8話 腕力で法則を捻じ曲げる。
「初めて貴方を見た時から、ずっと好きでした」
僕は今、彼女の机の前に居る。
誰も居ない始業前の教室、今でなければ彼女にこの手紙を渡す事は出来ないだろう。こんな臆病な僕が嫌になる。
だけどこの想いだけは伝えたい。貴方が好きだって。
まるで白銀のように美しい銀髪、絹のように白い肌。気品を感じさせる顔立ちには粗野な所が一つもなく、纏う空気は百合のよう。僕の人生の中で、これほどまでに美しい女性は貴女以外に存在しません。
「いつでも真っ直ぐで、しっかりとした芯を持つ貴方を愛しています……アンジェリン」
一生に一度、男として勇気を出す時だ。僕の心が、彼女に伝わりますように。
彼女の机に思いのたけを忍ばせた後、僕はすぐに教室を後にした。
◇◇◇
「いいわよレミリア、そのまま思い切り引きなさい!」
「わかりました! そぉぉぉれぇっ!」
私ことアンジェリンは、レミリアのアシストで街を爆走していた。
ちょっと寝坊したせいで遅刻しそうだけど、私にはクロスバイクがある。馬車より小回りが利く自転車なら、細い路地を潜り抜けて最短距離を突っ切れる。
しっかし本当に飲み込みが速い子ね。ダンシングをもうマスターしちゃうなんて。
「昨日付きっ切りで教えた甲斐があったわ。ねぇエヴァ」
「そーですね」
私の後ろでエヴァはげんなりした顔になった。なんでそんな疲れてんの貴方?
「お姉さまが私の引いた空気を吸って吐いて血肉にするなんてこんな幸せ他にあるかしらああもうたまりませんどうぞ食べてください私の作った空気をどうぞ味わってくださいお姉さまもう私興奮で心がはりさけそうですお姉さまああお姉さまお姉さま」
「鼻歌交じりねぇ、あんまり歌うと酸欠になるから程ほどにしなさい」
「呪詛を鼻歌と断じる胆力に私驚きです」
呪詛と鼻歌は違うじゃない、ちょっとは音楽を勉強した方がいいわよ。
「やぁ三人とも、こんな時間に会うなんて奇遇だね」
路地を抜けるなり、ひょっこりとエドワードが現れる。彼も自転車に乗っているけど、もしかして遅刻しかけ?
「この自転車とはいい物だね、馬車より断然早い。おかげでこれから少し寝坊できそうだよ」
「ふふん、クロスバイクの魅力を分かってくれたようね」
クロスバイクは通勤、通学にとても役立つ自転車だ。
ママチャリより速いし疲れない。運動不足の解消にもなるし、ロードバイクより道を選ばないからルートの自由度も高い。
人によっては中途半端な性能で飽きる場合もあるけど、街乗りに特化している分、フリーライドではロード・マウンテンの追従を許さないの。
「それにいい……この自分を追い込む感じ。漕げば漕ぐほど全身がギシギシ痛み始めて、まるで己自身で鞭打っているかのような苦痛が気持ちいい! もっと、もっと! アイニードモアペイン!」
「そうよ、自分を追い込んでこそ鍛練になるの。自転車は自分自身との戦い、きちんと分かったようね」
「戦ってません。あのドMは自転車を三角木馬かなんかと勘違いしているだけです、自分から欲望に負けているだけです」
自転車の楽しみ方は人それぞれって奴ね。ともあれこれで四人で走れる。
「興が乗ったわ。レミリア下がって、私が引く。重装歩兵と呼ばれた私のアシストを刮目しなさい」
ドラフティングの練習も兼ねて、四人で直列に並んで走る。そしたらあら不思議、スピードが見る間に早くなっていく。
トレイン効果。スポーツ科学ではそう呼んでいる。
ドラフティングは前走者の後ろに発生する低気圧部分に、後走者が吸い込まれる現象を利用したテクニック。
後ろに人がついてくれれば、前の人は空気の流れがスムーズになって空気抵抗が減って楽になり、よりスピードが増す。しかもこの現象は物体が円筒状になっていれば、より空気の流れが滑らかになって抵抗も少なくなっていく。
人数が増えるほどドラフティングの効果が高まるのは、こんな理由がある。
「四人で走れば速さは四倍! さぁ、一分で学院に行くわよ!」
