最強……
-Celestine-
四度目の離縁を受け、実家に戻ってから、留守がちな両親や兄上の代わりに領政を受け持ち、武官や文官たちを束ねて、工夫をしてきたと思っている。
でも、このベルクの城下町を見て、もっとああすれば良かったなどの後悔が生まれた。
城下町の周囲には、複数の集落が存在していて、それらが全て道で繋がっているし、農業用水路が耕作地へと続くが、時にそれは小舟で荷物を運ぶためにも使われる。
町で出た屎尿は、肥料として使用される仕組みがあり、人が暮らす地域は非常に衛生的だと感じた。
飲み水も、山や森が豊かな水源となっている。
獣、鳥、淡水魚の漁も盛んだ。
そして、これがもっとも驚いたのだけど、読み書きと計算を教える教師が複数いて、城下町や集落において定期的に学びの場が開催されている。
すべてアリアス様の発案と聞いた。
どうして、こういうことをしようと思ったのかと彼に尋ねると、相変わらずの棒読み口調で答えてくれた。
「どうして? ……えっと……ですね。理由はとくに……そのほうがいいかなと」
不思議な人だ。
変人と、言われるのも仕方ない人だと思う。
発想が、おかしいのだもの。
排水の濾過施設も、地形の高低差を利用した地下にあり、水源を守ろうという発想がなければまず考えたりしない。また、生ごみなども肥料や家畜の餌へと加工する職人がいて、彼らを介して再利用されていることで、生産性もあがっているのだと理解できるし、これも単純にもったいないという以上に、清潔であることを維持する目的が強い。
十年前を、思い出した。
帝都を中心に、ひどい流行り病が発生し、それが国中に広まったことがある。
わたしの弟も、それで死んでいた。
原因不明だったが、中央大陸のほうからやって来た有名な医師――ユキダツ先生が、ネズミを介して伝染すると上層部に訴え、大規模な駆除活動を国中でおこなった結果、流行り病は沈静化した。
ネズミが大量に発生するほどに、大都市は衛生面に問題を抱えていたことが明るみとなり、それからは駆除に力を入れ始めたので、あの病の流行は一度だけで止まっている。
だから、わたしも衛生面でのことを領地で考えて、工夫もしたけれども、このベルクほどではなかった。
食料と水が豊富で、清潔で、働き口もあり、耕作地と道具も貸してもらえるこの領地は、人がゆるやかに増えていて、それは黒竜公爵領の他の地域、とくに兄上達の領地から流れてきているようだ。
「領政にご興味がおありなんて、変わった奥様です。アリアス様も喜ばれます」
こう言ってくれたのは、わたしがあれこれと質問をしているオルネスト殿で、城下町を中心に見学して感じたこと、疑問に思ったことを家宰の彼に尋ねた――アリアス様に質問したかったけど、お忙しいそうだったのでやめた、我慢です――からだ。
彼の執務室の隣が、アリアス様の部屋で、今はフェラン殿とボバン殿と三人で打ち合わせ中。
オルネスト殿が緑茶をゴクリと飲み、言葉を紡ぐ。
「現在の領地があるのは、アリアス様が十五の時にここを得てからの変化によってです。もともといた代官は民から嫌われていて、アリアス様も彼を置くことに難色を示したということで、家中から私が選ばれました……もともと、公爵閣下に測量士としてお仕えしていたのですよ」
「測量士から代官……おもしろい異動ですね?」
「どうやら、測量が重要になるからとアリアス様がお決めになられたそうで」
なるほど……道路と水路と、計画的な地域計画か。
「しかし、短期間でどうしてこのような道路と水路ができたのです?」
わたしの問いに、オルネスト殿は領地に地図を卓上に広げてくれた。
忙しいのに、ありがとう!
「オルネスト殿、お邪魔してすみません」
「いえ、気晴らしになりますし、奥様がご興味をもってくださり私もうれしいのです。ふつう、こういうことを女性に話すと、退屈されますからね」
たしかに……髪の毛を触りだして、退屈アピールするにちがいないわ。
彼が見せてくれた地図は、よくできていると思えた。帝国の国家測量士が作成する測量図にも劣らないと思う。
「このように、もともとの地形を利用しているのです。起伏、高低差、水の流れ、道も通したいところに通したのではなく、工事に困難が伴わないように候補を絞りました。また資金も、鉄がとれるのでその資金を使っております」
「鉄! 鉄鉱床があるの?」
「砂鉄鉱床があるんですよ。しかし残念なのは、国境地帯へと近づけばもっと規模が大きな残留鉱床があると思うんですが、公爵閣下の直轄領ですし、戦争やってる場所に近いので近寄れません。平和になったら、もっと量を増やせるんですけど……ご覧になりたいのです?」
わたしの表情から、オルネスト殿は、わたしが製鉄施設を見学したいとワクワクしていることを理解されたようだ。
「……ぜひ」
「本当に変わった奥様です……けれども、さすがにアリアス様のご許可をとってからになります」
そうよね? 重要施設だもの。
まだ嫁いでちょっとの日数だもの。
さすがにまだ難しいか。
と思っていたのだけど、夕食後のお茶の時にお願いしたら、アリアス様はこう言った。
「はい……いいですよ」
いいですよ!
