第1話 罪と呼ぶなら、呼べばいい
初めまして。
『天より落ちし君へ』を読んでいただきありがとうございます。
少し切なくて、少し温かい物語です。
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
羽琉は静かに玉座の前へ立った。
大理石の床は冷たく、広い謁見の間には重い沈黙が流れている。
誰も口を開かない。
王である父だけが、まっすぐ娘を見ていた。
「神託が下った。」
その言葉に、羽琉は小さく息をのむ。
分かっていた。
あの日、自分が力を使った瞬間から。
―
あの日、雲の合間から吹雪の中を走る少女を見た。年齢は自分と同じくらい。
薬を胸に抱え、ただ前へ走っている。
なぜか目が離せなかった。
私の母親は病で亡くなったらしい。
会ったことはない。
顔も知らない。
声も知らない。
それでも。
もし、私とあの子が逆だったなら。
母を助けるために、必死になっていたと思う。
すると、雪崩が上から彼女を襲った。
けれど彼女は気づいていない。
薬を抱えたまま、ただ前だけを見て走っている。
「……あぶない!!」
羽琉は知っている。介入してはいけないと。天使は平等でなければならない。誰か一人だけを特別扱いしてはいけない。
それが天界の掟だった。
けれど…。
助けたい。
その思いだけが、胸いっぱいに広がった。
掟も。
王女としての責任も。
全部分かっていた。
それでも。
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
遠くから付き人の架がこちらへ走ってくるのが見えた。
「……だめです!姫!!」
遠くから焦った架が制止する声が聞こえる。もう止まれない。
そして気づけば、羽琉は奇跡を使っていた。
羽琉が手を伸ばした瞬間。
白銀の光が、吹雪の中へ広がった。
轟音を立てて迫っていた雪崩が、その光に触れた瞬間ゆるやかに勢いを失う。
さらに光は一本の道となり、少女の足元を照らした。
迷わないように。
生きて帰れるように。
ただそれだけを願って。
―
「王女羽琉。」
王様の声が響く。
「そなたは人間界への過度な干渉を認めますか。」
羽琉は顔を上げた。
認めない理由などなかった。
「認めます。」
ざわり、と空気が揺れる。
傍聴席の天使たちが息を呑んだ。
王女が罪を認めた。
それだけで十分な衝撃だった。
「……王女は禁じられた奇跡を行使し、一個人への加護を行った。」
王は苦しい顔をして告げる。
「反論はあるか。」
羽琉は静かに首を振った。
ない。
すべて事実だ。
「後悔しているか。」
低い声が広間に響く。
羽琉はまっすぐに父を見た。
父ではなく。
王としてそこにいる人を。
「いいえ。」
ざわり、と空気が揺れる。
「……そうか。」
王は目を閉じ、静かに告げた。
「なぜだ。」
羽琉は静かに息を吐く。
「私はあの子を救いたかった。」
「その娘が本当に助かった保証はない。」
「はい。」
「それでもか。」
羽琉はうなずいた。
「それでもです。」
もし、もう一度同じ光景を見たとしても。
雪の中を走るあの子を見つけたとしても。
きっと私は同じことをする。
そう思った。
王の拳がわずかに震えた。
誰にも気づかれないほど小さく。
だが羽琉は知っていた。
父が苦しんでいることを。
―――けれど今この場で、彼は王だった。
―
王は静かに目を閉じた。
ほんの一度だけ。
父として。
そして再び目を開く。
そこにいるのは王だった。
長い沈黙の後、王は宣告した。
「王女、羽琉。」
その声はどこまでも冷たかった。
「お前を追放する。」
羽琉は目を閉じた。
悲しくないわけではない。
怖くないわけでもない。
けれど…
もしもう一度同じ場面を見たとしても。
きっと自分は同じ選択をするのだろうと思った。
観衆がざわめく。
「翼を剥奪し、天界への帰還権を停止する。」
「以降自分の罪を認めるまで、お前は人として生きよ。」
羽琉は目を閉じた。
一枚、また一枚と、翼が断ち切られていく。骨から引き剥がされるような痛みの中で、羽琉はあの夜の小さな影を思い浮かべていた。
雪の中を、必死に走っていた女の子を。
痛みより、それがずっと、鮮明だった。
裁きの間を出る直前、羽琉は一度だけ振り返った。
玉座の父は、もうこちらを見ていなかった。
ただ静かに正面を見据えている。
その横顔は、王のものだった。
けれど。
羽琉にはほんの少しだけ。
父が泣くのを堪えているように見えた。
気のせいではないのだろう。
けれど羽琉は、何も言わなかった。
前を向いて、人間界へ落ちていった。
毎日20時投稿です。
第1章完結までお楽しみください。




