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『ねぇ、アナタなんで私を使わなかったの?』
「……いや、使えるわけないだろ」
少年がベッドから身を起こすより先に、いつもの声が飛んできた。
部屋には彼――シオンしかいない。だがその声は、空気の振動ではなく、心の奥底へ直接滑り込んでくる。勝手気ままで、妙に楽しげな、艶のある“女の声”だ。
『昨日の検査、見てて飽きなかったわよ。あんな派手な壊れ方するのね』
「壊したつもりはない。……事故だ」
『でも結果として壊れたわ。あ、別に責めてるわけじゃないのよ? 面白かったって話。人間の作る玩具が、あんな風に火を噴くなんて知らなかったもの』
「僕は面白くない。……あれ、弁償かな」
シオンは重い溜息とともに布団を跳ね除けた。
憂鬱な朝だ。昨日の「属性検査」の光景が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。
本来なら、筒へ手を入れるだけで終わる簡単な測定のはずだった。
魔力回路が個人の適性を読み取り、淡い光で結果を示す。ただそれだけの事務的な手続き。
だが、シオンが触れた瞬間、測定機は赤い光を激しく明滅させ、次の瞬間にボンッという景気のいい音を立てて爆発したのだ。
もうもうと上がる黒煙。
鼻を突く焦げ臭い匂い。
凍りつく試験官と生徒たち。
シオンがその場から逃げ出したのは、決して「力を隠すため」といった高尚な理由ではない。
単に、「入学初日から高価そうな魔導具を備品破壊した気まずさ」と、「後から届くであろう高額請求書の恐怖」に耐えられなかっただけである。
『アナタの顔、すごかったわよ。鳩が豆鉄砲を食らったような、って言うのかしら。あれはなかなか良いもの見たわ』
「……頼むから忘れてくれ」
シオンは頭を振り、制服に袖を通した。
窓の外、朝の光に包まれた学院は美しい。だが、器物破損の逃亡犯(仮)にとっては、その輝きすら胃に重くのしかかる。
今日から授業が本格的に始まる。そして何より、あの検査結果が「序列」として掲示される日だ。
「……うまく誤魔化せてるといいんだけど。機械の不調ってことにならないかな」
『断トツじゃない? 面白さで言えば』
「面白さはいらないんだよ。平穏が欲しいんだ」
『無理ね。アナタ、星の巡りが騒がしいもの』
『どんな順位でも、私の1番はアナタよ?』
「……全く褒められてる気がしないな」
『もちろん。褒めてるわけじゃないもの。事実を言ってるだけ』
「やっぱりね」
相棒である天使――ディアナは、楽しげにそう断言した。
◆
寮の長い廊下を、シオンは歩く。
朝らしいざわめきが遠くから聞こえてくる。精霊が笑うような光の弾ける音、誰かの足音、制服の擦れる衣擦れの音。
しかし、シオンの周囲だけは奇妙なほど静かだった。
すれ違う精霊たちは、シオンを見るなりサッと道を開ける。
風精霊は風を止め、火精霊は揺らぎを潜め、まるで透明な壁があるかのように彼を避けていく。
生徒たちも同様だ。無意識に彼を避け、視界に入っていないかのように通り過ぎていく。
シオン本人はこれを「自分が地味だから」「昨日の件で避けられているのかも」と解釈しているが、実態は異なる。
本能的な忌避だ。
小動物が、捕食者の気配を感じて茂みに隠れるのと同じ。
あまりに異質な「高位の気配」に対し、精霊も人間も、無意識レベルで関わることを拒否しているのだ。
『気づいてる? 精霊たち、アナタから露骨に距離置いてるわよ』
「……やっぱり、昨日の今日だからかな。弁償の話とかされたらどうしよう」
『視点が低いのよねぇ……。まあ、そこが可愛いんだけど』
呆れたようなディアナの声を聞き流し、シオンは掲示板の前へ辿り着いた。
人だかりができているが、彼が近づくと自然とモーゼの海割れのようにスペースが空く。
シオンはおそるおそる、順位表を確認した。
1位から3位には、王級精霊持ちの名前が並んでいる。
