私の『家族』
国王からの突然の要請にアメリナは困惑していた。
「どうして、突然……?」
「きっと、王様が姫さんの事を認めたんだ!」
「そうだ!今まですげー頑張って来ていたもんな、姫さん!」
一人途方に暮れるアメリナをよそに、一緒に鍛錬をしてきた兵士たちは口々に喜びの言葉を上げる。確かに兵士たちは妹姫――フィーリアはとても愛らしく人柄も良いと言うのは聞き及んでいた。しかしそれが王様を初めとした貴族たちがアメリナを蔑ろにしてもいい理由にはならないとずっと憤っていたからである。
「良かったな、アメリナ!」
「う、うん…。」
胸の中に漠然とした不安を抱えていたアメリナだったが、純粋に喜んでいるゼフィルの姿を見て無理矢理不安を飲み込み微笑んだ。
「アメリナ様。国王様がお待ちです。参りましょう。」
国王からの呼び出しを伝えに来た使者の侍女は淡々としており、その表情を変えることは全くなかった。
「……わしの弟子の話しじゃ。わしも共に国王の元に参じても構わんか?」
「…かしこまりました。」
アメリナ一人で行かせることに胸騒ぎを感じたヴィオールは、国王との謁見に自分も共について行くことにした。使者は一瞬考えを巡らせた様であったが、ヴィオールの言葉に逆らうことはなく許可を出した。
「フィーリア様の、話し相手……ですか?」
「ああ、そうだ。」
謁見の間にて国王から伝えられた言葉にヴィオールは思わず眉を寄せそうになった。
「どうやらフィーリアがどこかでアメリナの存在を聞きつけたようで、是非会ってみたいと言いだしてな。」
「ええ。あの子はほとんどわがままを言う事もない子で、凄く心配していたの。そんなあの子が自分から行動を起こそうとしたことが嬉しくて…。」
国王も王妃も幸せそうな顔をして『自慢の娘』の話をする。その場にもう一人の自分たちの娘がいることが分かっているのだろうか。
「かつての『聖女』を思い起こさせるような不思議な力をフィーリアは持っている。そう考えるとあの子はいつか大変な運命を背負うのかもしれない。」
「その時の為に少しでも多く、あの子の願いを叶えてやりたいの。構わないかしら、ヴィオール?」
ヴィオールは「ふざけるな!」と声を大にして言いたかった。一体彼らは自分の娘『たち』をなんだと思っているのか。
フィーリアは『聖女』と同じような力を持っている。そこはヴィオールも認める所であった。かつて共に『魔竜』に立ち向かった『彼女』とフィーリアの持つ力は酷似していた。
しかし、それだけなのだ。
少なくともヴィオールにとっては、ただ力を持っているだけでフィーリアを女神のごとく称える彼らが理解できない。正直なところ彼はこの国王夫妻にもう会いたくはなかった。彼らを見ているとかつて『聖女』であった戦友に纏わりつき、苦労をかけてきた連中をを思い出すからだ。
セレスティア王国は自然があふれるいい国だ。しかし頂点がこんな娘の力に溺れる夫婦だと思うと嫌になってくる。そんなことをつらつらとヴィオールは考えながらアメリナに向き直った。
「アメリナ、お前はどうしたい?」
するとアメリナは目を丸くした。ここで自分に話しを振って来るとは思わなかったのだろう。
けれどもこれは当たり前の事なのだ。なぜならフィーリアが会いたがっているのはアメリナだ。ならばアメリナ本人がどうしたいかも聞くべきであろう。娘の願いを叶えたいと言った口で、娘の意見を蔑ろにするというのはどうなのか。まるでアメリナが自分たちの言うことを聞くのは当然だと言う国王夫妻の態度もヴィオールの鼻に付いた。国王夫妻は驚いた顔をしてヴィオールを見るが、それを無い物としてアメリナに優しい表情で語りかけた。
「お前も忙しい身だ。無理をしてまた体調を崩したら事じゃ。嫌なら断ってもいいぞ?」
「私は……。」
アメリナは少し逡巡する。
(私の、妹……?)