「案内します」
案内します! やった!
「ありがとうございます!」
製鉄所、見られる!
-Alias-
セレスさんは、領地のことにすごく興味をもってくれているらしい。
街や周囲の集落も、見学に行ったそうだ。その時、用水路とか堰、水車や風車を熱心に見ていたと聞いた。
……社交界で会った頭パー系女子たちとは話がまったくあわなかったけど、セレスさんは俺の話を熱心に聞いてくれるし、質問もしてくる。
そしてなんと、製鉄所を見たいと言ってきた!
自慢の製鉄所なんです!
職人たちを高いお金で招いて、施設にも多額を投資して、でもそれが多額のお金を生み出しているから、俺の領地は資金繰りに困らない!
鉄と材木が主な輸出品目で、そのお金で有益な技をもつ職人を招き、治安維持のために傭兵を雇って常設部隊とすることで、領民には生産活動に集中してもらえるという好循環を生み出すことができている。
セレスさん、ぜひ自慢の製鉄所を見て!
帝都の最高学府である帝都大学から専門家を引き抜いて、好きなように設計してもらった最高傑作なんですよ!
なんてワクワクしていても、彼女を横にすると緊張で話せない。
コミュ障野郎と思われても、仕方ないほどに彼女の前では話せない。
碧く輝く瞳で見つめられ、瑞々しい唇が開き、並びのいい白い歯がみえて……いかん、恥ずかしい!
見つめられて、照れている顔を見られるのが恥ずかしい!
顔を隠すように、馬車の外を眺めると、彼女は身を乗り出して俺の肩越しに、同じ車窓の眺めを楽しもうとする。
「アリアス様、この道も立派ですね」
声が近い!
息が……緊張します!
勇気をふりしぼり、顔を横に向けると整った鼻先が見え……これ以上は無理。
ここが限界。
「整地したんです」
棒読み口調で答えた俺に、彼女の笑い声が届く。
「うふふふ……いいかげん、慣れていただけませんか?」
「……キレイすぎて……む無理です」
膝の上に置いて手を握られて、俺は窓から視線を動かすことができないまま、製鉄所まで早く着けと祈ったのだ。
かっこ悪くない!
しかたないの!
-Alias-
製鉄所は火と水をよく使うので、ベルク郷でも山と川に近い場所に製鉄所がある。
城から馬で駆ければ一時間もかからないくらいだけど、二頭立ての馬車でのんびりと走ると倍以上の時間がかかった。
車中、緊張しまくってトイレが近くなり、製鉄所につくなり手洗いに直行した俺は、彼女が待つ施設玄関へと戻った時、仕事で汗まみれとなった職人たちと握手をして挨拶をするセレスさんに見惚れた。
……容姿最高。
……性格最高。
……声もかわいいし、最高すぎんか⁈ 好きです、結婚してください……いや、もうしている!
立ち止まっていた俺に気づいた職人の一人が、笑い声をあげる。
「若! ぼーと突っ立っておらんで! 奥様を待たせたらいかんですから!」
慌てて彼らに駆け寄り、いざ中を見学。
高温の炉を前にしても、セレスさんは嫌がるどころか近くで見ようとして職人にとめられる始末。
「奥様! あぶなぁど!」
「キレイなお顔が焼けたら、若が悲しみますけ!」
「まぁ! 製鉄の技だけでなく、お世辞も一流なのですね!」
笑う彼女と職人たち。
彼女が、大貴族のお嬢様? 実家では、姫様ひめさまと呼ばれてちやほやされて育った上流階級の、しかも最上級の公爵家のご令嬢?
黒蝶公爵は、とても素晴らしいお方なのではなかろうか?
でなければ、こんな素敵な女性が育たなかったに違いない。
お披露目会……秋にしちゃって後悔……お会いしたい。いろいろとお話をしてみたい。
「アリアス様? 早く次に」
「あ……はい」
セレスさんに急かされて、次の工程を見学しようとした時、鐘の音が激しく響きわたった。
何事かと緊張した時、製鉄所の警備をする傭兵たちが声をあげる。
「魔獣! 魔獣です! 若と奥様! ご避難を!」
こんなときに!
