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「……っひぃいいいいい! アリスさまぁぁあ……!」
「……はぁ」
完全に腰が抜けているシンシアを、アリスは冷めた目で見下ろしている。
視線を前に戻すと、そこには巨大な鎌を構えたアンデッドが一体、二人の前に立ちはだかっていた。
ボロボロのローブを纏い、空洞の眼窩に赤い光を宿した骸骨。
その身には周囲の霧がまとわりつき、ゆらゆらと実体を曖昧にしている。
放たれる魔力は、並の魔術師なら立っているだけで気絶するほどのプレッシャーだ。
だが、アリスの思考は別のところにあった。
(アリアたちも見当たらないし、逸れたってことだよね……)
周囲を見渡すが、姉やシオンの姿はない。
完全に二人きりだ。
(まぁでも、アリアと逸れたのはある意味幸運かな)
アリスは冷静に分析する。
もしアリスとアリアが同じ場所に飛ばされていたら、戦力が偏りすぎて他の組が危険だったかもしれない。戦力が分散したのは、パーティ全体で見れば最善の結果と言える。
だが、アリスが「幸運」だと感じた理由は、それだけではない。
むしろ、次の理由の方が彼女にとっては重要だった。
「……それにさ、アリアがいないってことは」
アリスの口元が、ニィッと吊り上がる。
その瞳に、目の前のアンデッドよりも凶悪な炎が宿った。
「――加減なしでやっちゃっても、怒られないってことだよねぇ!」
「ア、アリス様!? 顔が! お顔が悪人になってますぅ!」
シンシアが涙目で叫ぶが、もうアリスの耳には届かない。
彼女の全身から、凄まじい熱気が噴き出した。
ゴォッ!!
アリスを中心に、紅蓮の炎が渦を巻く。
湿った森の空気が一瞬で乾燥し、足元の草がチリチリと焦げ始めた。
アリスが虚空を掴むと、炎が収束し、一本の長大な槍を形成する。
彼女の代名詞でもある精霊装具。
「キシャァァァァッ!!」
殺気を感じ取ったアンデッドが、大鎌を振り上げて突進してくる。
霧と同化し、高速で迫る死の刃。
だが、アリスは避ける素振りすら見せない。
「業火滅槍」
ドォォォォォォン!!
爆音が鼓膜を叩く。
アリスは槍を横薙ぎに振るい、迫り来る死の刃を真正面から弾き返した。
衝撃波が広がり、周囲の木々が激しく揺れる。
「アンデッドは火に弱いよねぇ! これで終わりっ!」
体勢を崩した骸骨へ、アリスは追撃の突きを放つ。
槍先から放たれた極大の火炎が、アンデッドの全身を飲み込んだ。
骨など一瞬で炭化し、塵になる――はずだった。
ジュゥゥゥゥ……ッ!!
炎の中で、何かが蒸発するような異音が響く。
「……は?」
アリスが眉をひそめる。
炎が晴れた後。
そこには、多少ローブが焦げた程度で、五体満足のまま佇むアンデッドの姿があった。
「うそ……効いてない?」
「アリス様! 霧です! 霧が集まってますぅ!」
シンシアが悲鳴のような声を上げる。
見れば、アンデッドの身体にまとわりついていた青白い霧が、より一層濃くなっていた。
アリスの炎が触れた瞬間、霧が急速に凝縮し、水の皮膜となって熱を遮断したのだ。
「そんなのアリ!? ただの骸骨じゃないの!?」
「こ、この山の霧は魔力濃度が高いんですっ……! しかも水属性に近い性質を持ってますから、炎とは相性が最悪ですぅ!」
「相性最悪って……アタシの火力が負けてるってこと!?」
アリスのプライドに火がついた瞬間だった。
アンデッドが空洞の瞳を光らせ、再び大鎌を振り上げる。
「ひぃぃ! 無理です無理です! アリス様の炎が通じない相手になんて! 完全に終わりましたぁ!」
シンシアが頭を抱えてしゃがみ込む。
アリスは舌打ちをし、槍を構え直した。
「うるさいなぁ! 通じないなら、通じるまで燃やすだけだし!」
アリスが踏み込む。
豪快な槍捌きで頭蓋を砕きに行くが、霧のガードに阻まれ、浅いヒビが入る程度。
逆に、左右から迫る大鎌の連撃を回避しきれず、アリスは後方へと飛び退いた。
「っ……硬い!」
着地したアリスの頬に、僅かに煤がつく。
いつもの「圧倒的な火力でごり押し」が通じない。
目の前のアンデッド――死神は、ゆらりと鎌を構え直すと、周囲の霧をさらに自身のローブへと吸い寄せる。
ジュワッ……。
