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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
序章

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5


 昨日の訓練場で起きた出来事が、まだ胸の奥に残っている。


 数字が貼り出されただけで、学院の空気はこんなにも変わるのかと思った。

 視線が鋭くなり、足音が神経質になり、精霊たちでさえ落ち着かない。


 その空気の中で、いちばん静かだったのは――

 挑発された当の本人、エルド・ハリオン君だった。


 挑んできた上位生の声は大きく、精霊は火花を散らし、

 結界が反応するほど空気が熱を帯びていったのに。


 エルド君は動じなかった。


(……強い、ってこういうことなのかな)


 エルド君が言った「――」という短い言葉。

 意味は分からなかった。だけど、挑発していた相手の顔色が

 一瞬で変わったことだけは、はっきり覚えている。


 エルド君が見ていたのは、相手じゃなかった。

 もっと遠く、もっと上――

 王級契約者の三人を見据えるような目。


 決して届かない壁ではなく、

 「いつか手を伸ばす場所」を見ているような、そんな眼差しだった。


(……私も、強くなりたい)


 数字を上げたいというよりは、

 あの場に立っていた“選ばれる空気”に、もう一度触れたい。


 そんなことを思いながら、私は教室へ入った。


◆


 教室の中は、妙な緊張感に包まれていた。

 みんな自分の席に座っているけれど、視線だけがある一点を避けている。


 窓際、一番後ろの席。

 そこだけがぽっかりと空いていた。


「……あそこ、例の9位の席だよね」

「誰も座らないのか?」

「座れるわけないだろ、あんな事件起こしたやつの席なんて……」


 ひそひそ声が聞こえる。

 誰も近づこうとしないその机は、まるでそこだけ世界から切り離されているようだった。


 ふと、その机の上に影が見えた気がした。

 小さくて、しなやかな黒い影。

 猫……?


 パチッ、と瞬きをした瞬間、影は消えていた。

 ただの木漏れ日の悪戯だったのかもしれない。


「……?」


 首を傾げていると、ちょうど前の扉からエルド君が入ってきた。


「よ。……昨日は騒がしかったな」


「あ、うん……大丈夫だった?」


「別に。ああいう奴、どこにでもいるしな」


 本人は本当に気にしていない様子だった。

 でも雷精霊は肩の上でピリッと光り、

 風精霊は彼の腕元に寄り添うように揺れている。


 精霊の方が正直だ。


「エルド君って、落ち着いてるよね」


「落ち着いているわけじゃねぇよ。ただ、無駄なことしないだけだ。」


「……かっこいいと思うよ?」


「かっこよくねぇ」


 即答されたけれど、その口調はどこか照れているように聞こえた。


◆


 一限目の実技授業。

 昨日の余波なのか、訓練場の空気は少し張りつめていた。


「今日は二人組で連携だ。隣同士で組め」


 自然とエルド君とペアになる。


「……よろしくね」


「おう」


 それだけで少し安心した。


◆


 最初は全然うまくいかなかった。


 私の蔦の伸びるタイミングと、

 エルド君の風の誘導が噛み合わなくて、

 私の精霊が戸惑って葉を震わせる。


「ご、ごめんね……!」


「いや、俺が強めに出してるな。……ほら、合わせるぞ」


 エルド君は手を軽く払って風精霊と呼吸を合わせる。

 その仕草がなんだか好きだ。


 再挑戦。


 風が流れ、蔦が導かれ、雷が軌跡を走る。


 パシィンッ


「……できた!」


「おー、悪くねぇじゃん」


 エルド君の風精霊が嬉しそうに揺れ、

 雷精霊がちいさな火花を跳ねさせた。


 成功が嬉しくて、会話も自然と増えていく。


「昨日、ほんとにすごかったよ」


「すごくねぇ。やり合っても意味ねぇし」


「意味……?」


「上見ろよ。王級の三人とか、どう考えても化け物だろ」


「……たしかに」


「そこを意識せずに吠えてる時点で、勝負にならねぇよ」


 エルド君は数字ではなく、実力を見ているのだと分かった。


(……やっぱりすごいな)


 そう思うと胸が少し熱くなった。


◆


 最後の課題。二人同時攻撃。


「息合わせるぞ」


「うん!」


 蔦が伸び、風が導き、雷が貫く。


 ドンッ


 的が大きく揺れ、生徒たちがざわめいた。


「……やったぁ!」


「ふっ。まあ、悪くねぇな」


 照れ隠しみたいに目を逸らすエルド君。

 雷精霊は嬉しそうに跳ねていた。


(……かわいい)


 思わず笑みがこぼれた。


◆


 訓練場の出口で、私は少しだけ勇気を出す。


「あ、あのねエルド君……

 もし、よかったら……また一緒に練習できたらなって……」


「まあ、いいけど」


「ほ、ほんと!?」


「『ミナ』とはやりやすいしな。雷と風だけじゃ足りないとこ、補えるし」


「……ありがとう」


 その言葉が嬉しくて、

 私の精霊がポンっと葉を弾いた。


◆


 教室へ戻ると、ひそひそ声が耳に入る。


「9位のやつ、結局来なかったな」

「やっぱり謹慎か?」

「いや、俺聞いたぜ。昨日のボヤ騒ぎ、あいつが検査機に触れた瞬間、中から爆発したらしい……」

「なんだよそれ……」


 噂は尾ひれをつけ、得体の知れない恐怖へと変わっていく。


 エルド君は無表情で聞き流していた。


「……気になる?」


「別に。来られねぇなら来られないでいいだろ。

 名前もないんじゃ、誰なのかもわかんないしな」


 その言葉は淡々としているのに、

 どこか含みがあるように聞こえた。


(……エルド君は、何か感じてるのかな)


 けれど私にはまだ、その理由は分からない。


 

 ただ――


 教室の隅、ぽっかりと空いたままの席だけが、

 静かに私たちを見ている気がした。



 数字が揺れ、誇りが燃え、

 誰かの未来が静かに形を変え始めている。


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