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翌朝。
掲示板の前には、昨日ほどではないが、それでも相当数の人だかりができていた。
初日の熱狂的なざわつきとは違い、二日目の空気はもっと冷静で、実利的なものに変わっている。
誰が敵で、誰が味方か。誰が脅威で、誰が踏み台か。
五百人の生徒たちが、互いに値踏みし合う視線が交差していた。
シオンはその輪の最も端に立ち、人を避けるように斜めから掲示板を確認した。
最上段の名前は不動だ。
王級の三人。
その文字があるだけで、掲示板そのものが光を帯びているように錯覚する。
周囲の会話も、自然とその三名へと向かう。
「やっぱ王級は別格だな」
「この学年だけで三体とか異常だろ」
そんな畏怖の声が耳をすり抜けていく。
だが、シオンの視線はそこでは止まらない。
紙の中央より少し上。
そこでようやく、自分の名前に辿り着く。
9位 シオン
昨日は不気味な空白だった場所に、今日はあっさりと名前が刻まれている。
エリナが徹夜で(そして怒りながら)手続きをした成果だ。
(……名前が入っただけで、なんとなく“世界”が僕を認識し始めた気がする)
シオンは小さく息を吐いた。
昨日のような「正体不明の怪物がいる」という恐怖混じりの視線よりは、まだマシだ。
誤魔化す余地すらない、ただの事実として貼られている方が、精神衛生上よほど楽である。
『ふふ。目に見えるようになったわね、アナタの“場所”』
ディアナが脳内で柔らかく囁く。
(もっと低いところでいいんだけどな……)
『そう思う子ほど、だいたい高いところに立つものよ』
シオンは肩をすくめた。
長居は無用だ。名前がバレた以上、ここで「あいつがシオンか?」と特定される前に撤収すべきだ。
そう判断し、掲示板から離れようとした――その瞬間。
「ーーあー。やっぱり嘘やったんやな」
シオンの足が止まる。
振り返るまでもない。昨日会ったばかりなのに、声の圧力だけで誰だか分かってしまう。
恐る恐る振り返れば、朝日にきらめく黄緑の髪が揺れていた。
ナギだ。
昨日よりも表情が読みやすい。嬉しそうだが、それ以上に「ほら見たことか」という得意げな色が混じっている。
ナギは掲示板の「9位」と、シオンの顔を交互に見て、ニヤリと口角を上げた。
「9位の空白、やっぱりシオンやったんやな」
質問ではなく確認。
言い逃れを許さない、絶対的な確信に満ちた口調だ。
「……まぁ、結果としてそうなったよ」
シオンが観念して答えると、ナギは目を丸くした。
「『そうなった』って言い方よ! しれっとしてるけどな、普通9位ってすごいで? 特にこの学年やと」
「……そうかな」
「そうやて! みんな必死こいてやってんのに、なんやその『たまたま通りかかったら9位でした』みたいな顔は!」
ナギの言うことはもっともだ。
周りの会話を聞けば、この学年は例年よりレベルが高いらしい。その中でのシングルランカーは、本来なら鼻高々で自慢していい順位だ。
だがシオンにとっては、目立ちすぎるというデメリットしかない。
(できれば特別扱いはしないでほしい……)
それが本音だった。
ナギはシオンの微妙な表情を見て、ふっと笑う。
「なんやその顔。“静かにいさせて”って顔しとるな」
「……事実だけど、あんまり大声で言わないでくれ」
「でも昨日の返事は嘘やろ。『違うと思うよ?』とか言うてたやん」
「……否定はしない」
「せやろなぁ。シオンの嘘って、声より空気のほうでバレるタイプやわ」
妙な分析力だ。
しかし、図星すぎて反論できないのが悔しい。
ナギは掲示板に視線を戻し、肩の風精霊を指先でチョイとつついた。
「で。それで? キミは今、どんな気分なん?」
質問の形は軽い。
だが、その瞳には興味本位だけではない、相手を尊重する色が混じっていた。
だからシオンも、変に誤魔化さず、正直に答えることにした。
「……別に、特別な気持ちはないよ。いずれはこうなったはずだから」
「ほー。なるほどな」
ナギはうんうんと深く頷き、満足げに両手を腰に当てた。
「ほな、こういうことでええな」
「……?」
「もうシオンがどういう人かわかってしまったからなぁ。このまま友達でいてもらわなあかんで!」
にかっと笑うナギ。
論理が飛躍しているようで、妙に説得力がある。
「正体がバレたから友達継続」という謎の理屈だが、彼女が言うと成立してしまうから不思議だ。
シオンは諦めたように息を吐いた。
「……昨日も決めてただろ。友達って」
「そうや。再確認しただけや!」
『諦めなさい。あの子は風。一度巻き込んだら離れないわよ』
(……知ってる)
ナギは満足したのか、軽く手を振った。
「ほなシオン。またあとでな。逃げても追うで?」
「……脅しか?」
「約束や」
ウィンクを一つ残し、彼女は軽やかに廊下を歩き去っていった。
風精霊がその背中をふわりと押すように浮いてるのが見える。
嵐のような少女だ。
その背中を見送りながら、シオンはふと思う。
(静かに暮らす予定だったのに……どうしてこう、向こうから騒動が歩いてくるんだろう)
しかし、その足取りは重くはなかった。
むしろほんの少しだけ、胃のあたりが軽くなった気がした。
「正体を知られても、普通に接してくれる相手」がいる。それだけで、呼吸がしやすくなるものだ。
『ねぇ、シオン』
「……なに」
『“普通に生きたい”って願いは、案外叶わないものよ』
「だろうね」
『でも——』
ディアナの声が、少しだけ優しく響く。
『悪いことだけじゃないわ。巻き込まれる人生って、退屈しないもの』
「僕は退屈でいいんだよ」
『ふふ。言うだけなら自由ね』
シオンは掲示板に背を向けた。
周囲の視線が少しだけ増えた気がする。
「あいつが9位か?」「パッとしないな」「いや、昨日の爆発はすごかったぞ」――そんな囁きが聞こえてくる。
だが、突き刺さるような悪意はない。
9位という数字は、追うには高く、騒ぐには低い。
だからこそ中途半端で、だからこそある種の「匿名性」を守れるかもしれない。
(……悪くない)
小さく、それだけ思った。
◆
鐘の音が鳴り響く。
生徒たちの流れが、校舎から外へ、実技訓練場へと向かい始めている。
シオンもその流れに混ざる。
周りより少し遅い歩幅。
けれど、そこに迷いはない。
(……まあ。なるようになるか)
空を吹き抜けた風が、シオンの頬を撫でた。
ほんの少しだけ、昨日の熱気を含んだ風よりも涼しく感じられた。