問題は、その下だ。
9位。
名前がない。
そこにあるのは不自然な空白と、事務的な備考書きだけ。
『測定時エラー(機材破損により推定値を算出)』
「……うわぁ」
シオンは思わず手で顔を覆った。
「名前すら書いてもらえないのか……。これ、完全に『要注意人物』扱いだろ」
『むしろ品があるじゃない。無駄を削った感じで』
「ポジティブだね……。僕としては『ビリだと思ってたら、ランキング上位でした。しかも名前が不明です!』なんて、どこの物語の主人公だよって感じなんだけど」
『ぴったりじゃない。あなたはいつでも私の物語の主人公よ』
「……心当たりが一人しかなさすぎて頭が痛い」
『私にもわかったわ』
「なんとなく予想してた自分が嫌なんだよ」
『昨日の壊れ方なら、予想はできたわね』
「したくなかったけどね」
シオンの懸念は「目立ちたくない」という一点に尽きる。
だが周囲の生徒たちの反応は違った。空白の9位を見て、「誰だ?」「昨日のボヤ騒ぎの……」「機材を吹っ飛ばして9位?」と、恐怖と好奇心の入り混じった視線を向けている。
その視線が自分に向けられていることに気づかず、シオンは「誰かに特定される前に」と、コソコソとその場を離れた。
背中を丸めて歩くその姿は、とてもではないが「王級精霊を戦慄させた怪物」には見えない。
ただの、トラブルを恐れる小市民であった。
◆
人気のない中庭へ向かう途中、ディアナがふわりと声をかけた。
『ところで、シオン。1位は目指さないの?
アナタの力があれば、あの王級の娘たちなど相手にならないでしょうに』
「目指すわけないだろ」
シオンは即答する。
「静かにしてること。余計な目立ち方をしないこと。普通に過ごして普通に卒業して……そんな“普通”を手に入れるために来たんだ」
『控えめなのね。……ふふ、らしいわ』
「控えめでいいんだよ。だからお前も、余計なことはするなよ。昨日みたいに猫の姿でうろついたりするな」
『愚問ね。私、アナタに嫌われたくないもの』
その言葉は淡々としているが、どこか温度がある。
シオンとディアナ。契約者と精霊という枠組みを超えた、奇妙な共犯関係。
「今日は静かにいきたいんだ。誰にも話しかけられず、誰にも変に思われず、無難に一日を終えたい。……うまく馴染めたら、友達も作りたいしね。普通の生活を送りたいんだ」
『ふぅん、そう』
「……なんだよ、その含みのある言い方は。信用がないな」
『予感がするのよ。アナタの未来って、だいたい騒がしいもの』
「静かであってほしいんだけど」
『願望と現実は別物よ』
「厳しいね」
『事実を言ってるだけ』
「もう少しだけさ……優しい言い方、ない?」
『優しくしてあげる必要、ある?』
「……ないかもしれない」
『ええ、とてもいい子よ、アナタは』
「そうかな」
『そう。そして“いい子”には、だいたい面倒ごとが寄ってくるの』
「寄ってきてほしくないんだけど」
『願望は自由よ。でもね、シオン』
ディアナの声が、少しだけ低く、穏やかになった。
『“静かに見える日ほど、何かが起こる”
この世界は、ずっとそういう風にできているの』
「いやだな、その世界」
『でもアナタ、その“流れ”にとても好かれているわ』
「……ありがたくないんだけど」
『ふふ。でしょうね』
シオンが顔をしかめた、その時だった。
角の向こうから、軽い足音が近づいてくる。
精霊の小さな風音を伴って。
『あら……シオン』
「ん?」
『ほら……来るわよ』
「いや、来るって何が」
『元気で、まっすぐで……アナタみたいな雰囲気を絶対に見逃さない子が』
「いや、僕全然そんな雰囲気出してないよ!」
『あなたがどう思っていようと――』
声がわずかに楽しげに揺れる。
『“ああいうタイプは、あなたを見つける”のよ』
「いやだな、そのタイプ……」
『ほら。角の向こう』
シオンが振り返るより早く、その風は吹き込んできた。
嫌な予感というものがあるなら、今がそうだ。
(……頼むから通り過ぎてくれ)
そう願った瞬間――