バーエンドバーを握り込み、全力のスプリント。何度もエースをゴールへ導いたアシストをどうぞご覧あれ。
「……嵐のように荒れる銀髪、稲妻の如き白い肌。野性味を感じる面立ちには気品が無くて、纏う空気は鬼のよう……こんな貴族令嬢に嫁の貰い手来るのかね……」
エヴァ、きっちり聞こえてるから。今度の新月の夜、覚悟しておく事ね。
◇◇◇
校門でエヴァとドMから別れ、教室へ行く前に手早く着替えを済ませる。はぁ……どうしてこの学院は乗馬服のまま授業を受けちゃだめなのかしら。スカートって動きにくいから好きじゃないんだけど。
もう少しスポーツマンに優しい学園にしてほしいわね。とりま補給食でも食べとこ。
「お姉さま、見た事のないクッキーですけど、それなんですか?」
「もぐもぐ……エナジーバーっていうの。食べる?」
私が出したのは、ドライフルーツを乗せて焼いた、ごつごつした棒状のクッキー、グラノーラバー。
自転車はとにかくカロリーを消費する。ダイエットにはいいのだけど、カロリーを失うという事は体のガソリンが無くなっているって事でもある。
だから運動後は適度に補給食を食べとかないと、頭も体も動かなくなってしまう。そこで活躍するのが補給食!
カロリーメ○トやウィダー○ンゼリーが相当するけど、当然異世界にそんな物はないから、レーサー時代自作していた補給食を常に忍ばせているのだ。
「あっ、美味しい。キウイといちごが甘酸っぱくてたまりません」
「タンパク質や糖質、脂質を手軽に補給できるから、アウトドアには必須のアイテムよ。結構簡単に作れるから後で教えてあげる」
グラノーラと小麦粉にはちみつとココナツオイルを混ぜた後、型に押し込んで150~160℃のオーブンで三十分焼く。あとは冷まして切り分ければはい出来上がり。
ドライフルーツを乗せたり、チョコを混ぜるだけでバリエーションを付けられるから、色んな味を楽しんで欲しいな。
「さーてと、今日も面倒だけど勉強頑張りますか」
って事で席に着くなり、何やら違和感が。誰かが私の机をいじった形跡がある。
すぐに調べると、封筒を発見。これは……。
「果たし状かしら」
「お姉さま、私が代わりに始末しますので差出人を言ってください」
「いやね、私が売られた喧嘩よ? 私が処理しなきゃだめじゃない」
無表情になるくらい心配してくれてありがとう、気持ちは受け取っておくわ。
「ともあれ内容確認してから作戦立てないとね。……うん、うん……うん?」
読んでいる内に顔が熱くなっていく。そこに書かれていたのは恨み節ではなく、私に対する数々の美辞麗句……。
「(中略)貴方を初めて見た時から、女神のような美しさに見惚れていました。この想いの返事を伺いたいので、夕方校舎裏へ来てください……え……これっ……ラブレター?」
「お姉さまに、恋した方が……今すぐ駆除したい所ですが、恋文に書かれた全てに同意してしまいます、この方とは美味しい紅茶が飲めそうです」
「は、はわ……はわわわわ……///」
「お姉さま?」
「はわわいはわいあーん!?」
気が動転してラブレターが思わず破れたー。こんなロマンティックな告白なんて初めて受けたのだけど。
「どうしようレミリア! ラブレターとかちょっ、え、誰? 誰が出したのこれ!」
「どうしたんですか? 物凄いうろたえ方ですけど、お姉さまなら恋文の一つや二つ、貰ったことが」
「無いの……私こういうの経験ないの。女の子から直接口説かれた事は何度もあるけど、男の子からのこういう告白は、その……はうぅ……」
いくら私とて、女を完全に捨てたわけではない。男性から素敵な告白を受けるシチュエーションには強い憧れを持っている。恋バナには必ず入っていくし、友達から聞く交際事情に胸をときめかせている。
だけどいざ自分がその当事者になると……嬉しい反面凄く恥ずかしい。
「だって私女の子っぽくないじゃない。いつも男以上に漢らしい事しかしてないし」
「自覚あったんだ……」
「趣味がアウトドアとか、お淑やかどころか汗臭い事この上ない趣味だし」
「それは素敵な趣味ですけど……うん、放置しよう」
