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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
三章
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伍 【淡い気持ち】

「あんたも小鈴の話を、おかしいって感じたんだろう。もっと突っ込んでやろうって」

「……あっ」


 ――――そのことか……。


 てん河のことで頭が一杯になっていたが、確かに、それも気にしていた。

 凌星は花影も自分と同じ気持ちと思い込んでいるらしい。

 小声ながら、勢いを持って、語りかけてきた。


「俺の母親のこととは、別のことになってしまうかもしれないけど、さっき、小鈴の話を聞いていて、思い当たることがあったんだ。巷でまことしやかに流れてる噂話なんだけど……」

「…………まさか……先代国王が亡くなったことに関しての……ですか?」

「知っているのか?」

「丁度、今日耳にしましたね」

「…………あいつ」


 壁越しに、凌星が舌打ちしたのが分かった。


「ほら、先生は王宮にいただろう。先代国王が死んだ時って、やっぱりそういう噂が後宮内でも流れたのか?」

「いいえ、まったく」

「嘘だろ? その噂、俺の知るところによると、意外に本当っぽいんだけどな」

「まさか……」

「国王暗殺なんて、どの国だって、よくあることじゃないか」


 さも当たり前のように凌星に言われて、花影は頭を抱えた。

 そんな一大事、よくあってたまるものか。

 暗殺騒動なんて起こった日には、後宮も荒れる。

 花影が知らないはずないのに……。


(誰かが、噂を禁じた……とか)


 噂の出所になりそうな人間を、秘密裏に葬り去ることなら、簡単に出来そうだが……。


「私は先代国王がご存命の時も私は図書塔におりました。母の助手として、働いていましたよ。王が崩御された時も…………たしか」


 ――崩御したのは、三年前の秋だった。

 エスティア遠征中に肺炎を発症し、王宮に戻ってきて間もなく、息を引き取ったらしい。

 あの頃、花影は十五歳だった。

 脇目もふらずに、ひたすら、勉強をしていた頃だ。

 先代国王のけい 紫陽しようは、ほとんど後宮に顔を出さなかった。

 後宮に渡らないということは、光和殿と接点のない花影が、目にする機会もないということだ。

 在位も短く、印象に残るような政治も行っていなかった。

 元々、虚弱だとか、衆道の気があるのではないかと、後宮内の妃たちの間で密かに囁かれていたことは知っていたが、外部の評価を花影は知らない。

 突然逝ってしまった若き王は、花影にとって、空気のような存在でしかなかったのだ。


(あまりよく覚えてないな……)


 母は紫陽の死についてすら、花影に語らなかった。

 花影は、人づてに、王の死を聞いて知ったのだ。


(いや……でも、確か?)


 ――そういえば、花影が紫陽の死を知る少し前に、母は勉強をしていた花影の手を、無言で握りしめたことがあった。

 冷たい指の痕が残るほど、きつく握られて、花影は一体何事かと、閉口したものだった。

 結局、国王の崩御に伴い、自分たちが王宮を追われることを危惧していたのではないかと、結論づけた訳だが……。


(母様は、他に思うことがあったんだろうか?)


