第七十五話:作戦タイム
夕焼け色の人工空の下、ヴィーナスフォートの噴水広場。
楽しげな足取りで帰途につく彼女の後ろ姿を、私――セラフィナは、静かな決意と共に見送っていた。
彼女は、狂っている。
自らの命を『宇宙の法則を検証するためのテスト変数』だと言い放ち、あろうことか、自身の死を嬉々として受け入れようとしているのだ。
この現代日本という平和な世界で育ったはずなのに、彼女の根底には、異世界の魔導探求者すら青ざめるほどの恐ろしい知的好奇心と狂気が潜んでいる。
(……ええ。だからこそ、私が守り抜かなければなりませんわ)
私は、胸の前で両手を強く握り締めた。
彼女が運命に身を委ね、盤面から降りて『観測者』になるというのなら。私は盤面の上に立ち、彼女の命を狙うすべての理不尽を、この手で叩き潰す。
「あれ、セラフィナさん? 姉ちゃんは?」
程なくして、両手にタピオカドリンクを持った直樹様と、アイシャが戻ってきた。
「彼女なら、先に帰りましたわ」
私が振り向き、静かにそう告げると、直樹様が目を丸くした。
「……え? セラフィナさん、なんか雰囲気変わってない?」
「そうでしょうか。ただ、少しばかり『思い出した』だけですわ」
私は背筋をピンと伸ばし、かつて王城で纏っていた令嬢としての威厳を、その身に纏い直した。迷いも、嘆きも、もう捨てる。
「ああ、セラフィナ様は、元々こんな感じでしたよ」
アイシャが、マンゴースムージを片手に補足する。なんだかこの子、こちらに来てから随分と羽根を伸ばすようになった気がする。
まぁそんなにこの子のこと知らないのだけれど。
「ええ、アイシャ。私たちは明日、彼女の命を懸けた大勝負に出ます」
私が事情を手短に――彼女が明日、自らの死を受け入れようとしていること、そして私がそれを全力で阻止する勝負を取り決めたこと――を説明すると、直樹様は手にしたドリンクを取り落としそうになるほど狼狽した。
「姉ちゃんの頭がおかしいことは昔から知ってたけど、どういうつもりだよ。自分が死なないって確信してんじゃねぇのかな……てかこの状況で、一人で帰して大丈夫なのか?」
「彼女がどういうつもりかは置いておいて、ええ。今日この時点においては、彼女は絶対に安全ですわ」
私は落ち着き払って、直樹様の焦りを宥めた。
「彼女の死が規定されている運命の日は『明日』。それまでは、レオンハルト様も決して彼女に手を出さないはずです」
「……どうして言い切れるんだよ」
「レオンハルト様は、明日の彼女の『死』という確定した運命の力を利用して、次元のゲートを開こうと企図しておいでです。ならば逆に言えば、明日という運命の時を迎える前に、彼女が何らかのイレギュラーで死んでしまうことは、彼にとっても絶対に避けねばならない事態なのです」
「……んー、なるほど、まぁ理にかなってるか」
警察官である直樹様が、ハッと何かに気づいたように顔を上げた。
「そういや、ジュリアス、とかいう奴の襲撃は? そいつは事情とか関係ないだろ」
「ジュリアスが現在どこに潜伏しているかは分かりません。しかし、もし彼が今日、彼女の命を狙って動いたとしても――レオンハルト様の組織が、総力を挙げて彼女を守るための『防波堤』となるはずですわ。この点は、レオンハルト様から言質も取れていますしね。それにそもそも、彼が狙っているのは私ですからね」
愛する私を帰還させるため、最も確実な運命の瞬間まで『生贄』を保護する。
レオンハルト様のそのエゴイスティックな愛と盤石な組織力が、今日という一日に限っては、彼女を守る最強の盾として機能するのだ。
「なるほどな……。敵の思惑を逆手に取ったってわけか」
直樹様は忌々しげに舌打ちをしながらも、状況の理は理解したようだった。
