epi1
ふんわりとしたチョコレートの甘い香りと、腐ったドブのような悪臭が混じり合う国王陛下の謁見室。
「マリアンヌ・ガセット!僕は本日この時を持って貴様との婚約を破棄する!」
絶世の美男子と呼び声高い、この国の第二王子であるモラーハルト殿下がマリアンヌ・ガセット公爵令嬢に向かって叫んだ。
「わたくしはモラーハルト様のお隣に立つべく今日まで努力を積み重ねて参りました。その血の滲むような努力を無碍になさるとおっしゃ‥‥」
「だまれ!貴様がこれまでミリヨンを執拗に虐めていたこと、この僕が知らぬとでも思っているのか!」
マリアンヌの言葉を遮り、目くじらを立てて唾を飛ばすモラーハルト殿下。
そしてその腕にぶら下がるように寄り添うミリヨン・ドブール男爵令嬢がニヤニヤと気持ちの悪い笑みをマリアンヌに向ける。
「貴様のような見目ばかり美しくとも醜悪な心の持ち主をこの国の国母とするわけにはいかない!僕は心身ともに美しいこのミリヨンを新しい婚約者として迎えることとなった。このことは国王であらせられる父上も同意して下さっている!」
マリアンヌが玉座にふんぞり返るように座る国王陛下に視線を移すと、国王陛下もまたマリアンヌを親の敵のような目で睨み付けている。
「いかにも。世もモラーハルトの意見に賛成である。マリアンヌのような才と美貌をひけらかすだけの悪女を未来の王妃にするわけにはいかぬ!それに比べ、ミリヨンは見目も心も身体もまるで聖女のように清廉で美しい」
国王陛下が目を細めてミリヨンを見つめると、ミリヨンはうっとりとした表情で陛下を見つめ返し、パチパチと瞬きをした。
「世はここに宣言する!第二王子モラーハルト・ビシューとマリアンヌ・ガセットの婚約は破棄!そしてミリヨン・ドブール男爵令嬢を新たにモラーハルトの婚約者とする事を!」
国王陛下が玉座から立ち上がり、右手を挙げて宣言した。
それを真っ赤な顔で嬉しそうに見ているモラーハルトとミリヨン。
殿下の側近に陛下の側近、宰相に騎士団長など、この国の中枢とも言える者たちが目に涙をたたえ、これでもかと力強く拍手する。
その中にはマリアンヌの父親であるネグレクス・ガセット公爵も含まれている。
「そして今この瞬間を持って第一王子であるデメルフリードの王位継承権を剥奪、王族から除籍とする。マリアンヌにはデメルフリードとの婚姻、そしてこの王都からの追放を命ずる!」
国王陛下の命令に屈強な護衛騎士が、奇妙な仮面を被った青年を突き飛ばすようにマリアンヌの隣に並ばせた。
この仮面の青年こそ、たった今王族からの除籍を言い渡され、マリアンヌとの婚姻を命じられた元第一王子のデメルフリードだ。
甘いチョコレートの香りがマリアンヌの鼻をくすぐる。
「さあ、二人とも今すぐにこの婚姻契約書にサインをせよ!」
国王陛下が二人の前に婚姻契約書の紙を放る。
ひらひらと舞って落ちたその紙をモラーハルトが拾い上げ、マリアンヌとデメルフリードの前に置かれた簡素な台の上にバンっと置いた。
「ほら、早くサインしろよ、マリアンヌ」
モラーハルトがいやらしい笑みを隠す事もせずに急かす。
「何をしておる、早うサインをせぬか」
国王陛下が脅すような低い声で命令する。
周りの者は皆、ニヤニヤと卑下た笑みを浮かべて台の前に立つ二人を見ていた。
「ほらぁ、何してるのぉ?二人とも早くサインしてくれなきゃ、この下らない会議はいつまで経っても終わりませんよぉ?それとも、マリアンヌさん、舌を噛んで自害しますぅ?」
ミリヨンの鼻にかかった間延びした声が謁見室に響いた瞬間、腐ったドブのような悪臭が
マリアンヌの鼻を突いた。
口許を押さえて俯くマリアンヌ。
まろい背中を小さく震わせる姿は悲しみに溢れ、まともな人間ならば優しく慰めずにはいられぬほどに庇護欲をそそるものであった。
そんなマリアンヌを見たデメルフリードが
己の背の裏で右手の人差し指を立てた。
ぶわりと甘いチョコレートの匂いが強くなった瞬間、マリアンヌの左手がデメルフリードの人差し指を優しく掴み、そして誰にも見られぬよう自身のふんわりとしたドレスの陰に隠した。
そしてギュッと強く握りしめると、ゆっくりと手を離し婚姻誓約書にサインをする。
続いてデメルフリードも震える手でサインをすると、モラーハルトがそれを高々と掲げて嬉しそうに叫ぶ。
「今此処にデメルフリードとマリアンヌの婚姻が成立した!!皆の者、拍手を!!!」
皆が、先ほどとは違い怠そうに拍手をする。
ダラダラと続く拍手は、国王陛下が軽く手を振ると一瞬でしんと静まった。
「デメルフリード、お前はサムーイ地方に追放だ。これは王命である。何人たりとも覆すことはできぬ。分かったら今すぐマリアンヌと共にサムーイ地方へ立て!」
体格の良い王宮騎士たちがデメルフリードとマリアンヌを取り囲むように謁見室から連れ出した。
そしてそのまま王城門の前に止められていた今にも壊れそうなボロ馬車へと押し込む。
「じゃあな、性悪の『腐った薔薇姫』、そして醜悪の『忌み王子』。せいぜい極寒のサムーイ地方で凍えて死ぬがいい」
そう言って汚らしい顔で笑った騎士が乱暴にドアを閉めた。
御者のかけ声と共に馬車が走り出す。
ゴーン ゴーン ゴーン
王城の大きな時計台から正午を告げる鐘が鳴り響いた。




