陸 【凌星の恋心】
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すでに太陽は真上にあって、凌星の影を細長く地面に映していた。
あの後、高熱で意識を失ってしまった花影を寝床に横たえてから、千李を呼びに行ったところ、彼女は飛び起きて、花影のもとに走った。
続いて目を覚ました丁李も、すぐに納屋に飛び込んできて、二人でてきぱきと、看病を始めてしまい……。
挙句の果てに、凌星は花影を着替えさせたいから、外に出てくれ……と、やんわり納屋から追い出されてしまったのだった。
こういう時、女装でいた方が仲間に入れてくれたのか……と、おかしなことを考えてしまったのは、凌星自身、動転していたからだろう。
花影のことが心配だったが、自分では役に立たない。
だからといって、外出する気にもなれず、屋敷の小さな庭で、ぼうっと無彩色の風景を眺めていた。
暇なことは、尊いことだ。
花影のように、自分で自分を忙しくしてしまう性質ではないが、凌星も本当はやらなければならないことが山積している状況だ。
実際、密かに情報を収集したり、今朝は急いで宗家に連絡を入れたりしてもいるが……。
しかし、基本的には、何も考えたくないし、何もしたくないのだ。
「俺みたいな性格だったら、先生も楽だったんだろうに……」
よりにもよって、顛河の水嵩のことについて、考えていたなんて……。
昨夜、花影が書き散らかしていたものを目の当たりにした凌星は、彼女の膨大な知識量と、想像力に舌を巻いていた。
昨日、二人で行った河辺。
どこで彼女の好奇心に火がついたのかは、なんとなく分かるような気がした。
だったら、いち早く凌星に話してくれたら良いものの……。
信じると話してくれたが、正しくは『信じようとしている』といったところのようだ。
実感すると、切なくなる。
花影の感情の表面にしか触れることが出来ないのが、何とも歯がゆかった。
そして、この苛立ちの正体が何なのか、凌星にも、よく分からないのだ。
「なによ、貴方、こんなところで何やっているのよ?」
「なにって……」
ゆっくり時間をかけて振り返ると、小鈴が腕組みして、凌星を見下ろしていた。
派手な紅色の深衣は、寝不足の凌星からすると、ただ目が痛いだけの代物だった。
彼女は隠れ住んでいるという自覚がないらしく、市場でちょくちょく着物を買っているらしい。
女性らしい艶やかな衣は、男の興味を誘う一品だ。
けれど、凌星には、まったく効果がない。
逆に、光沢のあるぺらぺらの生地は、見ているだけで、寒かった。
「なにって? 今は欠伸しているってところかな。眠くて」
口にした矢先に、大欠伸をして、うんと腕を伸ばすと、彼女は両眼を眇めて不敵な笑みを零した。
「……まあ、寝不足にもなるわよね」
「はっ?」
思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何だよ。訳知り顔で?」
凌星は上擦った声で、とぼけてみせたが、無駄だったらしい。
小鈴は、不敵な笑みを浮かべていた。
「ああ、嫌だ。二人で抱き合っちゃって、いやらしいったらないわ」
「なっ……!?」
転びそうになりながら、凌星はやっと、立ち上がった。
気配には敏感な方だが、昨夜は慌てていて、注意力散漫だった。
……しくじった。
「ご、誤解だ! あれは、介抱だ」
「あら、介抱にしては、無駄に密着していたじゃない?」
「仕方ないだろう。先生は熱で苦しんでいたんだ。体をさすってやるくらい……」
「嘘言いなさいな。貴方、どさくさに紛れて触ってたんでしょう?」
「…………うっ」
図星である。
悲しいことに、否定できなかった。
「いや、だから……あれは、ちょっと心配で思い余ったというか」
「やけに、動揺しているじゃないの?」
「あんたが下世話な言い方するからだろう!」
「……で、好きなの? あの人のこと……。エスティア人の混血だっていうのに?」
嘲笑しながら、小鈴が問う。
しかし、凌星にとって、問題は彼女がエスティアの血を引くからではなかった。
重要なのは、自分の気持ちだ。
「そう……なのかな。 やっぱり」
「はあっ!?」
小鈴が目を丸く見開き、驚声を轟かせた。
「いや……普通。そこは否定するところなんじゃないのかしら? 出会って間もないのに……あんな素顔も良く分からない蛮国の女なんかに、そんなふうになるものなの?」
「言い過ぎだぞ」
「事実じゃないの」
小鈴は、花影を差別している自覚すらないのだ。
その鈍感さに、腹が立った。
まるで、凌星が貶められたような気分になる。
こういう人間が多いから、花影は自分に自信が持てないのではないか?
