秤の重み。
第四十四章
大慌てで最低限の武装をしてカスコ支所から一歩外に出た途端、耳に入って来た悲鳴はアルパでゴーレムが暴れていた日を思い出させる。震え上がったのは何も寒さのせいだけではない。森が燃える赤い光が錯覚で見えたのは一瞬だったが、実際の光景もあの日と差は遠くなかった。
逃げ惑う人影や声の数はアルパの比ではなかった。カスコにいるから、カスコの召喚士だからと言っても万人がビアヘロと戦う術は持っていない。ましてやこの不意の状況に対応できる順応力を持っている者がどれだけいようか。
「レブ、お願い!」
「任せろ!」
私が名前を呼ぶとレブは力強い返事と共に身を屈めて大きく翼を広げた。バッと展開した翼は風を受けて丸みを帯びて更に広く見せる。
煙は幾つか立ち上っているが、炎らしき光りは見えてこない。火炎ではなく、どちらかと言えば土煙に近い。しかし木々が燃えて発生する黒煙も時折姿を見せていた。しかもその黒煙が一際濃く空へ昇っていたのはカスコ城の方だ。放って治まる様なものじゃない。一刻も早く止めないと。
「待て」
しかし、そこで私達を止めたのはチータ所長だった。
「レアンドロ!一般人の避難誘導、状況の確認を急がせろ!それと、待機中の浄戒召喚士をカスコ支所前に集めておけ!どこに向かわせるかは追って指示を出す!」
「は……はっ!直ちに!」
どこに逃げれば良いのか、どこが一大事なのか。それすらも今の段階では分からない。だけどこの状況でも所長の迷いない指揮はレアンドロ副所長もすぐに行動へ移させた。
「……君達は残れ。私が首謀者を捕らえる」
カスコ支所に再び飛び込んだレアンドロ副所長が乱暴に閉じた扉を見て、チータ所長が指差す。拍子抜けしたレブも目を丸くして広げた翼を徐々に閉じていく。
「人手は多い方が良いです!私達も手伝います!」
「不要だ。この程度なら私達カスコ支所の召喚士だけで事足りる」
今よりも酷い体験をした事があるかの様に所長は事も無げに涼やかな顔で言ってカスコ城を睨んだ。
「フジタカが言うんだったら、きっとフエンテも来ています!今回は前みたいにこっちの先手じゃないんですよ!」
今回はフジタカが気付くのが遅れたか、相手が何らかの対策を講じていたか分からない。だけど余りにもフジタカが気付くまでと爆音までの時間が短過ぎた。ロボとの関連は疑いようもない。チコも必死に申し出るが所長の目が見据えたのはフジタカただ一人。
「……俺がいた方が役に立つんじゃないっすか?俺ならどっちに向かってるかもなんとなく……分かります」
自分の胸に手を当てて真っ直ぐに見詰め返すフジタカの顔をまじまじと見てからチータ所長は自分の腕輪から一枚、召喚陣を取り出した。地面に敷いて数秒、すぐに召喚陣が作動して光を放つ。
「……出でよ」
避難する住人の声に紛れて、ぽつりと一言。その直後現れた影に皆が身構える。
「うわ……っ!?」
「フジタカと言ったな。私と来てもらうぞ」
目の前に現れた四足の獣は馬によく似ていた。しかしその姿は単なる馬ではない。
ウニコルニオと違い額に攻撃的な角は生えていなかった。その代わりに前脚の付け根辺りから羽毛がふさふさと生えており、段々とそれは肩端を離れてレブの背中と同じ翼になっている。翼を生やした天を翔る馬、ペガソは何故か既に馬具が付いた状態でチータ所長の隣にぴったり寄り添って私達を見ている様だった。
「え……乗れるの?」
自分を指差すフジタカを見て所長は頷いた。
「そうだ。時間が無い、早くしろ」
「あ、は、はい!」
所長が鐙に足を乗せて一息でペガソに跨ると、すぐにフジタカへ手を差し伸べた。戸惑う暇もないばかりにフジタカも手を乗せ簡単に引き上げられる。
「では……」
「ちょっと待った!俺もフジタカの召喚士です!連れてってください!」
一度手綱を握ったチータ所長にチコが食い下がる。明らかにフジタカと所長で鞍は埋まっていた。
「来てもらおうか」
「よっしゃ!お願いします!」
迷う時間も惜しいのか所長はすぐに決断してフジタカが引き上げた。明らかにペガソの背中はこれ以上人を乗せる事はできそうにない。
「彼らは必要だから協力してもらう。だが、これで十分だ」
今度こそしっかりと手綱を握ってチータ所長は私やカルディナさんを見下ろした。
「君達トロノ支所の召喚士まで駆り出す真似はしない。カスコ支所の中なら余所よりは安全だ。くれぐれも今見えている煙や騒ぎの方へ近付こうとはしないでくれ。契約者を守りたいのならばな」
「あの……!」
これ以上は何も聞かない、とチータ所長は今度こそ手綱を振るいペガソが歩き出した。通りを進む速度を徐々に上げると翼を広げて羽ばたいた。フジタカとチコも乗せているのに軽やかに所長のインヴィタドは空へと駆け上がって行ってしまう。




