ぐ。一体いくらしたんだろう?きっと数万はくだらないだろう……
「俺の、俺の金が……いつかできる彼女のために貯めてたのに……」
「あなたの生活の面倒をこれから数十年数百年と面倒見てあげるんだから、これくらいは安い対価だとは思わない? 少なくともこの衣服の値段以上に私には価値があるわよ?」
それは紛れもない事実である。容姿端麗できっと家事も完璧にこなすし己の利益のためとはいえ俺の生活の面倒を見てくれている。これ以上にないほどに完璧な女性であることは間違いなかった。
「でも……それでもな……」
「……まぁ、悪かったわよ。私も反省はしてるわ。林太郎の優しさに甘えてた。ごめんなさい」
「まぁもう終わったことだ。気にしても仕方ないからな……せめてその服、大事にしろよ」
よく考えたら昨晩出会ったばかりとはいえこれだけ世話をしてもらっているのだ。これくらいはしかるべき対価だろう。寧ろこれだけで足りるはずがない……なぜなら俺と彼女は契約関係であり、その契約により今後人間には想像もできないような長い年月を共に歩むことになるだろうから。そう考えるとむしろ申し訳なくなってきた。なので……
「よし……今日はなんでも奢ってやる。常識の範囲内で、だけどな」
「いえ、もう充分過ぎるくらいよ。それに私はまだ林太郎と知り合って1日も経っていないもの。お礼をもらうには早すぎたわ。その厚意は素直に嬉しいけれど、気持ちだけ受け取っておくわね」
「いやとは言っても……ガーネット金持ってないだろ?」
「あら、私がいつそんなことを言ったかしら? 人間社会で生きてるんだから蓄えはちゃんとあるわよ。だからあとは自分で払うわ。ちなみにだけど、今日わざわざショッピングに来たのは服とか持ってくるのが面倒だったからよ」
……言われてみればそりゃあそうか。彼女ら異形の存在はいくら人外とは言え人間社会に溶け込んでいるのだ。金銭や資産など当然あるはずだし、人間として生きている以上俺たちが当然のこととして持っているものは彼女も持っているはずだ。
「……まぁ、お前がそれでいいならいいんだが……それくらいなら手伝ってやってもいいんだぞ?」
「うーん、そうね……じゃあ私の日用品とか肌着とかだけ1度取りに帰ろうかしら? 衣服とかは別にいいわ。段ボールいくつ分になるか分かったもんじゃないもの」
「それだけでいいのか? 趣味に関わる物も多少あるだろ」
「うーん……特に思いつかないけれど……趣味は料理とか編み物だから特別何かが必要ってわけじゃ……あ、裁縫セットだけ持っていこうかしら」
「それくらいなら大きめのバッグがあれば入りそうだな。じゃあ明日にでも取りに行くか?」
「えぇ、そうしましょうか。か弱い乙女を助けて頂戴ね?」
「か弱い乙女は食事で人の肉に牙を貫通させたりしたりしない」
そう言って買い物袋を受け取った俺は、楽しそうな表情でショッピングを再開したガーネットの後ろを追従するように歩き出すのだった。
時間は過ぎ、陽が地平線に隠れようかといった時頃になった。12時前後から外出していたので、何気に5時間近くも買い物に付き合っていたことになる。運動不足の俺にとってこれはあまりに苛烈で、休みたかった俺は帰宅する前にフードコートで休息をとっていた。
「はぁ……疲れた……」
「林太郎……あなた本当に体力ないわね」
「煙草に影響もあるんだろうけどな……もうおっさんだからな俺も、お前もこれくらいになればわかるよ……」
そんなおっさんのボヤきを吐き出しながらSNSを見ていると、
「そういえば林太郎勘違いしてそうだけど、あなたより私のほうが圧倒的に年上なのよ?」
「は?」
そんなあり得ないことを言いだすガーネット。
悪い冗談なら勘弁してくれ。その若さのお前が俺より年上なんだとしたら俺は一体なんなんだ、と心の中で叫ぶ。
「そりゃあ吸血鬼と人間では寿命があまりにも違うもの。 私は300歳よ。人間換算では23歳くらいかしら?」
「まじか……高く見積もっても女子高生くらいかと思ってたぞ」
ガーネットは吸血鬼だ。人間とは過ごす時間が違うのはよく考えれば自然な事だった。あまりの衝撃で頭が全然回らなかった自分を少々恥ずかしく思う。
「吸血鬼は一生かけてずっと見た目が若いのよね……理由は分かってないけど、多分吸血するときに生気も吸っちゃってるのかもね」
「おいおい、俺のもう数少ない生気をもっていかないでくれよ」