自分と違い確かに両親に愛されている妹。アメリナは正直な所、妹について何の情も感じなかった。何せ『全く知らない』人間なのだ。
(……でもゼフィルは両親の事を覚えていなくても家族だって言っていたし。)
アメリナの考え方や判断基準はゼフィルに大きく影響されていた。誰もが自分をいない者として扱い何度声を掛けても存在を無い物とされ続けていたアメリナにとって、自分を見つけたゼフィルの存在はとても大きい。彼が自分と同い年であるという事もあり、アメリナはゼフィルを通じて世界を見ている節があった。そしてゼフィルはとても家族思いの少年だった。
そんなアメリナが出す答えは一つだった。
「私、妹に会ってみたい。」
「わぁ!初めまして、お姉さま!私、フィーリア=ステッラ=セレスティアと言います!会う事ができてうれしいわ!」「アメリナ=ヴィオ=セレスティアと申します。よろしくお願いいたします、フィーリア様。」
国王夫妻の話を承諾し、妹が待っているというお茶会の準備がされていたテラスにアメリナは案内された。ヴィオールも心配してアメリナの後ろに控えている。
フィーリアは美しい少女であった。燃えるような赤髪、宝石のような赤紫色の瞳。まるで存在そのものが完璧な人形の様だ。
「…?敬語なんていらないわ!だって私たち、姉妹なのよ?家族じゃない!」
「……そう、なの?」
「そうよ!」
笑顔でアメリナに会えて嬉しいと言う態度を隠す事のない美少女はまばゆい存在感を示しており、案内役の侍女から散々「失礼のないように。」と言い含められていたアメリナは妹に押され気味であった。
「フィーリア様、あなたは特別なお方なのですよ。そんな風に自分を安売りしては――」
「ほう、お主はずいぶんとえらい立場の侍女の様じゃのう。先ほどから第一王女たるアメリナ様に対してずいぶんと無礼な言葉の訊き方をし、自分の主たる第二王女のフィーリア様に対して彼女の意思を無視して忠告をするなんてなぁ。」
その嫌味の含まれたヴィオールの言葉に侍女はぐっと黙り込んだ。確かに上のやることに対して間違っていると思えば注進するのは部下の役目ではある。しかし彼女は一介の侍女――言い方は悪いがただの下働きであり、王女に対してものを申すには明らかに地位が足りない。付け加えるならば、自分の上司ではない目上の人間に失礼な言葉を聞くのはアウトだ。
「申し訳ありません、姉上、ヴィオール様。彼女は悪い人ではありませんが私の専属侍女として長く務めている為に、私に対して少し過保護なだけでなのです。ヴィオール様や姉上に御不快な思いをさせてしまったことを謝罪させていただきます。…ケイト、私は姉と会話をしているだけよ。今の私は王女でなくただのフィーリアなの。」
「…申し訳ございません。フィーリア様。」
フィーリアの略式とはいえ正式な謝罪の礼を受けて、ヴィオールは少し毒気を抜かれたように「構わんよ。」とだけ返す。ケイトと呼ばれた侍女は苦虫を噛み潰したような……そして自分の主に自分のせいで謝罪をさせたという申し訳なさを入り混ぜたような表情をしていた。
「さあ、お姉さま!お茶が冷めないうちに戴きましょう!!」
「は、はい。」
「…お姉さま、二人きりの時くらい敬語はやめましょう?今は公式の場でもないのだし、ね!」
「……うん。」
たじたじと妹に押されながらも用意されたお茶の席に着く。侍女が手早くお茶の準備をしてからフィーリアの後ろに控える。アメリナは少量の砂糖を入れてから、ソーサーのそばに置かれていた銀のティースプーンで軽くカップの中を掻き混ぜた。そして一口。
「――おいしい。」
「よかった、気に入ってもらえて。それは私の一番好きな茶葉なの。高級なものではないけれど私はその味が好きで、お姉さまにも味わってもらいたかったの。お口に合ってよかった。」
「そう、なんだ。」
「ええ、まずお姉さまに私のことを知ってもらいたいの。私の好きなものや得意なこと、そういったいろんなことを。このお茶会もその一環。そしてできればお姉さまのことも教えてほしいの。私たち双子の姉妹――家族じゃない。」
「!」
そう静かにほほ笑むフィーリアは噂通りの心優しいお姫様で。そんな彼女の優しさにどう応えていいかわからず、アメリナはそっとカップの紅茶に視線を落とした。
そんなお茶会を見ていたヴィオールも顔には出さないが、内心驚きを隠せないでいた。
(全く悪意を感じない…。本気でアメリナのことを慕っておるのか?)
