37
あけましておめでとうございます。
控室へ戻る途中、アストラはゆっくりと息を吐いた。
思ったよりも、身体は軽い。
魔力の枯渇も、集中力の欠落もない。
――負けた。
だが、全てを出し尽くして空っぽになった感覚とは、どこか違っていた。
(……ああ、そうか)
そういう負け方だったのだと、今になって理解する。
三体同時の実体化。
配置も、連携も、判断も――間違ってはいなかった。
戦術において、自分はアリスを上回っていた自信がある。
それでも、届かなかった。
精霊たちを還しながら、アストラは通路の天井を見上げる。
悔しさはある。
だが、焦りはない。
負けた理由が、あまりにもはっきりしているからだ。
(今の自分に足りないのは、戦術じゃない。そこに至るまでの“時間”っすね)
才能でも、相性でもない。
もっと単純で、もっと残酷なもの。
王級という怪物が、その出力を維持するために積み重ねてきた膨大な魔力循環の歴史。
王級という言葉が、ただの称号ではない理由を、今日、初めて肌で実感した。
「……ま、これはこれでいい経験っすね」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
次にどうするかは、まだ考えない。
今はただ、この焼けるような敗北感を忘れないようにするだけだ。
歩きながら、アストラは一度だけ拳を握った。
強くも、弱くもない。ただ、感触を確かめるように。
――まだ、伸びる。
そう思えたことが、今日一番の収穫だった。
「……惜しかったですね」
控室の前まで着くと、いつもの生徒会メンバーが労いの言葉で出迎えた。
その表情は、相変わらず読み取れない。
「そう見えたっすか?」
アストラが即座に返すと、相手は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……ええ。王級相手としては、十分すぎる内容でした」
評価だ。
慰めではない。純粋な分析結果としての言葉。
「まぁ、負けは負けっすよ」
アストラは肩をすくめる。
「王級相手に“いけそう”って思った時点で、負けてたっす」
「それでも、三柱同時実体化をあそこまで維持できるのは異常です」
淡々とした口調のまま、事実だけが並べられる。
「正直、序列の付け方に文句が出てもおかしくありません。実力的には、数字以上の価値がある」
「はは、それ言われると困るっすね」
アストラは苦笑する。
「序列は分かりやすい方が楽じゃないっすか。自分は四位で、上はちゃんと強い。それで十分っす」
一拍。
「今日の負けで、余計な勘違いしなくて済みましたし」
相手は何も言わず、短く頷いた。
評価は変わらない。だが、見方は少し変わったようだった。
「……ところで」
「はいはい。もう戻ります?」
「ええ。これ以上、あなたが注目を浴びる理由もありません」
「それ、褒めてます?」
「事実です」
生徒会メンバーは淡々と告げる。
その言葉の裏に、「目立つことはリスクだ」という警告が含まれているように感じたのは、気のせいだろうか。
アストラは立ち上がり、軽く背伸びをした。
「了解っす。次はもう少し、いい勝負できるようにしないとですね」
「期待しています」
それも、飾りのない言葉だった。
控室を出る前、アストラは一度だけ闘技場の方向を振り返る。
もう、火は残っていない。
だが――あの熱量は、確かに記憶に刻まれていた。
「……悪くないっすね」
そう呟いて、今度こそ歩き出した。
◆
序列戦終了から、しばらくして。
第六位の所在が確認できないという報告が、正式に上がった。
体調不良による延期。
そう処理されていたはずの名前が、点呼名簿から消えていない。
それが、最初の違和感だった。
「まだ戻ってない?」
「ええ。寮にも戻っていませんし、今も連絡が取れていません」
(……連絡がつかないだと?)
演習場からの帰り道、ライゼルは教員たちの会話に聞き耳を立てていた。
上位ランカーの、所在不明。
そんなことが現実に起きれば、学院のセキュリティに対する重大な失態だ。
学院の最高峰の警備水準を考えれば、起きるはずもない事件だろう。
ただ、ライゼルには一つ、どうしても引っかかることがあった。
(第六位は、俺と同じ“王族”だ。連絡がつかないことなんて、許されるのか……?)
序列第六位、ロイ・アーデルハイド。
アーデルハイド公国の皇子であり、精霊使いとしても優秀な王族だ。
今年の新入生は化け物揃いのため六位に甘んじているが、年度が違えばTOP3も狙える逸材だ。
そして何より、王族としての責務とプライドを持っている。
(アイツがバックれるとも思えねぇしな)
決して仲が良いわけではなかったが、ライゼルからしてみれば、演習や授業などで顔を合わせる「同類のよしみ」程度はあった。
「……少し、探るか」
ライゼルは自身の雷精霊、【雷帝・ヴォルティノーグ】に対して指示を出し、魔力波による情報収集を始める。
……嫌な予感がする。
ただ、それよりも事態の収束に動くべきだと、王族としての勘が告げていた。
◆
雷精霊が、淡く瞬いた。
派手な雷鳴はない。
雷帝・ヴォルティノーグは、本来は殲滅に特化した精霊だが、その高密度の雷波は広域探知にも応用できる。
学院中に張り巡らされた結界網。
通路、寮、医務室、管理棟。
それらに触れた“電位の揺らぎ”を、精密に拾い上げる。
「……医務室、反応なし。寮も……不自然だな」
ロイの魔力反応は、ない。
遮断された痕跡も、隠蔽された形跡も見当たらない。
――最初から、いなかったかのように。
ライゼルは、足を止めた。
背筋に冷たいものが走る。
(……消え方が、綺麗すぎる)
失踪にしては痕跡がない。
事故にしては報告が遅い。
そして何より――王族の一人が、無断で行方不明になること自体が異常だ。
護衛は? 連絡網は? 最低限の所在確認は?
どれも、機能していない。まるで、誰かが意図的にスイッチを切ったかのように。
「……教員側も、まだ全体には出してないな」
これは隠蔽ではない。判断待ちだ。
問題の大きさを測りかねている。
もし本当に事件なら、学院だけでは抱えきれない。
学院内から国家へ。波紋は、確実に広がる。
だからこそ――今はまだ、“所在不明”という言葉に留めている。
「……ったく」
ライゼルは、低く息を吐いた。
面倒事は嫌いだ。
アリスたちを見て痛感した自分の未熟さに向き合うだけで精一杯だ。深入りする性格でもない。
だが。
(アイツが、黙って消えるわけがない)
ロイは真面目だ。融通は利かないが、責任感だけは人一倍ある。
序列戦を延期するほどの体調不良なら、それこそ這ってでも連絡を入れるはずだ。
それが、ない。
雷帝が、微かに震えた。
――反応。
ほんの一瞬。
学院外縁部、立ち入り制限区域付近で、異質な魔力の残滓。
弱く、薄い。だが、確かに“学院のデータベースにない魔力”。
「……外か」
ライゼルは、視線を上げる。
空は、すでに夕暮れに染まり始めていた。
序列戦の熱気が冷め、学院が日常へ戻ろうとする時間帯。
その裏で、一人分の“空白”だけが、静かに広がっている。
「……深入りするつもりはないが」
誰に向けた言葉でもなく、呟く。
王族である以上、見過ごすという選択肢はない。
まして――同じ立場にいる者が消えたのなら。
「行くぞ、ヴォルティノーグ」
雷精霊が、静かに応じた。
派手な雷光は、まだ落ちない。
だが。
この時点で、ライゼルはもう――事件の“当事者”になっていた。




