2.異世界人と冒険者
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バードン・オンツキーは元S級冒険者である。ただし、10年前の話。現在のS級冒険者と比べれば力量差がある。日進月歩、魔法も武術も積み重ねた知識や経験が活きる。冒険者アガリの人間が就く仕事の1つが冒険者学校の教官、つまり、バードンが持つへ10年分の知識や経験は教官から得ることができる。
よって、現在のS級冒険者の方がバードンよりも強いと言える。1年で10年分の知識を蓄え、昔よりも進化した魔法や武術を身につけるのだから、当然と言える。
とはいっても、それはあくまで単純な喧嘩の強さだけに焦点を絞った話で、状況によっては傾くこともある。基本的に、現在のS級は強いけどバードンもそこそこ強いということだ。
そしてS級以上に強いとされるのが異世界人である。これについては振れ幅が大きすぎてピンキリとしか言いようがない。
ここでの知識を身に着けたならば確かに異世界人は強い。しかしその知識なしならば農民でも勝てる、そんな定説があるので、一概に強さは語れないのだが……
「お客様、隣にもお休みの方がいらっしゃいますので、お静かにお願いします」
「なぁオッサン、俺さぁ勇者だよ?分かる?勇者。魔王を倒せるんだぞ?」
「ええ。もちろん存じ上げております。新聞で拝見致しました。お連れの方も載っていましたね」
「ラジオとかにも出たけどな。だーかーらー、いちいちそんな事言いに来なくていいんだよ!新聞やらラジオやらで宣伝してやるからさぁーほら出てけよ」
「畏まりました。苦情が入った場合は退出して頂き、出入り禁止とさせて頂きますので、ご理解ください」
「――あんま調子乗らないほうがいいよ?オッサン」
「失礼致します」
バードンは深く一礼。内心では、さっさとボコボコにしてぇーと思っている訳だが、店主たるもの自分の感情よりも店の評判を優先すべきだと、読みかじりの経営者哲学でもって平静を保っていた。
廊下にで心配そうに立っていたのはアゼルだ。
「あの、すいませんでした。うまく言い返せなくて」
「いやいや、怒ってない。気にしない気にしない。ありゃ有名な転移者だな」
とぼとぼ歩くアゼルは、かなり落ち込んでいるようで、項垂れてしまった。
「異世界人は無茶苦茶するってのが相場だからな。タカダさんだけ特殊なんだよな。俺も手が離せなくてアゼルに任せたけど、本当は俺が対処すべきだったんだ。悪いな」
「申し訳ありませんでした。次はもっと上手くやってみます」
「おう。徐々に慣れていけばいいから。焦るなよ」
「あの、異世界人は分かるんですが、転移者なんですよね?あの勇者」
「ああ。新聞に載ってたぞ」
「転生者という異世界人もいると聞きました。でも、僕は一度も見たことがありません。本当にいるんでしょうか?」
「いるよ。俺会ったことあるし。だけど、普通に会えるかっていうと無理だな。俺の出会い方は奇跡だし」
「その人はどんな見た目でしたか?転移者みたいに訳の分からない言葉を話しますか?」
「いや、言葉は流暢だし見た目では分からないな。といっても、俺もそこまで詳しくないんだ。本人があまり教えてくれなかったし」
「そうなんですか。残念ですね」
「まあ、色々あるんだろ」
「ところで、あの異世界人は約束守ると思いますか?」
「守らんと思うなー。そん時は実力行使する事になる。1から100号室はそんなんばっかりだからな」
長い廊下を抜け、受付横にあるお客様専用転移陣の前にたどり着いた。
「とりあえず、力仕事は俺とアーリマで片付けるから、アゼルは自分の仕事を頼むな!」