アリスが与えたわずかな焦げ跡すらも、水蒸気の膜によって修復されていく。
「相性が悪すぎますぅ……! あの霧の鎧、自動修復機能付きの水属性結界みたいなものです! 生半可な火力じゃ蒸発させる前に防がれちゃいます!」
「むかつく」
アリスのこめかみに青筋が浮かぶ。
彼女の美学は「全てを灰にする」ことだ。それが防がれるなど、フェンリズ家の次女としてのプライドが許さない。
「だったらさ、修復が追いつかない速度と熱量で、その霧ごと切り刻めばいいだけでしょ?」
「え?」
「シンシア、アタシを守って」
アリスが唐突に命令する。
彼女は敵を見据えたまま、業火滅槍を構え直した。
「あの死神、ちょこまか動くから狙いにくいの。だから、身体強化に魔力を回して限界まで加速する。詠唱するから、その間の10秒。死んでも守って」
「じゅ、10秒ですか!? あの化け物を相手に!?」
「できるよね? アリアの侍女なら」
アリスは振り返らない。
だが、その声には絶対的な信頼――あるいは、「できないなら承知しない」という圧が含まれていた。
「……っ、や、やります! やればいいんでしょう!」
シンシアが覚悟を決める。
アリスが目を閉じ、膨大な魔力を練り始めた瞬間、死神が好機と見て動いた。
霧のように姿を消し、アリスの背後へと瞬時に回り込む。
「させませんっ!!」
シンシアが叫ぶ。
彼女が杖を地面に突き刺すと、半透明の緑色の風が二人を包み込んだ。
「風の障壁!」
ガギィィィン!!
死神の大鎌が、見えない風の壁に弾かれる。
風属性は、霧を吹き飛ばす性質を持つ。シンシアのとっさの判断が、死神の奇襲を防いだのだ。
「キシャァァッ!?」
死神が苛立ちを露わにし、鎌を乱舞させる。
ガンッ! ガンッ! ガギッ!
激しい衝撃が障壁を揺らし、シンシアの腕に痛みが走る。
(怖い怖い怖い! 無理です死んじゃいますぅ!)
心の中では号泣しながらも、シンシアは歯を食いしばって杖を支え続ける。
ここで退けば、主の妹が斬られる。それだけは絶対に避けないといけない。
「あと、少し……!」
シンシアの悲痛な叫び。
それに応えるように、アリスの槍が変化を見せる。
紅蓮の炎が圧縮され、温度を高め、やがて美しくも凶悪な“蒼色”へと変貌した。
「――よく耐えたね、シンシア」
アリスがカッ、と目を開く。
その瞳もまた、蒼く輝いていた。
「下がってて。巻き込まれても知らないよ」
「はいぃぃぃ!」
シンシアが障壁を解除し、全力で地面に伏せる。
死神がここぞとばかりにアリスへ殺到するが――もう遅い。
「焼き尽くせ」
アリスが呟く。
「蒼焔炎舞」
一瞬だった。
アリスの姿がブレて消えたかと思うと、次の瞬間には死神の背後に立っていた。
遅れて響く、無数の衝撃音。
ドドドドドドドドッ!!
死神の全身に、数えきれないほどの槍の刺突が刻まれていた。
そのすべてが蒼い炎を纏い、霧の鎧ごとアンデッドの肉体を内側から焼き尽くしていく。
再生する暇などない。
圧倒的な速度と熱量の暴力。
「消えちゃえッ!」
アリスが最後の回転薙ぎ払いを放つ。
溢れ出した蒼炎は死神を一瞬で蒸発させ、そのまま巨大な火柱となって天を衝いた。
周囲の霧も、森も、全てが焼き払われ、まるで初めからそこに何もなかったかのような焼け爛れた空間が生まれる。
◆
しばらくして。
ようやく爆風が収まった頃、シンシアはおそるおそる顔を上げた。
「……へ?」
そこは、森ではなかった。
半径百メートルほどが更地になり、黒く焦げた大地が広がっている。
そして何より――。
「霧が……晴れてます」
アリスの放った極大の熱量が上昇気流を生み、上空の霧を消し飛ばしていたのだ。
ぽっかりと空いた穴から、青空が見える。
そして、まだ燻る巨大な火柱が、天に向かって狼煙のように立ち昇っていた。
「んー、ちょっとやりすぎたかな? まぁ、スッキリしたしオッケー!」
黒焦げの大地の中心で、アリスがケロリとした顔でピースサインを作る。
「さ、シンシア。これでアリアたちも見つけてくれるでしょ。合流しよ!」
「……アリア様に怒られても、私は知りませんからね……」
涙目で煤けた顔を拭うシンシア。
敵を容赦なく薙ぎ払ったアリスの顔は、とても満足げであった。




