知人の血の臭い。
出立までの時間に私はレブ、そしてカルディナさんとトーロと一緒にミゲルさんとリッチさんの店へと向かっていた。備品はカスコ支所で調達できたから、どちらかと言えば今回は別れの挨拶だった。
だけど、着いた店の中が荒らされていて私達は挨拶どころではなく言葉に詰まってしまう。中に入ると奥は意外に綺麗だったが、入り口付近の棚は何かの爪や刃物による傷や焦げ跡だらけだった。潰れた野菜や果物の汁も店の床を汚してそのままの状態。掃除をしようにもどこから着手するべきか悩んでしまう。
「買い物に来たんじゃないなら、のんびりされても困るぞ。冷やかしはお断りだ」
開口一番にミゲルさんが私達に向けたのは、いつにない低い声だった。
「私達は今夜、カスコを経ちます。……二人はその……どうするのかと思って」
「…………」
腕を押さえながら言葉を選ぶカルディナさんをしばらく見つめ、ミゲルさんは深い溜め息を吐き出す。頭をバリバリと掻いて背を向けると露骨に肩を落とした。
「あー……。悪い、ちょっとらしくないな、今の俺」
続いて何を思ったのか突然自分の頬を二度叩く。そして私達に向き直ったミゲルさんは頬を赤くしながらにっこり笑った。
「リッチがこのゴタゴタで怪我してさぁ。正直ちょっと参ってる」
「え!?」
カルディナさんが口元を押さえて顔を青くしたけど、私は店の奥にあった扉の端から長い耳が覗いているのが見えてしまう。
「……大丈夫なんですか?」
「左腕をやられてな。……あぁ、たぶん平気だとは思う。こういうのは町の外じゃよくあるし」
ひらひらと手を振るミゲルさんを見計らった様に耳だけ伸びた扉が開かれる。
「もぉちょっと心配してくれてもええんちゃうっ!?」
大きな声と共に現れたのは、三角布で添え木を当てた左腕を吊るしていたリッチさんだった。二の腕に巻かれた包帯は赤い染みを滲ませている。
「リッチ!その怪我は……!」
「やっちまったわなぁ!治そうにもミゲルは妖精とか召喚するの苦手だし、医者はもう僕の事なんか構ってる暇ないからって構ってくれないし!もう痛いのなんので騒ぐしかないよねぇ!」
トーロが心配そうに駆け寄るが、当のリッチさんはいつもの調子だった。
「……無理すんなよ」
「痛くてもお客さんを、お友達を前にして暗い顔なんてしてられんって!」
その後ろでミゲルさんがリッチさんを見る目は息を呑んでいる様に張り詰めていた。もしかして、私が思っているよりも本当は深刻なのかもしれない。
「だからってお前、昨日は丸一日起きなかったんだぞ!」
「え?じゃあ一日見張っててくれたん?そりゃあ悪かったなぁミゲル!」
最初にミゲルさんが暗かったのはリッチさんが起きなかったのと、見張りで気詰まりしていたからかな。だとしたら……。
「私達、すぐに行けなくてすみませんでした」
「ザナちんやカルが気にする事じゃないよ!町の襲撃で契約者の護衛が身動きとれないってのは良く分かるしね!」
怪我人に励まされてしまった。
「はぁ……。人の気も知らないで」
「お前が寝ずに看病してくれてたのは知ってるって!なんとなくだけど!」
怪我をしていない右腕でリッチさんは何度も遠慮なくミゲルさんの肩を叩く。痛そうな音を立てているけど、ミゲルさんの表情はさっきよりも随分明るく見えた。
「だったら、店のぶっ壊れた棚の修理とかよろしくな。俺はお前のお守りでくたくたなんだから、休憩させてもらうわ」
「ちょっと!怪我人を粗末にして良いワケじゃないんだから!」
「わーってるっての」
ミゲルさんが倒れて転がっていた椅子を引っ張り出してリッチさんの方へと押しやった。リッチさんはすかさず尻尾を一度拭く様に椅子へ滑らせてから腰掛ける。二人ともいつもの調子で話してやっと落ち着けたみたい。
「こっちの被害状況は見ての通りだ。奥の商品は俺とリッチで守ったから、怪我は気になるが商売自体ならすぐできる。でも自分達の事で手一杯で、周りの状況はほとんど分かってない」
ちら、と見ただけで明らかに人間業じゃない荒らされ方と分かる。フエンテのインヴィタドが見境なしに暴れたんだ。
「二人でよく追い払えたな」
「いやいや、あんな殺気ムンムンの連中とか無理。カスコ支所の連中だよ、倒してくれたのは」
トーロが訝しんだところでミゲルさんが首を振る。わざとらしく自分を抱く様にして震えて見せた。
「インヴィタドをこのカスコで暴れさせるなんて、前からザナちん達が話していたやつぐらいだよな。フエンテ、って言ったっけ?」
「えぇ。そのフエンテを追って、ムエルテ峡谷に向かう事になったの」
カルディナさんが告げた行き先を聞いて目の前の二人は目を点に変える。そうか、最初に来た時点では言っていなかった。