「わかった。今日が安全だっていうなら、俺たちは何をすればいい? 明日、姉ちゃんが『何もしない』って言うなら、レオンハルトの部隊とあの狂った王子から、俺たちだけで姉ちゃんを守り切らなきゃならないんだろ?」
「ええ。直樹様、そしてアイシャ。力を貸してくださいませ」
私は、二人の顔をまっすぐに見据え、明日への策を口にした。
「勝負の舞台となるのは、彼女の死が規定されている『大学の機材倉庫』。彼女自身は逃げませんが、私たちがその周囲を完全に封鎖し、鉄壁の要塞へと作り変えますわ」
「要塞って……警察の権限で立ち入り禁止にでもするか? でも、法務局の方が権力は上だぜ。上層部から圧力をかけられたら、俺みたいな末端の警察官は何もできないと思うけど」
「国家権力による物理的な封鎖は不要ですわ。私とアイシャの『魔法』を用います」
私は、ヴィーナスフォートの美しい石畳を見つめながら、頭の中で緻密な陣形を組み上げた。
手の届かないところには隠さない。
しかし目の届かないところなら、別にルール違反ではないはずだ。
「アイシャ。貴女には、機材倉庫の周囲に潜伏し、近づく暗殺者――レオンハルト様の放つエージェントやジュリアスを、物理的かつ隠密裏に無力化する遊撃を命じます」
「わかりました。手荒なことはしてよいですか?」
アイシャは平然と言ってのける。
「命を奪わない程度に」
「うっかりとかありですか?」
「なしです。殺さないことに全力を出してください」
「……承知しました」
「そして直樹様。貴方には、警察官としての『地の利』と『通信網』をお借りしたいのです。明日、大学周辺の監視カメラの死角や、不審な魔力反応を私に伝達する目となってください。アイシャが遊撃に専念できるよう、現代の技術でバックアップをお願いします」
「……所轄の交通網と監視システムなら、俺のIDでいくらでも裏から引っ張れる。姉ちゃんを守るためなら、懲戒免職上等だ」
直樹様が、覚悟を決めたように力強く頷いた。
「ただ、魔力反応ってのはどうしたらいい?」
「それは私の方で今日中にシステムを組みますわ」
「今日中にって……」
直樹様は時計をちらりと見て、訝しげな様子ではあったが、指摘しても意味がないと思ったのか、何も言わなかった。
「……ちなみに、そもそも姉ちゃんを学校に行かせないってのはありなのか? その大学の倉庫で、機械に押し潰されて死ぬってのが決まってるなら、そこに行かせないようにすればいいんじゃないか?」
「確かに死に方はそうなっていますが、重要なのは死に方はよりも、『いつ死ぬか』なのでしょう。レオンハルト様、そこに拘っていましたから。それにルールで『何もしない』としましたが、それは命を絶つ行動はしないという意味で、それ以外は普通に生活しますわ。私も彼女の行動を制限しないと約束しましたので、必然的に大学が舞台となりますわ」
「ここに来てルールも何もないと思うけど……」
直樹様は、少し納得いかない様子で口をとがらせた。
「……そして私が、大学全体を覆う『多重結界』を張り巡らせます」
私は、両手に微かな魔力を集束させた。
「ルールでは、彼女を拘束するようなことはしないことになっていますが、彼女以外のものについてはその範囲ではありません。彼女に近づく人物全てに、彼女に対する物理的な干渉を排除します」
真っ向からの、完全防衛戦。
策というより力技だが、これ以外に手は思いつかない。
(待っていてくださいませ、私)
私は、遠く離れた彼女へと意識を向けた。
彼女のことだ。私同様、ただルールを守るだけなんてありえない。
何かしらの行動を起こすだろう。
きっと今頃、悪巧みでもしているのかもしれない。
しかし、それでも。
私がすべて、真正面から粉砕して差し上げますわ。