山の近くだから、こういうことは珍しくない。
製鉄所の物見櫓から、傭兵が叫ぶ。
「とてつもなくデカい! 早く!」
ここで、俺とセレスさんの護衛でついてきていた黒竜騎士団の騎士五名が、「失礼をお許しください」と言い、俺の腕を掴む。
逃げよう! わかっている! でもセレスさんを先に!
「セレスさんを逃がせ! 俺はそれ――」
「なりません!」
騎士の叫び、傭兵たちの怒声、そして外から聞こてくる魔獣の咆哮!
怒り狂った巨獣の咆哮は、耳をふさぎたくなるような不快さだった。
人間ども許さん! という念が、音に込められて襲ってきたかのような恐怖。
「勇気を折る叫び! 狂獣か!」
セレスさんが叫び、騎士たちに守られる俺の横につく……こんな時に緊張するな、俺!
「セレスさん、避難を!」
「狂獣の速度は、馬を超えま……皆! アリアス様をお守りするのです!」
セレスさんの勇ましい声に、騎士たちや傭兵たちが固まる。
彼女は、騎士から短剣を奪うように取ると、それで自らのスカートの裾をビリビリと裂いた。
「傭兵たち! 高みから射撃! 騎士たちはアリアス様を!」
セレス……さん?
「奥様!」
騎士の一人が叫んだのは、セレスさんが前にと加速したからだ。
え?
俺は慌てた。
騎士たちも慌てた。
製鉄所の外に出た時、彼女は迫る巨獣を前に仁王立ちすると、短剣の切っ先を狂獣へと向ける。
真っ赤な体毛に覆われた巨大な熊は、身の丈五メートルにも及ぶほどだ。その赤い体毛は全てが針のように硬く鋭く、爪は砥がれた刃物よりも切れ味が鋭いと聞く。
傭兵たちが、製鉄所の屋根から弓矢で狂獣を射る。しかし、矢をものともしない化け物は、一気にセレスさんへと迫った。
まずい! やばい!
ダメ!
絶対にダメ!
「セレス!」
俺が叫んだ瞬間、セレスさんも叫んでいた。
「凍王降臨!」
魔法!
対象エリアを一瞬で凍結させる氷系統最高難度魔法!
それを、呪文の詠唱もせず一瞬で⁉
化け物は、躍動する姿のまま氷の彫刻となる。
セレスさんが、建物の二階へと手を振った。
「矢で時間を稼いでくれてありがとう! 発動できました!」
……魔法……使えたの?
いや、魔法が使えたとかいうレベルじゃない……すごい魔導士なんですね……たぶん、超一流の。
セレスさんは、短剣で狂獣をコンコンと叩くと声を発する。
「うん、カチンコチン……よし」
彼女は指をパチンと鳴らす。
すると、氷の彫刻であった化け物は、すさまじい重圧を上から浴びたようにグシャリと潰れた。
隣の騎士が、口を開く。
「冥魔封殺……重力系の高難度に分類される魔法です」
……。
セレスさんが、輝く笑みで俺へと駆け寄る。
「皆様がご無事でよかった! アリアス様も大丈夫ですか?」
「はい……おかげ様で」
「よかった……ひさしぶりに魔法を使ったので、ちょっと疲れました」
そう言って、輝く笑顔を見せるセレスさん。
俺は、彼女を抱きしめていた。
「ア……アリアス様?」
「よかった……走って行ってしまうから! よかった」
「アリアス様……」
「心配で……叫びました」
「……ごめんなさい」
詫びた彼女が、俺の背に手をまわす。
「うぉおおおおお! セレス様ぁあああああ!」
「すごい奥様だぁあああああ!」
傭兵たち、職人たちが叫びはじめる。
「すばらしい!」
「ご指導いただきたい!」
騎士たちも、興奮し始めた。
でも、俺は安堵が強い。
よかった……セレスさんが死ななくてよかった。
「セレスさん、強いのはわかりましたけど……心配なので、戦わないでください」
「……はい。ですが、アリアス様をお守りする時はお許しください」
セレスさんは、こう言って俺の顔を覗き込む。
美しすぎて、俺は視線を落とした。
すると、白くて健康的な太ももが見える……緊張してきた。
「は……離れましょう。緊張します」
「いやです」
彼女はそう言って、笑ったんだ。
……嫁最強パターンだった!
最強の夫婦始動 おわり