「素顔が云々という話なら、先生は美人だよ。綺麗だと思う」
「綺麗!? 嘘でしょ!?」
「綺麗だし、美人だ。俺はそう思うけどな」
「髪色も微妙に違うし、肌の色だって、真っ白じゃない?」
「それ美醜じゃなくて、差別だろ。ばかばかしい。あんたの父親の領内には、エスティア人も多く暮らしているじゃないか。そんなこと言っていたら、この先、あんただって、生きていけないぜ」
小鈴の父、浅 泰然が支配している呂県は、丁度街道に面していて、訪れる人間も多国籍だ。よく栄えている。
昔から、陶大将軍が浅氏を攻めにくいのは、その一点にあった。
戦いに関しては大司尉、大将軍共に得意であっても、大司政の潤沢な資金を盾に取られたら、為す術もないというのが実情なのだ。
それを……娘の小鈴が理解していないというのは、皮肉なものだった。
いまだに、彼女の言うことは、決まっている。
「わ、わたくしは、陛下の正妃になって、次代の王を生むのよ。王宮の一般的な考えを、口にしているだけだわ」
「本当、あんた二言目には、それだな。…………くだらない」
「だって、そうなるように、わたくしは育てられてきたんですから。当然でしょう?」
「国王……ねえ。いつ滅ぶかもしれない国の王の子供なんて生んで、楽しいのかね?」
「不吉なことを……よく、ぺらぺらと……」
「本当のことだ。あんたの父親に聞いてみたら良い。エスティアとまともに戦って、この国は勝てるのかって。答えは否だ。こんな小国。雪が鎧になってなきゃ、今頃滅んでいるさ。まあ、良いか悪いか、エスティアがこちらを狙っているせいで、派手な内乱も起こせやしないがな」
「まさか……」
「まだ知らないふりか? 愚かだな……。俺もまだまだだけど、あんたよりはマシだって思うよ。あんたは、自分の知っている世界しか信じようとしない。例の家族のことだって、頑なに浅氏のせいではないと、突っぱねたままだ。欠片も、真実を知ろうとしていないじゃないか」
「それを言うのなら、あの人だって、狭い世界しか知らないじゃないの?」
「少なくとも、そのことを、あの人は恥じているし、視野を広くしたいと思っている。もっと堂々としていれば良いのに、あんたみたいな人間が、あの人の肩身を狭くさせているんだよ」
「偉そうに、よく言うわ。ただの色ボケじゃない」
ぷいと横を向いた小鈴だったが、すぐに自分の言葉に反応した。
「………貴方、偉いの?」
「な、何だよ。急に……? 俺はあんたの嫌いな、気持ち悪い女装男だぞ」
「そうやって、はぐらかしたって、わたくしには無駄なのよ」
「あっ、そう……」
何が無駄なのか分からないが、面倒な凌星は、はぐらかし続けることにした。
「そういえばさ、あんたの方こそ、わざわざ明け方に納屋に来るなんて、先生に用があったからじゃないのか?」
「それは…………」
待っていたとばかりに、小鈴は胸を張って答えた。
「決まっているでしょう。貴方のことよ!」
「俺のこと……?」
「わたくし、貴方の顔、見たことがあるんだから。それを話しに、花影のところに行こうって」
「どこで……?」
「それが思い出せないから、困っているんでしょう?」
「…………困ったな。それは」
確信めいた物言いのくせに、場所は覚えていないらしい。
しかし、嗤えなかった。
言い分はめちゃくちゃだが、凌星にはひっかかることがあったからだ。
「あんたも、先生と同じことを言うんだな……」
以前、花影にそのことを訊かれた時は、口説き文句かと、軽く受け流したものだが、さすがに二人目となると、凌星も真剣にならざるを得ない。
「記憶にある限り、俺はあんたと直接会ったことはないはずだが?」
「違う。そういうのじゃなくて……。なんか……おぼろげに」
「俺は幽霊か? 物の怪かよ?」
どうやら、凌星は驚くほど誰かに似ているらしい。
自分とそっくりな人物が王宮に存在していたら、それはそれで恐ろしかった。
「だから、貴方は誰なのかって訊いているのに!?」
「誰って、言われてもなあ……」
「陶大将軍とあんたって、どういう関係にあるのか教えろって言っているのよ」
「驚いた。あんた……。まるきり、馬鹿でもないらしいな」
純粋に関心していると、甲高い声で怒鳴りつけられた。
「ふざけないで!」
全力疾走した後のように、肩で息をしている小鈴を見下ろしているうちに、凌星も気づくことがあった。
「あっ、もしかして、あんた……?」
「ようやく気づいたわけ? 昨日、薬売りを手伝いに行った時……。丁李は分からなかったみたいだけど、わたくしは遠目にも分かったわ」
「…………なるほど。だから、あんた、あっさりと薬代を払ってきたのか。納得したよ」
「そ、それは、まあ、そういうことになるのかもしれないけど」
歯切れの悪い小鈴に苛々しながら、凌星は、こめかみを押さえた。
いよいよ、言い逃れできなくなってきてしまった。
小鈴はごくりと息を飲み込んでから、きっぱり言い切った。
「貴方に絡んでいた、あの男……。あれは、偉 伯豹。今回、陶大将軍と一緒に叛乱に加担した三公の一。………………大司尉でしょ」