「先月山籠もりした時なんか、素手でヒグマ仕留めて鍋パーティしたし!」
「素手で熊殺せるんですか!?」
「こんな女子力物理に振り切った女に恋する人が不憫で申し訳なくて! むしろいいの私なんかを選んで!? 私よりエイリアンとデートした方が千倍幸せな時間送れるわよ!?」
「女としての自己評価が低すぎますよ、お姉さまは充分女性……(思い返す過去の行動)……外見だけなら充分女性らしいから自信持ってください!」
「フォローになってないからいっそ黙っててほしかったな」
レミリアすら閉口する程、私は女らしくない。そんなの、前世の頃から分かっていた。
悪役令嬢だから悪役ぶる。そんなのは唯の言い訳。滑稽すぎるけど、自分を女として見られてしまうとパニックになってしまって、途端に臆病になってしまう。
自転車好きな反面、それが私のコンプレックスでもある。こんな女を捨てている自分が時々嫌になって、酷い嫌悪を感じる時がある。
だから男性に女として見られないよう、豪快なふるまいをしてしまうのだ。
「ううう……どんな顔していけばいいんだろう。ねぇ、私綺麗? どこも変じゃないよね?」
「女性として評価されたのに凄く自信を失ってる……普段10:0でタチ特化してるからネコに回ると弱いんだ……」
「言われてみれば紙装甲バ火力の女ね私……」
レミリアは私の肩を抱いて、一言。
「本来なら、私からお姉さまを奪おうとするアブラムシが相手。いつもなら刈り取る所ですが、どうやらお姉さまの魅力を分かってらっしゃる人のよう。初回に限り、お姉さまの逢瀬を許して差し上げます」
「レミリア、もしかして……応援してくれるの?」
「はい! 私が傍で見守ります、だからお姉さま、女としての勇気をもって!」
『私達もお供させていただきます、アンジェリン様!』
いつしか私の友達全員が応援してくれている。この暖かさが、心強い。
「もし振られたら僕を頼ってくれ、喜んで憂さ晴らしのサンドバッグになろうとも!」
と言って現れたエドワードは犬神家にしとして、なんだか勇気が湧いてきた。
よし、乙女は愛嬌、女は度胸、戦う女性は最強よ。相手が誰だか分からないけど、私に惚れてくれた以上、その想いには応えなきゃ。
◇◇◇
「……って、冷静に考えたらこれ、本来レミリアに起こるイベントよね」
放課後、校舎裏へ歩いている途中で、何となく私は疑問に思った。
ラブレターを貰った衝撃で頭が完全に停止していたけど、あの子が入学して二週間。乙女ゲームだと第二の攻略対象が出るタイミングだったはず。
あっれー、どうして悪役令嬢の私が彼のラブレター受け取るの? 確かラブレターを貰ったレミリアはアンジェリンからの妨害を受けつつ校舎裏に向かった気がするんだけど。
レミリアからも敵対する所か滅茶苦茶慕われてるし、エドワードは……まぁどうでもいいとして。私の知ってるシナリオから大分脱線しているような気がするんだけど。
登場人物の性格も大分変わっている。もしかして、ゲームのシナリオ自体が改変されつつあるの?
なんでだろう、心当たりなんかどこにもないのに……。
せいぜい自転車を作り出すために無茶をした程度だけど、それくらいの事でシナリオが変化……(思い返す自分の行動)……。
「いやするわ、絶対するわこれ(汗)」
第一乙女ゲームの登場人物が素手で熊殺したり、攻略対象相手にキン○バスター使うわけないじゃない。私自身がイレギュラーになってゲームシステムの強制力を壊しちゃったんだ。……腕力で。
たはは、ごめんレミリア。貴方の運命の人なのに、私のせいで……相手には悪いけど、きちんと断っておかないと。
「よかった、来てくれたんですね」
天使のような、柔らかくも優しい声が聞こえた。
振り向くと、そこに居たのは華奢な体をした、天使のような少年。正統派イケメンのエドワードとは正反対な、清純系で可愛らしい容姿の緑髪の男の子。
「えと、まず名前を教えてもらっていい」
「はい。僕はバニラ。バニラ・ダーンスと申します」