「まだ33なのに何言ってんのよ? 林太郎は生活習慣が終わってるだけで少なくとも生気は溢れてるわ。身なりをちゃんと整えればみてくれもすぐに若くなるわよ」
「マジで!?」
そんな会話をしていると、馴染みのある声が背中から聞こえてきた。振り向くとそこには……
「お、林太郎じゃん。珍しいね君が休日に外出なんて」
「おぉ敦也、1か月ぶりぐらいか?」
そこには俺の友人である此花 敦也がいた。この年になっても独り身の俺に対し、こいつは美人な嫁さんとかわいいガキを2人もこさえて順風満帆な人生を送っている。今はさしずめ家族でお買い物ってとこだろうか?その後ろには嫁の優香さんと長男の翼と抱きかかえられた次女の美空の姿があった。
「おじさんこんばんは!」
「おぉ久しぶりだな翼。前よりでかくなったなぁ」
「うん、もう小学1年生になったよ!」
「そうかそうか、いつかおじさんよりでっかくなるかもなあ」
「ぜったいおいこすからね!!」
「おう、楽しみにしてるぞ!」
そう言って翼の頭をワシャワシャと撫でてやる。なぜか俺によく懐いている翼。こいつは頭をこんな風に撫でられると心底嬉しそうな顔をするのだ。全くかわいいやつだと、そう思っていると
「林太郎、ちょっとこっち来てくれる?」
そう声をかけられた。その表情はヘラヘラとしていて、何かを企んでいるようにも見えてしまった。だが、敦也がわざわざ2人になろうとするのには何か理由があるはずだ。そう思い、ついていくことにした。
「別にいいけど……悪いなガーネット。ちょっと待っててくれ」
「えぇ、構わないわよ」
「優香もごめんな、ちょっとだけ待っててくれる?」
「気にしないでいいんだよ、行ってらっしゃい」
そうして俺は敦也の隣を歩く。学生時代はよくこうして通学路を歩いたものだ。そんなことを考えていると、フードコートの4人に声が聞こえない様なところまで来ていた。何事かと思っていると真剣な表情をした敦也が振り返って……
「林太郎……いくら相手がいないからってパパ活にまで手を出さなくても……」
「は?」
そんな悪い冗談を俺に告げてきた。
「君に彼女なんて出来るわけないし、嫁がいるわけでもないじゃん?だったらあんな若い子とショッピングなんて……」
「パパ活かキャバのアフター以外ありえないよね」
「違うわ! そんなわけないだろ馬鹿か!?」
「あ、怒った? まぁ落ち着いてよ。冗談だからさ」
そういってヘラヘラと笑う敦也。笑い事じゃないけど???
心中でそんなふうに俺は見えるのか、と悲哀に満ちたことを考えていると。敦也はまたも真剣な表情になった。先ほどの表情は演技だったのだろう。
「まぁ林太郎がそういう事に手を出さないことはわかってる。だから聞くけど、あの子どうしたんだい?」
「さっきも言ったけど今の君に彼女や嫁がいるとは僕は思えない。いくらか清潔感は増したみたいだけど……それにしても、ねぇ? あんなかわいい子どっから連れてきたんだい?」
瞬間、思考が硬直する。吸血鬼に血を吸われかけたけどきまぐれで契約することになりましたなんて言えるはずがない。かといって見た目からして血縁関係にないのはあまりにも明白だ。どう答えればいい?考えて、考えて、出した結論は……
「まぁなんか、いろいろあったんだよ。拾い子みたいな感じだ。飯を集ってきたから家事やるなら食わせてやるって言って、今は一緒に暮らしてる」
「ふーん、だから煙草やめたんだ。前に比べて煙草臭あんまりしないから何かと思ったけどそういうことね」
「まぁそんなとこだな、あいつが煙草嫌いだっていうから控えてんだよ」
「てか君は捨て子拾うような性格だったかな?」
「気まぐれだよ気まぐれ。ずっと1人ってのは寂しいもんだろ? 同居人がいれば多少は紛れるかと思ってな」
「いや僕に同意を求められてもその気持ちはわからないかなぁ」
「お前ずっと女が周りにいたもんな……本当に、羨ましい限りだ」
「はは、どの口が言ってるんだか……昔は君もモテてたじゃん?」
「さぁ、そんな昔のこと忘れたな」
「ははは、そうか……まぁ困ったことあったら言いなよ。僕は君のソウルメイトだ。力になってあげるよ」
「うーん……ガチで信用できないな」
「なんでよ!?」
そんなことで笑いながら最近はどうだと近況報告をした。家族への惚気を聞くたびにこいつはここで殺そうかとも思うのだが、それはそれとしてこいつが幸せに生活してるのは俺としてもうれしいことであったので見逃してやることにしている。