どうにか気持ちを取り戻し、受付に戻ったアゼル。バードンも受付台の後ろへ回り、休憩室のドアを開いた。
「ボス。どうだった?」
アーリマ・ジャンクト(25)は婚約者とここで働く青年。店主をボスと呼ぶのは、店主!って呼びにくいよな、じゃあボスで。との考えだそうだ。
「いつも通りだ。後で行く事になるだろうな」
「例の勇者候補か。俺達より弱いっすよね?」
「弱いな。これから強くなるんだろうに、チヤホヤされてきたんだろうな」
「久しぶりなんすよねー。部屋壊さないように頑張るっすよ」
「壊してもいいぞ、どうせ保険に入ってるんだ。まあ、鈍った体には丁度いいだろうな」
「ボス、痩せましょうよ。ぷよぷよしてますよ。ほれ」
上司である自分の腹を掴みぷるぷると揺らすアーリマ。
「何でかなぁ。飯が美味いからだろうな。止まんねぇんだこれが」
下腹の出た哀愁漂うオッサさんと、血気盛んな青年。共にパーティを組んだ仲である。当然、アーリマも強い。元A級冒険者だが、当時14歳。現在でもトレーニングを欠かさない彼は、昔よりも強い。
「面倒が起きるのは大概夜っすよね。それまでどうするっすか。いつも通りっすか?」
「まあ、そうだな。ミリスと買い出し行ってくれ」
「ういっす。何かあったら連絡してください!独り占めはダメっすよ?」
「独り占めって、乱闘騒ぎをオヤツみたいに言うなよ。連絡するから、ほい行ってこい」
「行ってきます!」
ミリス・ジャンクト(26) 、本名ミリス・バーストル。アーリマの婚約者であるが、婚約したと同時にジャンクトを名乗り始めた。結婚する予定だから問題はないが、気が早い上に、何か圧力の様なものが出ている。バードンはそれを感じ取っているので、アーリマに「結婚」というワードを振ってみるが、そこは頑固で「まだ早い」という。
仲は良好。至って順調に愛を育む2人である。
受付裏の扉から従業員控室を抜け、さらに奥にある店主執務室にて、パサリと新聞を開くバードン。執務室とは名ばかりの店主の個室。椅子と机、財務書類に許可書やらギルド関係の申請書など、重要書類が保管されている。それだけだ。とても質素で窓から見える木々が癒やしとなっている。
今日は、勇者候補が修行?らしきものをしているので、開いたばかりのカーテンをそっと閉める。
「ふぅ。アイツがS級になったか。よくこんなとこでS級までいけたな」
この街の新聞【ジョン・ドゥ新聞】の一面には、今日開かれるお披露目会の概要と、S級冒険者の写真が載っている。
コンコンとノックの音が聞こえ顔を上げた。
「ミリスです!入っても宜しいでしょうか!」
「はーいどうぞ」
アーリマは砕けた口調だが、ミリスはかなり礼儀正しい。もっと砕けた話し方でもいいよと伝えたが、昔旦那がお世話になった方ですから、粗相はできません。との言。
繰り返すがまだ、婚約中である。
「失礼致します。買い出しについてですが、ダンジョン産製品と魔石の追加で宜しいでしょうか!?」
もじもじするミリスに違和感を覚えるバードン。買い出しはいつも通りなので、聞きに来る事も違和感の元なのだが。
「あ、ああ。それで間違いない。いつも通り、だよな?」
「え、ええ、まぁ、そーーーですかね。ええ」
明らかに動揺しているミリス。そして勘ぐるバードン。
ななな、なんだ?すごくおかしいぞ。何を動揺してる?なんかやらかしたのか?店の物壊した?いや、それだけでこの動揺はないな。
……辞めるのか?まさか、ついに結婚?だからそれを機に新天地をってか?
それは、それは困る。そう簡単にミリスの代わりなんて見つからない。接客は完璧。クレーム処理やトラブル時の対応、そういった客との問題はミリスがいれば解決できる。だから、困る!
