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「……ヴォルティノーグ。まだ、やれるか?」
息が、うまく吸えない。
胸の奥が焼けるように痛み、視界の端が何度も揺れた。
ライゼル・ヴォルトレイグ。
そして、その契約精霊――雷帝・ヴォルティノーグ。
ヴォルティノーグは返事をしない。
いや、出来なかった。
雷帝は、膝を折るように地に伏している。
身体を走る誇り高き雷光は、すでに散発的で、消え入りそうだった。
威厳も、圧も、今はない。
あるのは、限界まで魔力を搾り取られた残滓だけだ。
二人は、すでに満身創痍だった。
勝負は、一瞬だったと言ってもいい。
一人は、ヴォルティノーグの動きを完全に封じる位置に立ち、
もう一人は、間合いを詰めながら、確実にライゼルを削りにきた。
派手さはない。だが、無駄が一切ない。
洗練された殺意。
――二対一。
それも、実戦を熟知した者同士の、理想的な分断。
(……誘い出された、か)
ここに至るまでの経緯が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
教員の会話。不自然な沈黙。
外縁部で感じた、異質な魔力。
あれは痕跡ではない。餌だった。
遅かった。
気づいた時には、すでに囲まれていた。
雷帝・ヴォルティノーグが、ついに限界を迎えて光の粒子となり散った。
足が、動かない。
視界が、定まらない。
「……っ、く……」
膝をついた瞬間、影が、視界に差し込む。
見上げた先。
月明かりに照らされたその顔を見て、ライゼルの呼吸が止まった。
「……お前……まさか……」
声にならない。
信じたくなかった。
学院で。
さっきまで。
“当たり前のように存在していた顔”。
次の瞬間、衝撃。
意識が、プツリと途切れる。
最後に聞こえたのは、感情のない静かな声だった。
「――目標確保」
それだけだった。
ライゼルの身体が、音もなく闇に崩れ落ちた。
◆
エリナ・クロウリーが学院へ戻ったのは、夜の帳が完全に降りた後だった。
「くそっ! やられた!」
「先輩……」
一緒に戻ってきたティコは、エリナの剣幕に押されるように顔色を伺う。
滞りなく進んだという序列戦の報告書を、エリナは握りつぶさんばかりの勢いで睨みつけていた。
「これのどこが『問題なし』なんだ! 相手は王族だぞ!」
視線は第六位vs第七位の部分に向けられていた。
序列第六位。
ロイ・アーデルハイド。
王族であり、公国の正式な後継候補。
しかも、学院が責任を持って預かっている身。
軽々しく「行方不明」などと書ける立場ではない。
「体調不良で延期? それ自体は、いい」
紙面を、指で叩く。
「だが、“その後”がない。医務室の記録が薄い。所在確認が、甘すぎる」
それは、隠蔽ではない。
油断だ。平和ボケした学院の隙だ。
(……いや)
もっと正確に言えば、
(“想定していなかった”)
原相方舟。
名家の有望株とその精霊を、素材として扱う連中。
特S任務で見た痕跡が、脳裏に浮かぶ。
「こんなすぐに動いてくるとはな」
エリナは拳を強く握りしめる。
爪が掌に食い込む。
学院は、目立ちすぎる。
警戒網も、結界も、国家レベルだ。
だからこそ、事を起こすには周到な準備が必要だ。
今日思いついて、今日できる犯行ではない。
(準備は……ずっと前から出来ていたということか……!)
「ティコ!」
「はい!」
「今から書き起こす生徒全員の所在を探れ。今すぐだ!」
恐らく、ロイだけではないだろう。
王族、あるいは特異な精霊を持つ生徒。
そう感じとったエリナは、ティコに矢継ぎ早に指示を出す。
「学院側で気づいている者はどれだけいる? まだいないな?」
エリナは、乱暴に息を吐いた。
怒りはある。だが、それ以上に厄介なのは――焦りだ。
時間を稼がれるほど、状況は不利になる。
それを、彼女は嫌というほど知っている。
「……連中は、痕跡を残さない」
独り言のように呟く。
特S区で見た拠点跡。
削ぎ落とされた術式。
“成功したものだけを持ち帰る”冷徹なやり口。
原相方舟は、常に一歩先を行く。
「学院が安全だっていう前提自体が、もう古い」
警戒網も、結界も、制度も。
それらは“正面から来る敵”を想定して作られている。
だが――
連中は、正面から来ない。
内部に溶け込み、
立場を利用し、
必要な瞬間だけ“役割”を果たす。
(……教師、職員、生徒)
エリナは、歯を噛みしめる。
どこまで入り込まれている?
どこからが“敵”だ?
「……考えるな。今は数を洗え」
自分に言い聞かせるように、視線を上げる。
「ティコ、王族だけじゃない。
序列一桁、特に精霊適性が高い生徒を優先して確認しろ」
「はい……!」
ティコは即座に動き出す。
その背中を見送りながら、エリナは机に手をついた。
学院側がまだ“事件”として扱っていない今が、唯一の猶予だ。
(……間に合え)
誰に向けた祈りでもない。
もし、もう一人でも――いや、考えるな。
エリナは、ゆっくりと背筋を伸ばした。
これは想定外ではない。
“想定していた最悪”が、前倒しで来ただけだ。
「……シオンに連絡を」
口にした瞬間、胸の奥で何かが固まる。
まだ確定情報はない。
だが、直感が告げている。
これは、学院内部だけの問題では終わらない。
戦争の火種になりかねない。
原相方舟が、本格的に“動いた”。
その第一歩が、今夜だっただけだ。
夜の学院は、何事もなかったかのように静まり返っている。
だが――その静けさこそが、爆発直前のような不自然さを孕んでいた。