「はは、なんだかんだ林太郎が楽しそうでよかったよ」
「俺はいつだって人生楽しんでるぞ?」
「どうだか……少なくとも少し前の林太郎は楽しそうに見えなかったけど?」
「それは……」
言い返せなかった。別に家に趣向品がないことが人生を楽しんでないこととイコールになるわけではないが、少なくとも前の職場にいた時代は酒煙草くらいしか趣味はなかった。だからこそ、それが消えて不安しかないわけだが……
「まぁ無理はしないことだね。林太郎が病んでると酒が不味くなって仕方ない」
「それに関しては大丈夫だ、もう心配はかけない。今は人生の意味を見つけたからな」
「だと、いいけどね」
今は脇役として生きる人生を見つけたからもう前のように心配させることもないだろう。なんせ俺という人間にはそれしか価値がないのだ。だがそれは悪い意味じゃない。その事実を受け入れ、乗り越えたからこそ今の俺がいる。
だからこそ、もう余計な心配をかけないよう、できるだけ笑顔でからかい好きの癖に心配性な友人との会話に花を咲かせるのだった。
「ねぇ、名前はなんていうの?」
さっきの林太郎の友人の後ろにいた女性がそう声をかけてきた。察するに婚姻関係の女性なのだろう。
「ガーネットよ、出身は……」
「海外の方なんだね! こんなきれいな髪見たことないよ!」
「……なんだか、人間じゃないみたい」
瞬間、体中がザワつく。聞こえるはずのない……いや、聞こえてはいけないセリフだった。眼前の彼女の瞳は何かをとらえたかのように鋭く輝く。頭が高速で思考をする。私の人間への擬態は完璧なはずだ。バレるはずがない。なので……
「ふふっ、面白い冗談ね」
「ありがと♪ 昔から冗談は得意なんだよね♪」
違う。さっきの目は何かに気付いた目だった。私が吸血鬼だと確信してはいないようだが、何かの違和感を第六感で感じ取ったのだ。
よりにもよってこの私の潜伏を、一目見ただけで、だ。彼女は危険だ。もしかすると彼女も私のような人間界に潜伏する人外であるかもしれない……様々な可能性に思考を巡らせていると
「林太郎さんはね、昔から空っぽだったわけじゃないんだよ」
真剣な表情でそう語り出した。
「……空っぽってどういうことかしら? それに、そうじゃないって言うのは?」
言いたいことが掴めなかった。彼女は唐突に林太郎の事を話し始めた。それはどこか物憂げな……縋るような……そんな雰囲気を纏っていた。
「私があの人と知り合って交際を始めたのは21歳の頃。その時に林太郎さんとも知り合ったんだけどね」
「当時彼に対して抱いた印象はとても明るくて、誰とでも仲良くなれる子。そんな感じだったんだよ」
「あの人も林太郎は明るくていいやつだって、そう言ってた」
「でも、次会った時……私とあの人の結婚式に来た彼はそれはもう生気がなくて」
「それこそ、自殺志願者のような、何も希望が持てない……そんな表情をしていた」
それは私も感じたことだった。本人は自覚していないようだったが、私が彼と出会ったとき、彼は本当に虚無を体現したような顔をしていた。ゆえに、私に対して恐怖心を一切抱いていなかった。
自分の人生に価値を見出せない……だからこそ、彼は輝間 唯希という人間を主人公などと称して自分の人生を捧げようとしている。
「あの人から聞いた話だけど……あの頃の林太郎さんブラック企業勤めだったらしくてね。その影響か本当に何に関しても無関心で、1年ぶりの休みの土曜日を1日中ソファに座って何もせずに過ごしたこともあったらしいよ」
「……そう」
きっとその頃は煙草や酒をしていなかったのだろう。つまり、社会の理不尽にもまれた彼は趣味を楽しむということも忘れ、無趣味となり、何かをするどころか趣味を探す気力さえもなかったのだろう。
林太郎の様子からして、今はもうそのような企業には属していないようだが、その頃に心中で育ってしまった虚無が、今も彼を無意識のうちに蝕んでいる。
「私が彼と会ったのは今回含めてたった6回目だから何とも言えないけど、今の彼はどことなく希望を持ってそうな……少なくとも死ぬ間際の人間みたいな、そんな顔には見えない」
「私の最愛の人の親友がもし自殺なんてしたら私や子供たちも悲しくてきっと立ち直れないから……」
「だから、あなたが彼を幸せにしてあげてほしい。あの虚無から彼を救ってあげてほしいの。どういう関係かは知らないけどね」
