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業火は意思を持ったかのように収束していた。
爆ぜるのではない。
広がるのでもない。
業火滅槍の炎は、
アリスの意思に従って、鋭く、細く、研ぎ澄まされていく。
それは、威圧ではなかった。
純粋な――圧縮。
闘技場の結界が、軋む。
観戦席にいる者でさえ、喉の奥が熱を帯びるのを感じていた。
「……魔力の質が変わった」
上位席で、誰かが呟く。
ただ強いのではない。
ただ多いのでもない。
使い切る前提で、組み立てられた魔力。
(……まずいっすね。)
アストラは、はっきりとそう認識した。
三体の精霊は、まだ動いている。
配置も、連携も崩れてはいない。
それでも。
アリスが一歩踏み込むたび、
精霊たちは「次」を要求される。
反応。
再配置。
補正。
それを、一瞬も止めずに続けなければならない。
(長引いたら……負ける)
勝敗の問題ではない。
集中力の限界。
上級精霊三柱の同時実体化。
それ自体が、無茶な戦闘方式だ。
王級と真正面からやり合うには、
時間を与えすぎてはいけない。
だから――
アストラは、前に出た。
中央から、一歩。
それだけで、
三柱の精霊の動きが変わる。
雷が、前に。
風が、低く。
硬質な魔力が、面で展開される。
今までの“受け”ではない。
攻めに転じた配置。
「……っ!」
アリスは、即座に察知する。
(来る)
雷が落ちる。
牽制ではない。
視界を潰すための、直線的な一撃。
同時に、風が爆ぜる。
地面を抉るほどの圧で、足場を崩す。
――硬質。
衝撃を受け止めるための防御ではない。
押し返すための“壁”。
アリスは、槍を振る。
火が、正面から叩きつけられる。
衝突。
炎と魔力が噛み合い、
空気が悲鳴を上げた。
「……っ!」
その瞬間。
雷が、抜ける。
視界の端を焼き、
肩をかすめて走り抜ける。
アリスの身体が、わずかに流れた。
――初めての、明確な被弾。
観戦席が、息を呑む。
だが。
アリスは、止まらなかった。
歯を食いしばり、
槍を地面に突き立てる。
火が、爆ぜる。
自分の足元から、
業火が立ち上る。
「……やっとだ」
声は、震えていない。
むしろ――
楽しそうだった。
「その攻めは嫌いじゃない」
魔力が、さらに引き上げられる。
今度は、量ではない。
質でもない。
密度。
一本の槍に、
王級精霊の全出力を束ねる。
アストラは、直感する。
(……これ、受け切れないっす)
迎撃はできる。
止めることも、できる。
だが――
崩れる。
三体の精霊に、
同時に同じ負荷がかかる。
「……来るっすね」
アストラは、片手を上げた。
精霊たちが、
一斉に前へ出る。
雷。
風。
硬質。
三方向から、
同時に“叩き落とす”。
だが――
アリスは、真正面から踏み込んだ。
回避しない。
散らさない。
ただ、貫く。
業火滅槍。
炎が、線になる。
衝突。
硬質な魔力が、砕けた。
一体。
完全に、消失。
「――っ!」
アストラの呼吸が、わずかに乱れる。
雷が、遅れる。
風が、流れを失う。
均衡が、崩れた。
槍先が――
喉元で止まる。
炎は、進まない。
そこから先は、
最初から予定されていなかった。
沈黙。
「……参ったっす」
アストラは、静かに両手を上げた。
精霊たちが、
ひとつずつ、光へと還っていく。
アリスは、数秒そのまま構えを保ち――
やがて、槍を下ろした。
「いい試合だったよ。」
息は荒い。
汗が、頬を伝う。
それでも、目は真っ直ぐだった。
「長引いてたら、もっと面倒だった。」
「それ、こっちの台詞っす。」
審判の声が、場に響く。
「――勝者、アリス・フェンリズ!」
歓声が、遅れて広がる。
だがそれは、
一方的な称賛ではなかった。
敗者に向けられる視線が、
確かに存在していた。
アリスは、観戦席を見上げる。
アリアと、目が合う。
ほんの一瞬。
姉は、小さく頷いた。
アリスは、息を吐く。
(……なるほど)
序列は、数字だ。
だが――
強さは、もっと複雑だ。
火が、ゆっくりと消えていった。
◆
「あれが最上位の戦い…。」
観客席の一席でライゼル•ヴォルトレイグは危機感を感じていた。
このままではダメだ。いずれ大きな差がついてしまう。
一柱の精霊ですらアストラほどの実体化を維持できないとあっては、すでにその差は明らかだ。
それなのにも関わらずアストラの三柱同時実体化ですら「すごい」という感想の裏で、アリスには通用する前提で処理されていた。
(……追いつけない)
その事実が、胸に沈む。
努力が足りないわけじゃない。
手を抜いてきたつもりもない。
それでも――
積み上げてきたものの“段”が、違う。
拳を、強く握る。
勝ちたい。
上に行きたい。
それは、序列のためじゃない。
名誉のためでもない。
置いていかれたくない。
それだけだった。
ふと、闘技場の端に視線が向く。
アストラ・ノーグが、控えへ戻っていく背中。
敗者のはずなのに、
どこか満足したような、疲れ切ったような――
妙に、静かな背中だった。
(……あいつ)
負けた。
それでも、自分の限界を理解している。
それが、今の自分と決定的に違う。
ライゼルは、ゆっくりと息を吐いた。
どうすればいいかは、分からない。
何をすべきかも、まだ見えない。
それでも――
足を止めるつもりはなかった。
視線を、もう一度闘技場へ戻す。
火は、もう消えている。
だが、熱だけが、確かに残っていた。
(……次は)
その言葉を、
ライゼルは、心の中で飲み込んだ。
今はまだ、
口にしていい言葉じゃないと分かっていたから。




