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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第1章

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 掲示板の前から離脱したシオンは、足早に廊下を抜け、人の少ない中庭の方角へと「逃亡」を図っていた。


 ナギという台風に巻き込まれ、周囲からは「9位の怪物」と噂され、精神的な疲労はすでに限界に近い。

 誰とも顔を合わせたくない。

 誰にも声をかけられたくない。


 ただ静かに、植物のように光合成でもして、今日という厄日をやり過ごしたい。

 そう切実に願っていた、その時だった。


「……シオン」


 その願いを、氷のような鋭さで打ち砕く声が背後から落ちてきた。


(……ああ、終わった)


 シオンの足が凍りついたように止まる。

 振り返らなくても分かる。その声の主が誰なのか。

 そして、自分がもう「詰んでいる」ということも。


 恐る恐る振り返ると、そこにはひとりの女性教師が立っていた。


 夜空を溶かしたような、黒に近い紺の髪。理知的で静かな瞳。

 表情は能面のように変わらないのに、なぜか全身から“怒っている”というオーラが湯気のように立ち昇っている。


 シオンの過去を知る唯一の人物。


「エリナ……」


「“先生”」


 即座に訂正が入った。冷徹な声音だ。


「……エリナ、先生」


「よろしい」


 これだ。

 かつては家族同然に過ごした距離感ゼロの相手だが、学院内では“教師と生徒”という枠組みを鉄壁の守りで徹底してくる。


 廊下にはまだ生徒の往来がある。エリナは無言でシオンの腕を掴むと、そのままズルズルと連行し始めた。

 抵抗は無意味だ。この人は一度決めたら、テコでも動かない。


 連れてこられたのは、中庭のさらに奥、植え込みに囲まれた死角のような通路だった。


「ここならいい。誰も聞いていない」


 短く告げ、エリナは腕を組んだ。

 その佇まいは教師というより、尋問官に近い。


「まず一つ、聞く。

 ……昨日、なぜ逃げた?」


「いや、壊れたから……」


「壊した、だろ?」


「違うって! 僕は何もしてない! ただ手を入れたら、機械が勝手に!」


「検査機は勝手に爆発したりしない。……お前なら分かるな?」


(なんでだろうね!? 僕も知りたいよ!!)


『自覚が足りないわねぇ』

(お前は黙ってて!)


 脳内の天使と目の前の教師、両方からの板挟みに遭い、シオンは視線を泳がせる。


「……で、でもさ、エリナ先生。あんな派手に壊れたら、誰だって焦るでしょ? 弁償とか言われたら払えないし……」


 シオンが小声で言い訳をすると、エリナは呆れたように眉間を押さえた。


「弁償なんてどうでもいい。問題はそこじゃない」


「え、どうでもいいの?」


「途中退席して逃げたせいで、試験後の“本登録手続き”が全部止まったんだよ。

 おかげでデータはエラーのまま。名前欄は未入力、順位だけが“9位”で確定してしまった」


「……それって、もしかして」


「間違いなく、お前のせいだ」


(ぐっ……)


 シオンは言葉に詰まった。


「それで掲示板が“空白の9位”になった。

 私は貼り出す直前に気づいて修正しようとしたが……間に合わなかった。おかげで生徒たちの間で変な噂が広まっている。『見えない怪物がいる』とかな」


「……ごめんなさい」


「謝って済むなら世話はないが……まあいい」


 エリナは小さく息を吐いた。

 説教の熱が引くと、その瞳にわずかな色が戻る。


「……なぁシオン。お前、ひとつ勘違いしていないか?」


「なにを?」


「お前の入学は……一般枠じゃない。“私の推薦”で通しているんだぞ?」


「…………え?」


 シオンは瞬きをした。

 頭の中が真っ白になる。


 普通に願書を出して、普通に筆記試験を受けて、普通に入学したと思っていた。

 自分はただの、運良く合格した一般生徒だと。


「筆記の実力があるのは知っている。

 だがお前の過去や、抱えている力の“特殊性”は、普通の入学枠で扱うにはリスクが大きすぎる。

 だから私が理事会に掛け合って、保証人として名前を出したんだ」


「…………」


「お前を安全な場所に置くためだよ。

 この学院なら、結界もあるし、監視の目もある。

 お前に必要な“普通の生活”を与えられる、数少ない場所だからな」


 エリナの言葉に、シオンの胸の奥で温かいものが広がった。

 彼女は、昔からこうだ。

 口うるさくて、厳しくて、いつも怒っているけれど――誰よりもシオンの身を案じてくれている。


 だが同時に、強烈な気まずさも押し寄せてきた。

 そんな恩人の顔に、入学初日から泥(と煤)を塗って逃亡したのだから。


「……ありがとう。でも……」


「“エリナ”じゃなくて」


「……ありがとう、エリナ先生」


「よろしい」


 エリナは満足げに頷くと、教師の顔に戻った。


「感謝してるなら、手続き、今からやるぞ」


 彼女は制服の内ポケットから、薄型の魔術端末を取り出した。

 空中にホログラムが展開され、

 **“未登録項目:氏名”**

 という無慈悲な赤字が表示されている。


「あの、今ここで?」


「今だ。お前に任せたら、また何かしでかして二度と登録しないだろう?」


「いや、そんなことは……」


「あったから空白になったんだ」


「………………はい」


 反論の余地はミジンコほどもなかった。


 エリナが指先で操作し、シオンの名前を入力する。

 端末が柔らかい受諾の光を放った。


《登録完了》


「これで、明日の朝にはデータが更新される。

 正式に“9位:シオン”として掲示されるはずだ」


(……終わった)


 シオンは天を仰いだ。

 名前が出るということは、「あの空白の正体はこいつだ」と特定されるということだ。

 今日の噂話の熱量を知っているだけに、明日の登校が憂鬱で仕方がない。


『安心して。もう手遅れよ?』


(傷口に塩を塗るな……)


 肩を落とすシオンを見て、エリナは端末をしまうと、ふっと息を吐いた。

 そして、シオンの頭にそっと手を置く。


 ポン、ポン。

 一定のリズムで優しく撫でる、昔と変わらない仕草。


「大丈夫だ。

 本当に困ったことになったら、私がどうにかする」


 その手の温かさに、シオンの張り詰めていた緊張が少しだけ解けた。


「……うん。ありがとう」


「ああ。

 だから――」


「?」


 エリナは、この世で最も美しい、そして最も恐ろしい笑顔で言った。


「二度と試験場を爆破するな。……いいな?」


「だから僕じゃないんだってば!!」


『絶対アナタよ?』

(ほんとに黙ってて!!)



 こうして、シオンの名前は正式に学院の記録へ登録された。


 翌朝、掲示板には

 **9位:シオン**

 と、言い逃れようのない事実として表記されることになる。


 正体不明の怪物から、名前持ちの怪物へ。

 ランクアップしたのかダウンしたのか分からないが、一つだけ確かなことがある。


 シオンはただ静かに暮らしたいだけなのに、世界はそれを許してくれそうにないということだ。

 

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