そんなことを言う彼女に私は1つの質問をぶつけた。話を聞いていた時、ずっと感じていた事を……
「1つ、聞かせてもらえる? なぜあなたはそんなに彼を心配しているの? いくら旦那にとっての親友であってもあなたにとって林太郎は他人であるはずだけれど?」
「それは……私にもわからないかな。まぁ1つ、訂正をするのであれば……私にとって彼は他人ではないってことかな」
「旦那の親友ならば、私にとっても大切な友人だからね」
「……ふぅん」
私にはわからなかったが、どうやら今の彼は昔よりも楽しそうなのだそうだ。もし仮にそれが私との生活の始まりが要因なのであれば……
「もしその希望とやらが私が理由であるのなら心配は無用よ。私たちはあなたたちのような親密な関係とは全然違う関係……それでも深い関係にはある」
「お互いがお互いの利益を求める関係に過ぎない。だからこそ、私との生活に彼が希望を持っていようとなかろうと私はその関係を終わらせる気はないわ」
「……ふふっ、杞憂だったみたいだね、ごめんね変な空気にしちゃって」
そういって屈託のない笑みを浮かべる優香と呼ばれた女性。彼女は大きな脅威になり得る可能性を孕んでいる。それは事実だ……しかし、林太郎を心配し、初対面のこの私にこんなことを頼み込んでくるような人間だ。きっと私の存在を深堀りしてくるようなことはないだろう。
もし私がいなくなるようなことがあれば彼が再び虚無に支配されるリスクもある。
私としてもせっかく見つけた極上の食料をみすみす逃す気はない。この契約関係で彼が希望を持てるのであればそれも悪くはないだろう……
気付けば時刻は18時を指し示す。私の心の中で面倒な人間と契約を結んでしまった倦怠感とある種の責任感のような物がせめぎあっている。陽はすっかり沈み、顔を出したはずの月は、モールの窓にも、私の視界にも映らないのだった……
「じゃあ僕らは帰るよ。悪いね邪魔しちゃって」
「いや全然いいんだ、また飲みに行こうな」
「おじさんまたねー!」
そういって此花家は去っていった。すごい偶然があったものだ。こういう楽しいイベントがあるのであればたまに外出するのも悪くないかもしれないと、そう思っていると
「じゃあ私たちも帰りましょうか」
「もういい時間だしな。そうしよう」
冬の夜の訪れは早く、紅に染まった月が空を独占するかのように輝いていた。
ストロベリームーンというやつだろうか?その月に、なんとなく目を惹かれた刹那。前方へと手を引かれた。
「なにボケっとしてんのよ? 寒いんだから早く帰るわよ。風邪なんて引きたくないでしょう?」
「あぁ……そうだな」
そうやって並んで帰る2人の上で、月は少し明度を増すのだった……
帰宅した俺たちは早々に風呂と飯を済ませ、ソファでくつろいでいた。
「はぁ……、マジで疲れた……」
「でも楽しかったでしょう?」
「それは……まぁ否定はしないな」
久方ぶりのお出かけは非常に充実したものであったが、それと同時に莫大な疲労を体に残していった。今すぐに泥のように眠りたい。2日前までならすぐに床につく事が出来たが、残念ながら今後はそうもいかない。
「じゃあ、そろそろ私も食事をとろうかしらね」
「……はぁ……まぁ、そうだよな」
昨晩のガーネットは既に捕食行為を済ませていたため、されたことといえば契約と健康チェックと称した瞬間的な吸血程度のことだった。だが今日からは、こいつの食料となる血液を差し出すのは他でもない俺だ。
今日1日、ガーネットをただの同居人であると錯覚させられるほどに人間らしい活動をしていたわけだが、結局俺たちは捕食・被捕食の関係に過ぎないのだ。
「あなたも随分眠そうだし……食事が終わったらすぐ眠るつもりでしょう?だったらチェックも一緒にやっちゃおうかしらね」
「そういえば、食事目的での吸血は初めてだな……痛いのは勘弁なんだが……」
「そんな心配しなくても大丈夫よ、今回はちゃんと魔力で痛みを抑えてあげるから」
本来、吸血の痛みとは耐えがたいものだ。それこそ、気を失うほどに。根拠はガーネットを初めて見た時に捕食されていた人間だ。彼の周囲には抵抗の形跡すら残ってはいなかった。それと過去2回噛みつかれた経験からも、その痛みが人間が到底堪えられないレベルことを本能的に理解していた。
ただ、どうやらガーネットの魔力を流すことによってその痛みを快感へと置き換える事が出来るらしい。