 文献の内容は一言一句覚えているのに、どうしても、母については、おぼろげだ。

 まるで考えることを、放棄するかのように、花影の頭に靄がかかってしまう。


「いや……」


 違う。

 今、思考がはっきりしないのは、花影に熱があるせいだ。

 どうやら、風邪を悪化させてしまったらしい。

 そうだと自覚すると、もう駄目だった。

 立っていることも、間々ならなくなってしまった。

 その場に、ずるずるとしゃがみこんだ花影の異変を察知した凌星がすかさず尋ねてくる。


「…………おい、先生。どうした」


 花影は、なんとか元気な声を捻りだした。


「ああ……すいません。何か急に体に力が入らなくなってしまって。少し眠ろうかと。今の話の続きは、私が目を覚ましてからで良いでしょうか」

「……何だと?」

「大丈夫です。お気になさらず。少し疲れが出ただけですから。眠れば回復しますから」


 荒い息を吐きながら、寝所に向かう。

 こういう時は、眠ってしまうのが一番だ。

 少し落ち着いた時に、自分で煎じた薬を飲めば、すぐに治る。

 いつもそうしてきた。

 ――だが。


「……先生」


 大丈夫と花影が宣言したにも関わらず、よりにもよって、凌星は扉を全開した。

 やはり、納屋の鍵は必要だったかもしれない。

 今までの配慮をすべてかなぐり捨てて、凌星がずかずかと納屋の中に入って来る。


「凌星殿、何で?」

「何で……って、こっちの台詞だろう。じゃあ、お大事にって放っておけるかよ」

「私は、そのつもりだったのですが……」

「とことん、可哀想な人だな」


 同情までされてしまった。

 凌星は花影の顔を見て、それから、文机から落ちるほどの白い紙の山を確認し、深い溜息を吐いた。


「おい……何で、薄着なんかで夜通し作業なんかしていたんだ? また頼んでもないのに、変なことに感づいて、一人で抱えこんでたんだろう? 凍え死ぬつもりかよ? 先生、顔真っ赤だぞ」

「そんなに酷いですか?」

「熱のせいだろう」

「……となると、思考に影響が出てもおかしくないですよね。更に、現在、悪寒も激しい状態です。関節の痛みも伴っているので、全快するのに多少時間が必要かもしれません。貴方との話の続きは、数日後になるかもしれません。申し訳ない」

「分析して、どうするんだ?」


 言いながら、凌星はしゃがんで、花影の額に手を置いた。

 ひんやりした感触が心地良いようで、怖い。


「やっぱり、熱が高いな。少し早いけど、丁李と千李さんを起こすか」 

「だっ……駄目です! それだけはやめて下さい。こんなことで、誰にも迷惑はかけられません。私は一人で休めますから、放っておいてくださって結構です」

「馬鹿言うな。風邪だって、こじらせたら怖いんだからな」

「…………私は、大丈夫です。もう眠るので、貴方は速やかにここを出て下さい」


 口調が弱々しくなったのは、体の奥底から寒気が襲ってきたからだ。

 これは、良くない。

 そんなふうに、自分で分かる程に具合が悪い。

 震えが止まらない花影は、布団の中に入りこもうとする。

 ――が、次の瞬間、背後から力強い何かが自分に覆い被さった。


「…………なっ?」

「大丈夫じゃないだろうが」


 やけに声が近いのは、彼の顔が花影の耳元にあるせいだ。


 ――凌星が花影を、抱きしめている。


 その有り得ない状態に、花影は恐慌状態となった。


「寒気が酷いみたいだな。元々、部屋自体寒いし。とりあえず、もう一度、火鉢をおこすか」 

「あの……凌星殿……伝染りますから、離れて下さい」

「だから、何?」

「はっ?」


 分かっているのに、こんなことをしているとは、驚きだ。

 しかも、離れて欲しいと伝えたはずなのに、彼は更に体を密着してきて、花影の身体を擦っているのだ。


「…………何で……ですか?」

「そんなの、放っておけないからに、決まっているだろ」


 そんなはずはない。

 放置すれば良いのだ。

 本人がそのように頼んでいるのだから……。


(大体、病で倒れるなんて、最低だわ……)


 自己管理が徹底してないのだと、生前、母には叱られたものだ。

 だから、熱を出しても、自分で対処する術を、花影は母から学んだのだ。


(あの人は、私をどんなふうに育ってたかったんだろう?)


 ――誰も、頼りにしてはいけないのよ。

 ――……一人で生きなきゃいけないの。


 呪文のように、繰り返し、そんなことを言っていた。


 ――貴方は花の影だから、支える側にならないといけない。


 自然、それは国王のことだと……花影は思っていた。


 ――じゃあ……母様は、一人で生きているの?


 それは、子供の頃、一度だけ試みた質問。

 母は人形のような瞳を眇めて、簡潔に答えをくれた。


 ――そうしなきゃ、ここにはいられないのよ。


 その時だけ、母は心の底から寂しそうに微笑していた。

 花影の知らない遠い表情をしていた。


(あれは、何を想っての言葉だったんだろう?)


 今更、それを鮮明に思い出したのは、きっと花影が初めて異性を意識したせいだ。

 引き寄せられた力の強さから、花影は凌星が男性であることを、否応なく認識してしまったのだ。

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