「あ、あーーーなんだ。どどどどどうした?ななな何かあったのか?不満があるなら言ってくれ!絶対に解決するから。頼む!」
「ふぇっ?いやいや、不満はありません。何というか、そのですね」
「いいんだ。俺は今の待遇に不備が無いと思っていたが、現状維持では確かにダメだ。やはり待遇改善、そうしないとやる気も出ないよな。そうだ、だからこそ教えてくれ、俺では想像もつかない。頼む」
バードンは切実に請うた。待遇改善はいくらでもする。頼むから辞めないでぇぇと内心で土下座していた。
「え?ええ?い、いや、違うんです。えと、そうですよね。キチンと言わないと」
「ああ。そうだ。言ってくれ」
「分かりました。心苦しいですが、あまり勘違いさせるのも良くありませんよね」
勘違い?うっ、意外と辛辣な事言うじゃないか。お前はまだザコ経営者だぞ、慢心していないか?と言いたいのか。確かに慢心していたかもしれない。これは、甘んじて聞こう。
「すまん。確かに勘違いしていたかも知れない。是非聞かせてくれ」
「では」
コホンと一つ咳払いし、意を決したかのようにこちらを見つめてくる。バードンは緊張で手汗が止まらなかった。
「バードンさん、今日の買い出しのついでに、お披露目会を見に行きたいので、少しだけお休みを頂けませんか?2時間程でいいんです、アーリマの分もです!」
「……わ、分かった。それで?待遇についてだ。教えてくれ」
「いえ、ありません」
「……」
「今日は忙しくなりそうなのに、私達だけ休むというのも、心苦しいなと思っていたんです。バードンさんならいいぞ!と言ってくれると分かっているだけに、申し訳無くて。でも、ピルドが子供の頃から夢見たS級になれたので、どうしても顔を出してあげたくて。バードンさんも昔はピルドと遊んでくれましたよね。懐かしい」
「まさか、それだけ?」
「はい!ありがとうございます。顔を出したらすぐ戻ってきますので、ご安心下さい!」
「あ、ああ」
「では、行って参ります」
「あ、ああ」
ミリスは一礼し、ドアの前へ。再び一礼の後退出した。
「はぁ?はーーーーーあ」
それだけ?と思ったが、やはり安心したバードンであった。
「礼儀正しいのも良い事だし、宿のことを考えてくれるのも……ビビるから止めてくれよー。そんなもんこっそり行ってくればいいじゃんよ。はーーーあ」
背もたれに体を預け、天井を仰ぎ、目頭をぐっと抑える。
「疲れた〜」
本日は、S級冒険者のお披露目が街の名物ダンジョン前で行われる。この街の生え抜きであり、街からなかなか出ていかないこの冒険者。
マルブリーツェ州最強の冒険者がこの街に来る!というよりいる!ので、冒険者ギルドが全力でイベントを売っているわけだ。
もちろんその恩恵はこの宿にもある。他市他州からS級冒険者を一目見ようとやってくるのだから、宿が必要になる。つまりかきいれ時なのだ。
「あっ、ヤバい」
ミリスが辞めると勘違いしていたので、2時間ぐらいはいいよと言ってしまった。よくよく考えたら全然良くないのだ。いつも以上の客入りが予想されるから夜勤組を招集したのに、日勤組のリーダーともいえるミリスがいなくなるのは、全然良くないのだ。
さらに問題があった。13号室の異世界人である。彼は十中八九問題を起こす。その際には腕力が必要であり、それを担えるのは自分とアーリマの二人だけ。男手といえばスカーレット、クーさん、アゼルがいるのだが、彼らはただの一般人。クーさんに関しては殺人術を嗜む者だから一般人と言えるかどうか曖昧だが、それは置いといて一般人である。
つまり、元高ランク冒険者である自分とアーリマだけが対応できるのに、彼もお披露目に行くのだ。
今になって気付くも、やっぱ無しとは言えない。今まで散々頑張ってもらったのだ。2時間程度、彼らは親友の為に出席するというのに、それを引き止めることができようか。
現在の次官は15時ちょっと過ぎ。2時間なら混雑が予想される17時には戻ってくるだろう。だったら間に合うか?と考えたが、もう1つ嫌なことを思い出した。
「商人……くそっ」
鉱石商人である。客が多い今日、余計な揉め事は避けたい。本来なら自分自身の力で、というより普通に断るのだが、彼らは知っていて来た。