……本当に信用していいのだろうか?まぁどうせ俺には拒否権はないわけだが……
「じゃあ、首元失礼するわね」
チェックを兼ねていることもあって、今回も首から血を吸うようだ。
またあの痛みか……と構えていると案の定、既知の痛みが体中を走り抜けた。それは皮膚を、肉を、血管を強制的に破る感覚。ただ、先の2度のこの行為の影響か脳はこれを危険な行為だと認識しなくなったようで、前回までと比較して痛みはあまり感じなかった。いやはや慣れとは恐ろしいものだ。
そうして気付けば訪れる脱力感。人が生きて経験することのできないほどに多量であるが、俺に限っては決して命が脅かされない失血。
フラっと思考が白く染まり、ガーネットへともたれかかる構図になるが、ガーネットはそれをしっかりと支えてくれていた。
血管を引っ張る痛みはいつしか快感へと置き換わり力ない身を震わせる。性的快感などではない。形容しがたい快感がそこにはあった。
空気中に漂うガーネットの甘い香りとチューチューと血液を吸う音。そして、その間を縫うように生々しく響く嚥下音。吸血鬼の捕食という行為によって半分以下にまで落ち込んだ俺の思考能力は、ガーネットという個体の甘美なる攻撃により完全に0へと叩き落されるのだった……
どれほどの時間が経過しただろうか? 人生初の吸血鬼による捕食というイベントを乗り越えた俺にそれを判断することは叶わない。
牙を引き抜いたガーネットは傷口からあふれる血を軽く舐め取る。そのくすぐったさが俺を正気へと引き戻した。
「ごちそうさま。どうだったかしら? 初めての食事は」
「変な感じだ……一切合切体に力が入らない……」
「途中私にもたれかかってきたものね。まぁ無理もないわ、普通の人間なら死んでる量を吸ったから」
「そうか……」
「1週間もすれば慣れるんじゃないかしら? 慣れってすごいのよ、お姉さまの契約相手なんて捕食後も平気で活動してるみたいよ」
「それにほら、噛み跡ももうすっかり消えてるわ」
先ほどまで首に染みついていた痛みは、いつの間にやらどこかへ旅立ったようだ。ただの重度の貧血症状……いや、それすらも徐々に落ち着きつつあった。俺は普通の人間なのだ、こんなことは普通ではない。
「そういえば聞きそびれたが……なんで俺の傷の再生が早いんだ……?」
「んーそうねぇ……簡単に言えば、魔力の影響かしらね。私が流した魔力が自然治癒力という形であなたの体内に残ってるのよ」
だから契約の影響だと言ったのかと、ようやく理解した。契約したとき、血液だけではなく、同時に魔力も流し込まれていたのだろう。何か引っかかるような感覚を覚えたが、今の脳ではその所在を特定することは難しかった。
「さ、もう寝ましょうか? あなたも疲れたでしょう、肩を貸してあげるわ」
「あぁ……悪いな」
そうしてベッドで仰向けになる。今日というあまりに充実した1日の思い出に浸りながら、重い瞼に意識を任せようとした刹那。隣にガサゴソと音がした。それは考えるまでもなく……
「ガーネット、なんのつもりだ」
「そりゃあベッドは1つなんだから、一緒に寝るしかないじゃない?」
「それに林太郎はこうすると随分気持ちよさそうに眠るんだから♪」
そうしてガーネットはあやすような手つきで俺の頭をなでる。そのあまりに優しい感覚は、両親に受けた優しい寝かしつけを彷彿とさせた。
「俺はもうおっさんだぞ、子供じゃないんだ。勘弁してくれ」
「あら、私からしたら33歳なんて赤子も同然なんだけど?」
「それはお前にとってだろうが、余計なお世話だ」
「とか言って頬緩んでるわよ?」
クスクスと優しい笑い声をあげるガーネット。必死で隠そうとしていた感情を理解されているような口調に思わず身じろぐ。彼女のこの行為にどうしようもない安心感を感じているのは疑いようのない事実だった。
「良い健康は良い睡眠からよ。私はあなたが健康になるためならなんでもやるわ。それが私たちの間にある絶対の契約だもの」
「だから寝る時くらいは、何もかも忘れてゆっくり休みなさいな」
薄く開けた目には天井しか映らない。映せない。ガーネットがやめる気がないことを悟った俺は、素直に意識を手放すことにした。
「ありがとう。おやすみ、ガーネット」
「えぇ、おやすみなさい林太郎」
その会話を最後に、俺の意識は宙へと霧散するのだった。
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