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鬼道丸が老人の顔を見つめていると、老人は鬼道丸のところまでやってきて、歯のない口が許す限りのはっきりした口調で言った。
「どうやら、厄介ごとを押し付けられたらしいの」
「爺さん、聞いてたのか」
「まあな。朝からこの橋の下で釣りをしておるが、今日は一匹も釣れぬ。それで、暇つぶしに、橋の上に見えたお前の様子にでも聞き耳を立てておったのじゃが、お前のようないんちき占い師には客も寄り付かぬと見える。あの牛車が現れるまで、欠伸のし通しじゃった」
「大きなお世話だ」
「それにしても、どうするつもりだ。病を治す相手の名前すら教えてもらえずに、どうやってその方法を探る?」
「俺にわかるかよ。もう俺はお終いだ。銭を持たずにねぐらに帰れば、親方に殺される。どこかに逃げても、あの橘次とかいう男に探し出されて検非違使へ突き出される。いずれにしても、もうどこにも行くところはない。いっそ、この橋から身を投げた方がましだ」
「こんな浅い堀川では、そうそう溺死もできぬぞ」
老人は薄ら笑いを浮かべて、鬼道丸の不幸を面白がっているようだ。
鬼道丸は頭にかっと血が上って、大声で老人に言い返した。
「うるさい、爺! もう俺に構うな。こんなに暗くなるまで、そんな小さな子を連れてこんな寂しい場所をうろうろしているなんてどうかしている。孫だか何だか知らないが、その女の子を連れて、とっとと家に帰れ」
老人の目が突然きらりと閃いた。
老人はひゅうと唇を鳴らすと、小さな声で呟いた。
「どうやら、まんざらいんちきでもないらしいの」
そう言うと、老人は女童の手を引き、鬼道丸の前に女童を押しやった。そして、鬼道丸に尋ねた。
「お前、この子が見えるのか」
「何いってやがる。いくら暗くなったって、かぐや姫みたいにちっちゃいわけじゃなし」
鬼道丸の目の前には、五、六歳の可愛らしい女童が立っていた。
萌黄の単の上に、少女の装いである濃い紅色の衵。
ふっさりとした髪を短い尼削ぎにして垂らし、両鬢の髪を一房、桃色の細い組紐で束ねている。
磁器のように白く滑らかな顔に、こんな子供には似つかわしくないほど赤い小さな唇。
つんと上を向いた鼻が、気位が高く利かん気な気性を表しているようだ。
でも、何より美しいのは、その一際大きな瞳だった。
異国の血でも混じっているのだろうか。長い睫に囲まれたそれは、不思議な淡い茶色だったのである。
そればかりではない。
その瞳は夕暮れに僅かに残った日の光を受けると、俄かに真紅に色を変えた。まるで、燃え上がる炎のように。
ぼんやりと童女を見つめている鬼道丸を、老人はしばし探るような眼差しで眺めていたが、やがて女童をさらに鬼道丸のほうへ押し出して言った。
「この子をお前に貸してやろう」
「え、何だよ」
「この子は、名を月季といってな。側に置いておけば何かの役に立つはずだ」
「嫌だよ。どうして、俺が餓鬼の世話なんてしなくちゃならないんだ。自分のことだけで精一杯だってのに」
「まあ、そう言わずにしばらく借りておけ。この子の世話はいらん。自分のことは全て自分でできる。きっと、この子がいて良かったと思うことがあろうよ」
そう言うと、戸惑う鬼道丸にも構わず、老人は肩に引っ掛けていた釣り棹を持ち直した。
そして、女童にちらりと目配せをしただけで、女童を置き去りにしたまま、橋を渡って去っていってしまったのである。
鬼道丸は途方に暮れた。
今日は何だか変な夢でも見ているようだ。
天女のような美しい姫君に出会えたと思ったら、怖い男に無理難題を吹っかけられるし。その上、妙な老人に子供まで押し付けられた。
鬼道丸は溜め息をつきながら、月季というその女童の顔を見た。
月季の顔は、まるで仮面でも被っているかのように無表情だったが、鬼道丸の不安そうな眼差しに気づくと、ふいに唇を綻ばせて微笑んだ。
その顔は、まるで真紅の大輪が花開いたかのようだった。