この宿は既に魔石の卸先が決まっており、買い入れもそこからしかしていないと。
それでもあえてきたのだから、何か策があるのかもしれない。商人の嫌なところは、同業のネットワークを使い嫌がらせをしてくるところだ。しかも相手が大きな商家だった場合、同業どころか商人のあらゆるネットワークを使い、陰湿な攻撃をしてくる。例えば食材の仕入れにちゃちゃを入れるとか。
客の前で騒がれても嫌だし、返事が遅くなっても、相手の心証が悪くなるだろう。変に気を持たせるかもしれない。こうなれば助っ人が必要か。
そう考えたバードンは連絡用の魔石を手に取り机に置いた。
「どうも、いつもお世話になっております。バードン・オンツキーです。なーんてな。おう!久しぶり!ちょっと助けてくれ」
連絡した相手は、親友であるマフィア界の大物だった。
日が傾き空が赤い、夕方の16時半。街の方からちらほら人が向かってくるのをバードンは宿の前で眺める。
「忙しくなるなー」
親友へ連絡した後はいつもより客足が鈍かった。客は来ず嵐の前の静けさとでもいう状態で、不安になったバードンは外の様子を窺っていたのだ。宿の入り口からでは遠すぎて、人通りがどうかなぞ分からない。魔界と市街地との間には緩衝地帯として造られた更地があり、人が住む場所まで距離があるのだ。それでも時間を潰すように外に出ては街の方を眺めていた。すると、まばらにだがこちらに向かってくる人影があった。
それでもバードンがヘルプに入るほどの客入りはなく、結局執務室で時間を潰していた。そして16:55になるとアーリマとミリスが帰って来た。16:30にはお披露目が終わると新聞に書いてあったから、ちょうどよい時間である。
「お疲れ様っす。ピルドの野郎も来るみたいっすよ。異世界人の部屋の隣にしましょうか?」
「いや、止めてやれよ。上の階を貸したらいい。5階でいいんじゃないか?」
「えっ!?わざわざアイツの為に空けるんすか?」
「どうせ5階は使わないから。どの部屋でも好きに使わせたらいい。ま、中身はどの部屋も変わらないけどな」
ここほのぼの郷は国内でも有数の大型宿屋である。
ワンフロア100部屋、それが5フロア。つまりほのぼの郷は500部屋の宿を持つ宿屋なのだ。
そもそもこの宿屋というのは、宿を貸すだけ。サービスは風呂、洗濯出来る場所の貸し出し。ちなみに水も無料で魔力も無料。それから料理。こちらはもちろん有料だが、皆がこぞって食べていく。
つまり、この宿においての業務はそれらサービスの維持管理が出来ればあとは少ない。掃除は、魔法で吹き飛ばすのがアーリマ流。客からの質問などは各部屋にある連絡用魔石で受付へ。だが、基本的に宿が何かすることはない。
魔石が置いてある机に明確に書いてあるのだ。
「当宿では設備の貸出以外のサービスをご提供しておりません。ご質問、故障、事故等の場合にのみご連絡ください」
そのため連絡が来るのは設備や料金に関する質問。風呂は何時までとか、洗濯って金取るのか?とか。
バードンが珍しく動いたトイレ詰まりも、構造的に、意図して何かを詰まらせないと起きない。つまり、この宿でやることは受付と掃除とサービスの維持管理。これだけ。
だがしかし、客数は多い。だからこそ8人いなければいけないのだ。恐らく、8人が最低人員の限界だろう。いや、夜勤組の負担を考慮すれば限界は突破しているかもしれない。
ちなみに、フルで宿が埋まった事は一度もない。冒険者や商人向けの宿なので、そんな人数は泊まらない。だが、安さとサービスの良さから殆どの冒険者はここへ来る。商人は護衛の冒険者に教えられ、リピーターとなってくれるという、広告要らずの状態である。
ほのぼの郷の平均客数は200人。もちろん他の宿に比べれば多すぎるが、これは客数。部屋数は100部屋も要らないことが多い。
この宿の料金システムは1部屋に対する金額をお支払いいただく設定になっている。何故なら「宿を貸す」のが「商品」であって、部屋に収まる人数が増えたところで、使用される床面積は変わらないから、人数ごとに設定する必要がないのだ。
