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ぼっちを満喫したい俺に、なぜかクラスのヒロインたちが懐いてくる  作者: 富益 啓


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8/12

第8話「俺は、誰のことを考えていたんだろう」

 文化祭の翌日、教室はどこかぼんやりしていた。


 昨日の疲れが残っているのか、朝のホームルームまでの時間が、いつもより静かだ。窓から差し込む光が、少し低い角度になっていた。十月になっていた。


 (ゆう)が席に着くと、白瀬(しらせ)が隣に座っていた。


 いつも通りだった。まるで昨日のあの廊下が、なかったみたいに。


「おはよ」


「ああ」


 白瀬はスマホを取り出して、何かをスクロールした。悠は教科書を出した。


 昨日の続き、は言わないのか。そう思いかけた悠の横で、白瀬が静かに口を開いた。


「昨日の続き、やっぱり今日言う」


 悠は動きを止めた。


「……聞こうか」


「今じゃなくていい。放課後でいい」


「放課後」


「うん」と白瀬はスマホを置いた。「家庭科室、今日も使える?」


「使えるが、料理はしない」


「してくれなくていい。話すだけ」


 白瀬はそれだけ言って、また前を向いた。


 悠は教科書を開いた。文字が、少しだけ頭に入らなかった。


    ◇ ◇ ◇


 昼前にスマホを確認すると、昨夜送ったメッセージへの返信が、(りん)からまだ来ていなかった。


 既読はついていた。


 昨夜十時頃に送ったメッセージだ。「文化祭の後片付け、手伝ってくれてありがとう」——それだけ。返信するほどでもない内容だとは思う。でも凛は、普段なら短くても返す。


 昼休み、悠はいつものぼっち聖域で一人で弁当を食べた。


 今日は誰も来なかった。白瀬は友人グループと食べると朝に言っていた。(たちばな)は一年の教室。凛は——生徒会室だろうか。


 静かだ。


 一人の方が落ち着く、はずだった。なのになぜか、今日の静けさは、少し違う種類のものに感じた。


    ◇ ◇ ◇


 放課後。


 間宮(まみや)に「今日屋上行くか」と言われて、悠は少し迷った。


「今日は……少し予定がある」


 間宮の眉が上がった。


「予定? お前が?」


「なんだ、その反応は」


「いや、珍しいから。誰かと約束?」


「白瀬と」


 間宮は一秒間、完全に動きを止めた。それからゆっくりと、ものすごく満足そうな顔になった。


「へえ」


「その顔をやめろ」


「お前から誘ったの?」


「向こうから言ってきた」


「話す約束? 何の話?」


「知らない。向こうが話したいと言った」


 間宮はしばらく悠の顔を見てから、「そっか」とだけ言った。


「行ってこい」


「なんで急にあっさりしてる」


「そういうときもある。ただ——一個だけ聞いていい?」


「なんだ」


 間宮は少し表情を変えた。からかうでもなく、分析するでもなく、珍しく真顔で。


「お前は今、誰のことが一番気になってる?」


 悠は答えようとした。


 ——答えられなかった。


 喉のところで、言葉が引っかかった。「白瀬が話したいと言っている」「凛から返信がない」「あの一瞬の凛の表情」「白瀬の頬が赤かったこと」——それらが同時に頭の中で重なって、うまく整理できなかった。


「……わからない」


 間宮は何も言わなかった。ただ、少しだけ目を細めた。


「そうか」


「なんだよ、その『そうか』は」


「いや、お前が『わからない』って言ったのが初めてだったから」


「俺はいつでもわからないことはわからないと言う」


「恋愛の話でわからないって言ったのが、だよ」


 悠は黙った。


「行ってこい」と間宮がもう一度言った。今度は少し違う声音で。「ちゃんと、自分の答えを出してこい」


    ◇ ◇ ◇


 家庭科室に着くと、白瀬はすでにいた。


 椅子を二つ向かい合わせにして、一方に座っていた。悠が入ると、白瀬は少し背筋を伸ばした。


「来た」


「ああ」


 悠は向かいの椅子に座った。家庭科室は静かだ。昨日まであったにぎやかな試作の空気が、もうない。


「緊張してる」と白瀬が言った。「私が」


「見ればわかる」


「そんなに顔に出てる?」


「出てる。さっきから指が動いてる」


 白瀬は自分の指を見て、止めた。小さく息をついた。


「……ちゃんと言う」


「聞いてる」


「やっぱり少し待って」


「待つ」


 白瀬は目を閉じて、開けた。悠をまっすぐに見た。


成瀬(なるせ)くんのこと、好き」


 悠は——何も言えなかった。


 言えなかったのは、驚いたからではない。どこかで、わかっていた気はしていた。でも実際に言葉として聞いた瞬間、その言葉の重さがうまく処理できなかった。


「……今すぐ答えなくていい」と白瀬が続けた。声が、少しだけ震えていた。「考えてほしいだけ。答えは後でいい」


「……わかった」


「怒ってる?」


「怒ってない」


「嫌?」


 悠は少しだけ考えた。


「……嫌じゃない」


 白瀬は小さく息を吐いた。緊張が少し解けたような、でもまだ何かを抱えているような、そういう顔だった。


「じゃあそれだけで、今日はいい」


「それだけ?」


「それだけ」


 白瀬は立ち上がった。椅子を元の場所に戻した。


「帰ろう」


「ああ」


 二人で家庭科室を出た。廊下に夕方の光が入っていた。昨日と同じ光。でも昨日とは違う空気で。


 昇降口で別れる前に、白瀬が言った。


「また明日も、隣座っていい?」


 悠は少し間を置いた。


「好きにしろ」


 白瀬は笑った。最初に会ったときと同じ、「ありがとう」の代わりみたいな笑顔だった。


    ◇ ◇ ◇


 家に帰った悠は、ベッドに倒れ込んで天井を見た。


 静かだ。いつも通り一人だ。


 でも頭の中は、全然静かじゃなかった。


 白瀬に言われた言葉が、頭の中で繰り返された。「好き」——それは意味が一つしかない言葉だ。受け取り方の解釈の余地がない。


 嬉しいか、と問われれば——嬉しい、のかもしれない。


 でも悠の頭の中には、もう一つの映像があった。


 昨日の家庭科室の扉が開いた瞬間の、凛の顔。


 あの一瞬だけ変わった表情。何かをこらえるような、飲み込むような——


(俺は、誰のことを考えていたんだろう)


 答えは出なかった。


 出ないまま、悠は天井を見続けた。


 スマホが光った。凛からだった。


「ごめん、返信遅くなった。途中で連れて行っちゃって、後片付け一人でやらせちゃったね」


 悠はしばらくその文面を見ていた。それから返信した。


「一人の方が捗るから」


 すぐに既読がついた。数秒後に返信が来た。


「……そうじゃなくてもありがとう、って言いたかっただけ」


 悠は画面を見たまま、しばらく動けなかった。


(ありがとう、か)


 それだけの言葉なのに、胸の中で何かが引っかかった。


 白瀬の「好き」より、凛の「ありがとう」の方が——


 悠はそこで、自分の思考を強制的に止めた。


 まだわからない。考えるには、まだ早い気がした。


 でも、止めようとしても止められないくらいに、その言葉は胸の中に残り続けた。


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