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イグネー  作者: しらら
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6/6

風

  



 子供はシカルに駄賃を貰い、「じゃあ」と言って夜の路地裏へ帰って行った。

 残された警察官と青年は、しばらくそこに佇んでいた。


「なぁ、シカルさん」


 珍しく青年から話し掛けて来て、シカルは、何を教えてくれるのかな? と期待を込めて彼を見た。


「あの孤児に、あんたの姪を紹介したりはしないのか?」


 多少拍子抜けしながら、警察官は丁寧に答える。

「多分、姪が与えられる物の中に、あの子の欲しい物は無いんだよ」


 あやふやな答えだが、青年は「ああそうか」と素直に納得した。


 このままでは何も教えて貰えそうにない。

 我慢できなくなったシカルは、自分から切り出した。

「イグネーって何だ?」


「言っても信じてくれないだろ」

 予想通りの答え。


「調書をあれだけ拒否された上に、警察官の矜持をボコボコにされて、結末は分からない事だらけ。ちょっと俺が可哀想すぎないか? 墓場まで持って行くから、そっちくらいは教えろ」


「…………」


「途中で遮らない、ちゃんと聞くから」


 青年は唾を飲み込んで、前を向いたまま口を開いた。


「イグネーは、妹の友達だ」


「空を飛べる友達…………が、いるの、か……」


 目を白黒しながら一所懸命言葉を消化しようとする警察官。

 青年は淡々と話を続ける。


「昔、俺も助けられた事がある。三つの妹を背負って逃げた時、草原で追いつめられて、もうダメかと思った。そしたら急に強い風が吹いて、いつの間にか空にいた」


「え、君も、飛んだ、のか?」


「その頃はまだ俺も、イグネーの声を聞く事が出来たな。妹は姿も見えていたみたいで、馬に乗って運ばれたと言っていた。

 それで、西の森に連れられたんだ……ああ、あそこは大昔、彼らの聖域だったらしい。

 最初の冬はイグネーが助けてくれた。住み処を隠す『まじない』を教えてくれ、森で暮らす知恵を授けてくれた。

 もっとも俺はだんだん声が聞けなくなって、すべて妹を通してだった。今のあの子は忘れているみたいだが、俺は妹に助けられて生き延びたんだ。

 次の年からの俺のやる事は、妹を『イグネーと切れない存在』に育てる事だった。育てるなんておこがましいか。あいつは勝手に、なるように育って、今回も俺がノロノロしている間に、さっさとイグネーが助けに来た」


 青年は言葉を切って、無言で目を泳がせる警察官を、じっと見た。

「なぁ、あんた、三つの妹を抱えた十一の無知な子供が、何の助けも無しに、雪深い森で冬を越せると思うか?」


「……いや……」


「信じなくていいし、忘れてもいいぞ」


 言うと青年は背中を向けて、通りとは反対の暗がりに向けてスタスタと歩き出した。

 そちらには灌木と古い大きな木が残されている。

 シカルは胸が騒いで、慌てて叫んだ。


「いや、君は! ……ジョシュは! 一度も嘘を言わなかった。本当の事以外は喋らない奴だ!」


 振り向いて微笑んだ青年の黒い瞳に、ほんの少しの緑色が過る。


「もう一度だけ質問させてくれ。イグネーって何者だ?」


「知らない」

 即答だったが、最初みたいな突き放した言い方ではなかった。

 青年の背後にザァッと風が立つ。

「大切な妹の友達に、聞かないだろ、ふつう。 あんた何者? なんて」





   ***

    


 シカルが建物に戻ろうとすると、入れ違いに姪のエバが出て来た。


「彼ならもう行ったぞ。西の森には戻らないと言っていた。水場を清めてから、妹と一緒に別の安全な場所へ移動すると」


「そう、ああ、叔父さん、その件に関しては私も色々言いたいけれど、呼び出しが来て急いでいるから、また今度」


「こんな遅くにか」


「忙しいのよ、頼りにしてくれる人が多いの、こんな私でも。書記の若い子には嫌みを言われたけれどね」


「ジョシュとリッカの件は特殊だった。お前は頑張り屋だ、よくやっているよ」 


「…………」


「今日は遅くなるのか?」


「中央病院からの呼び出しよ。例の水溜まりに転ばされた子供の母親が、診断書を取りに医局に行ったんだけれど、待っている間にその子、階段から落ちて怪我をしたらしいの。

 それで母親が激昂して病院を訴えるとか騒いでいるから、中立の私が子供のケアをしに行くの」


「…………もしかして母親に、病院へ行って診断書を取っておけとアドバイスしたのは、お前か?」


「そうよ、悪い?」


「いや、一番の殊勲賞だ」


「??」



   ***



 取り調べの部屋に戻ると、書記の若者が調書を仕上げた所だった。


 彼を帰してその日の業務を済ませても、シカルは机で、姪が調べて来た北方部族の資料を、何とはなしに眺めていた。

 そうして、彼女が学生時代にまとめたであろう、古い遊牧民の伝承の中に、数行の記載を見付ける。



イグネー:風の精霊。流れる水も司る。/ 馬を駆って空を走る者。馬の守り神。/ 守護の森の別称。




     ~ イグネー・了 ~










 お読み頂きありがとうございます。


 *イグネーは造語です。東北弁の『防風林』から取りました。

 *リヤ族は架空の部族です。すべてフィクションです。

 *イラストは、色鉛筆で描いたのをスキャンして、クリスタで仕上げました。


挿絵(By みてみん)



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