そうなってくると、客は1部屋に大人数で泊りたがる。1人頭の金額が安くなるからだ。こんな田舎に来る目的はすぐ横にある魔界へ探索に行くぐらいであって、その中でも安宿に泊まるのだから、冒険者は必ずと言っていいほどパーティ単位で泊まる。もちろん男女で分かれる事もあるが、ごく稀である。
これがワンフロアで収まってしまう理由である。
とはいっても、客が多いとトラブルも増えるし、受付やら食事の運搬やらで忙しい。
それでもやって来た大入りである。今回の見込み客数は350〜380人程、あくまでバードンの予想だ。この街は森と接するだけあって冒険者、騎士や軍人など力自慢、というより荒くれ者が集まる街。
そこで行われるS級冒険者のお披露目である。街にはそんな奴らが集まって、せいぜい200人程だろうと予測。他所からやってくる荒くれ者なら、安い宿へ来る、つまりこの街で最安宿のほのぼの郷だ。貴族か、金持ちの商人連中は街の中に宿を見つけるはず。よって150〜180人ほどはうちへ来るだろうと予測したのだ。
なので、平均客数200人とお披露目に合わせて増えるであろう人150〜180を合わせて350〜380人が宿泊するであろう予測客数である。
そしてバードンが憂慮しているのは客数と宿の混雑だけではなかった。荒くれ者である。イベント事ではチャンスが転がっているもので、貴族や金持ち連中に認められれば、お抱えも夢じゃないし、単発でも仕事を受注できるかもしれない。そう考えて荒くれ者たちはやってくる。
そんな奴らが僻みややっかみで、S級冒険者によからぬことをするかもしれない。それを危惧するバードンは新人S級冒険者の為に、どうせ使わないであろう5階を開放することにした。
17:00になると一気に客足が増えた。バードンの予想通りの大入りである。
ほのぼの郷の受付は基本的に1人しか立たない。宿の説明が出来れば誰でも出来る簡単なお仕事であり、客3人ぐらいなら並ばせればいい、それがバードン流。しかしそれは何のイベントもない、普通の日に限った話だ。こんな大入りでは、すぐに捌かないと客のイライラが溜まり余計なトラブルが起きてしまう。
なので本日は受付には5人並ぶ。宿泊日数の確認、食事の有無、必要事項の説明を口頭で行うだけなので、足りないよりはと、とりあえず並ばせた。
ちなみに、受付前のエントランスホールは広いので混雑しても窮屈にはならない。それに受付の中も十分なスペースがあり横に長い作りなので、従業員もギチギチに身を寄せ合って業務をこなすこともない。
現在の客数は50名ほど。思ったよりも一気に来たので少しだけ予想を修正し始めたバードンだった。
「ごゆっくりどうぞ。ユーリ!連絡用魔石持って休憩室で待機しててくれ。どうせ客室から連絡が来る」
「はーい。まだ忙しくなるの?」
「なる!というかこれからだろう。お披露目会が終わって40分も経ってる。もしかしたら他所の宿が取れずに流れてくるのかもしれない。今から来るのが本命だな」
ユーリは隠すことなく苦い顔をして裏へと逃げるように去って行った。
ダラダラと少なめの行列が続き時間は17:10である。修正したバードン予測では、これからが本番だった。市街地にある宿屋は少ない。そもそもこの街、マルブリ―ツェ州アールガウ市は観光地ではない、かなり田舎の州である。これといった特産品もなく、有名なものと言えば魔界とダンジョンこの2つだけ。冒険者には人気だが一般人が来る場所ではない。そして冒険者というのはあまりイメージがよくない。世代間でもギャップはあるが総じて粗暴だと思われている。そんな客を受け入れる為に宿屋を始める者は少ないし、現在ある宿屋はイベントがなくとも満員に近い状態だと聞いている。
恐らくそれを知らずに宿屋を訪ねて満員だと告げられている頃だろう。そうなるとやってくるのはここしかないのだ。
「ボス!ボーーース!!!!!」
客と歓談していたバードンは受付に大慌てでやって来たアーリマを一瞥すると、目の前の客へと告げた。
「お、おお?どうした!?すいませんお客様。お話はまたの機会に宜しくお願いします。ごゆっくりどうぞ!」
話が長すぎて、後ろで列をなす客がイライラし始めていた。バードンも一応商人である。客の話をいきなり遮るのも悪いので良きタイミングを見計らっていたが、なかなかの強敵であった。助け船に乗り込んだバードンは、アーリマの挙動に眉根を寄せた。だいぶ焦った様子で手招きしているのだ。そしてその横には青い顔をしたアゼルが立っていた。さすがに不安を隠せなくなったバードンは目の前の客に平謝りをして、隣にいるミリスへと全てを丸投げにした。