人生経験を豊富に積んでいる彼は、大体の人の顔を見ればおおよそ何を考えているのか見当がつく。実際、ケイトと呼ばれた侍女はヴィオールに対してはそれなりの敬意と畏怖を感じていたようであるが、アメリナに対しては見下しているというのが手に取るように分かった。
しかしフィーリアは違う。姉であるアメリナに憧れや敬愛を感じているようで、自分にも敬意を払いながらも親しみのようなものを持っている。
(……ますます『あいつ』に似ているのぉ。)
わずかな懐かしさを抱えつつ、困惑しながら妹と話をしようとしているアメリナを見て、暖かな気持ちで彼は小さく微笑んだ。
「お姉さまは私とは違う教育を受けていると聞いているわ。そのせいでなかなか私と会う時間が無かったのだと父上と母上は言っていたのだけれど、日頃はどんなことをしているの?」
「…ヴィオール様に師事して、武芸をたしなんでいるの。」
「まあ!かっこいい!私も剣の稽古を考えようかしら。」
フィーリアと取りとめのない事を話しながらアメリナはちらりと侍女の顔を窺う。侍女の顔は少し強張っており、アメリナをじっとりと見つめていた。
(…余計な事は言わないように、だったかしら。言うわけないのに。)
アメリナはお茶会に来る道中で侍女にさんざん言い含まれていた事を思い出していた。どうやら国王夫妻をはじめとした貴族たちがアメリナを未だに厄介者として扱い、見下している事実をフィーリアには知られたくないようだ。仮にも自国の王女をヴィオールが指摘して自分の庇護下に入れるまで、非が無いのにいない者として扱っていたというのはどう考えても心象は良くない。フィーリアが『いい子』であるならなおさらだ。
(彼女もどうやら貴族みたいだし…。)
侍女の振る舞いは平民の物とは違った。ヴィオール曰く、王女に仕えるならばそれ相応の身分の女性であることが多い……だったか。彼女のアメリナに対する傲慢ともいえる態度もそのプライドゆえだろう。おそらく貴族たちにとってアメリナは文字通り『消し去りたい過去』そのものなのだろう。
「どうしたの、お姉さま?」
「……なんでもないわ。」
自分の嫌な考えに蓋をして、アメリナはフィーリアに微笑んだ。
「今日はとっても楽しかったわ!また予定を合わせてお茶会をしましょう!…ヴィオール様、申し訳ありませんでした。本日のお茶会にヴィオール様も来られるとわかっていればきちんと三人分の席を用意していたのに。」
「いや、気にすることはありません。勝手に押しかけてきたのは私の方です。」
「いえ、またリベンジさせてください!その時はお姉さまの友人も呼びましょう!」
「いや、ゼフィルはさすがにこういうところは…。」
食い気味に語るフィーリアにぎこちないながらも笑みを浮かべて答えるアメリナ。それを苦笑いしながら見守っているヴィオールは、国王夫妻の思惑は腹立たしいものであったが、こうやってアメリナとフィーリアが交流を深めること自体はアメリナにとって良い事だと思うのだった。
「妹に会った!?」
「うん。」
お茶会から戻った後、アメリナは自分の帰りを待ち構えていたゼフィルに事情を説明した。
「――と言う感じで、噂通りのいい子だったわ。…私なんかとは大違い。」
「…お前の妹がいい子だった事はわかったけど、お前が自分を見下す必要はないぞ。」
「そうじゃな。アメリナ、そういうところはお前さんの悪い癖じゃ。お前はお前が思うほど悪い子ではないぞ?」
「……ごめんなさい。」
アメリナが困ったような顔で笑うと、二人はこれ以上の追及をやめて再びお茶会の話に戻す。
「……でもよ、あれだよな。いくら妹姫様が願ったからと言っても、今までアメリナの状況を妹姫様に知られたくないからって全く二人を会わせようとしなかったって言うのに。急なあれだよな……ヒラメ返しってやつ?」
「手のひら返し、じゃ。わからんのに言葉を使おうとするでない。それとアメリナとフィーリア様を会わせたくないなどと、そんな話をどこで聞いたのだ?」
「えー、一緒に訓練してるやつらがそんな話をしてたぞー!」
「…全く。根も葉もない噂じゃろうに。うっかり貴族の耳にでも入ったら不敬だなんだと言われて面倒なことになるぞ。その噂は二度とせんように。他の連中にも後で言い聞かせておくかのぅ。」
そんな会話をしているゼフィルとヴィオールを尻目に、アメリナは考えていた。
(妹…フィーリアは私を慕ってくれた。『家族』なのだから当たり前だって。……でも。)
自分を謁見の間に呼び出した国王夫妻を思い出す。
(あの人達…私の両親も『家族』なんだよね?)
国王夫妻はフィーリアに確かな愛情を注いでいるのだろう。フィーリアの話をする時には嬉しそうな、誇らしげな、そして愛おしげな表情をしていた。しかし謁見で一度もアメリナの生活を訊いてこない彼らは、やはりアメリナには興味はないのだろう。
いや、若干の値踏みはしていたのかもしれない。自分が『剣聖』の弟子になったから。『妹』の護衛位の価値はあると思っている可能性はある。でなければわざわざ大切なフィーリアにアメリナを会わせるようなリスクは犯さないであろう。あわよくば、アメリナもフィーリアに夢中になる事で自発的に姉に妹を守る様に誘導する狙いなのかもしれない。少なくともアメリナはそう考えている。
(私を利用できる道具になると思っている人も、慕ってくれる人も、家族?)
妹は姉の事を双子の姉妹であり家族と言った。自分を生み育ててくれるはずの両親は一度も自分の事を家族とは言わない。……どちらが普通なのだろうか。
『家族』と言うものがアメリナは全く分からなくなってしまった。