「どうした?」
客が大入りで列をなしている中、トラブルの知らせが漏れてしまうのは良くないと思い、小声で尋ねた。
「例の13号室の勇者候補っす。また騒いでるみたいっすよ」
「今?こんな時間に騒ぐって何してるんだよ」
「それがっすね、なんというかすれ違った時にぶつかったらしくてっすね」
「――なるほど。アゼル、ケガは?頭打ったりしてないか?今は大丈夫でも後で大事にってこともあるからな?どっか違和感とかないか?」
「ぼ、僕は大丈夫です。転んでお尻を打っただけですから」
「そうか。でも体調悪くなったら言うように。まあ、いつも言ってるから大丈夫か。んで、ぶつかった時に何かあったと?」
「はい。その、絶対に僕からはぶつかってません。廊下の端っこを歩いていましたから。でもお客様の方からぶつかって来たんです。それが、謝っているうちに何故か僕からぶつかったという話になっていまして、店主を呼んで来いと言われました」
「酔ってたか?」
「はい、かなり臭いました」
「なんで今日なんだよ。いやっ!アゼルは悪くないからな?異世界人の野郎が悪いんだが、ちょっと今はアレなんだよな……」
「なんすかアレって。ちゃちゃっと追い出しましょうよ」
「ほれ、客が増えてるだろ?今実力行使すると流石に外聞がだな。しかも勇者候補っていえば国のお抱えだろ?騒ぎを大きくし過ぎると、ちょっと怖いわな」
「ってことは……殺るんですか?」
「やる?なんでそんなに怖い目なの?えっ?もしかして……いやいや、なんで?騒いだだけで殺しますって、誰が泊ってくれるんだよ。ないない」
「んじゃあどうするんすか?やばいっすよ、客が増えてるし」
「アゼル、とりあえず受付を頼む。もし客が増えたら裏にユーリがいるから、受付しろって言っといてくれ。勇者候補はこっちで片付けるからな、あ、違うぞ。片付けるって、問題を処理するって意味だからな。あっいや、人間を処理するって意味でもないからな」
「ええ。もちろん分かってます。すみませんご迷惑ばかり、本当にすみません」
「気にするな、アゼルは悪くない!今日はツイてなかっただけだ」
アゼルはかなり落ち込んでいた。今日2度目の失敗である。当然彼は悪くないのだが、責任感の強いアゼルには堪えるようだ。受付に立ったアゼルを確認したバードンは口を開いた。
「地下に放り込むか……どう思う?」
「地下っすか?アイツら死んじゃいそうっすけどね」
「そうなんだよなー。地下に閉じ込めたら魔物に殺されるだろうなー」
「そうっすよ。勇者候補はもしかしたら助かるかもしれないっすけど、お付きは無理っすよ。あいつら戦闘っていうより……アレ専門っすよね?」
「アレか。お前の想像するアレが分からんけど、俺の思うアレならば確かに専門だろうな」
「アレってなんすか?俺はソッチの意味で言ってるっすけど……そのシモの意味でっす」
「ちょっと違うアレだったけど、もしかしたらシモ的な事もあるんだろうな。俺が考えてるのは監視役だ。現状では異世界人を召喚できるのはアイウン州と……他は忘れたけど、とにかく首都のアイウン州だけだろ?そんな遠くから来たら、当然逃亡の可能性が出てくる。そう簡単に異世界人を自由にはさせないだろうから、監視役ってわけ」
「異世界人を制御できる力がないのに監視って可能なんすか?すぐに撒かれるか下手すると始末されそうなもんすけどね」
「彼女達たぶん強いぞ。魔力を隠しきってるからな」
「単純に魔力切れってのはないっすよね……」
「どうだろうか。可能性はあるけど、魔力を隠しているって方が現実的じゃないか?戦闘でもしない限り魔力切れって起きないだろうし」
「どうします?」
「とりあえず手合わせしてみよう。全員がそこそこ強ければ地下へ放り込む。弱かったら……」
「ボコボコにして放り出すっすね!」
「いや、んまあ、時間帯を見計らって放り出そうか」
せっかくの大入りの日に、よくも面倒を増やしてくれたなと少しだけ怒るバードンだった。
いってらっしゃい。