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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第3章

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 ――世界が、歪んだ。


 破壊ではない。

 衝撃でも、爆発でもない。

 ただ――在り方そのものが、強制的に押し曲げられた。


 音が遅れて消える。

 視界が、上下の区別を失う。


「……っ」


 ティコは、声にならない息を吐いた。

 膝をついた感覚すら、途中で曖昧になる。


(……立ってる? 座ってる? それとも――)


 分からない。

 “重い”のではない。

 “動けない”でもない。

 世界が、「そう在れ」と強いてくる。


「……はは」


 思わず、乾いた笑いが漏れた。


「なに、これ……」


 精霊装具化による身体強化も、雷による加速も、意味を成していない。

 速さも、力も、技術も――

 そもそも「使う前提」となる物理法則が、そこには存在しなかった。


「……理解不能、だな」


 エリナは、歯を食いしばりながら立っていた。

 魔力で無理やり踏みとどまっている。

 だが、それでも分かる。


(これは、戦闘じゃない)


 勝つか負けるか以前の問題だ。

 次元が違う。


 隣を見る。

 シャルロッテは、珍しく笑っていなかった。


「……なるほどの」


 低く、静かな声。


「これは“力”ではない。概念による圧殺じゃ。古代龍……ここまで至っていたとはの」


「それでも……」


「そうじゃな。それでもシオンが負ける未来は見えぬ」


 視線の先。

 黄金の粒子を纏った梟――ラジアは、微動だにしていなかった。

 空間ごとひしゃげるような重圧の中心にいながら、まるでそこに“含まれていない”かのように。


『……ほう』


 古代龍の声が、低く響く。


『押し潰されぬか。

 ならば――』


 翼が、再び動く。

 さらに深く、世界を沈めようとする。


 だが。


「――やめておけ」


 その声は、静かだった。

 命令でも、威圧でもない。

 ただの、事実を告げる忠告。


 シオンが、前に立っていた。


「それ以上やると、戻れなくなる」


 古代龍の瞳が、細まる。


『……貴様』


 声に、わずかな興味が混じる。


『先ほどから妙に落ち着いているな。

 己が立っている場所を、理解しておるのか?』


 シオンは、少しだけ視線を逸らした。


「……理解してるとは言わない」


 一拍。


「でも――

 壊れるのは、そっちだ」


 ラジアの金の瞳が、さらに強く輝く。


『主よ』


 低く、確信を帯びた声。


『終わらせるが――それでも構わないか?』


 ラジアの問いは、確認だった。

 勝利の宣言でも、挑発でもない。

 「相手を存在ごと消去してもよいか」という、事務的な確認。


 シオンは一瞬だけ、目を閉じる。


「……完全には、だめだ」


 短く、しかしはっきりと。


「退かせるだけでいい。お前が全力を出す相手でもない」


『……了解した』


 梟の翼が、静かに広がる。


「……っ!」


 ティコが、思わず息を吸い込んだ。

 膝をついていたはずの身体が、「立っている」という感覚を取り戻す。


「……戻った?」


 魔力が、流れる。

 地面が、地面として踏める。


「違う」


 エリナが、低く言う。


「“戻された”んだ。

 歪めていた圧力を、ならされた」


「……なるほどの」


 シャルロッテが、目を細める。


「破壊も干渉もしておらん。

 ただ――正しく在るように“定義し直した”だけじゃ」


 視線の先。

 ラジアは、重圧の中心に立ちながら、涼しい顔で佇んでいた。


『……ほう』


 古代龍の声が、低く響く。


『我の圧力を、押し返したか』


 翼が、ゆっくりと動く。


『否……違うな』


 巨大な金色の瞳が、細まる。


『圧力を“否定”しておらぬ。

 ただ、世界に通さぬよう整えたか』


 その声に、初めて感情が混じった。

 警戒と、困惑。


『妙な存在よ』


 空間が、再び重くなる。

 だが――先ほどとは違う。

 潰すための圧力ではない。試すための、鋭利な刃のような圧力だ。


『ならば問おう』


 古代龍が、一歩、踏み出す。


『その均衡、どこまで保てる?』


 翼が、振るわれる。

 隕石ではない。魔力でもない。

 圧縮された“存在の重さ”そのもの。


「……来る!」


 エリナが叫ぶ。


『主よ』


 ラジアの瞳が、解析の光を放つ。


『均衡を維持する。

 ――衝撃は、受けよ』


 翼が、再び広がる。


 パァンッ――!!


 空気が割れたような音がした。

 だが、衝撃は来ない。


 打ち消されたのではない。

 押し返されたのでもない。


 “通るべきでない場所”を失い、重さが、世界に定着できなくなったのだ。

 まるで、最初から攻撃などなかったかのように、因果が滑り落ちていく。


「……っ、なにそれ……」


 ティコが呆然と呟く。


 エリナは、確信する。

(あんなもの……防御なんかじゃない。

 世界の前提を、自分に都合よく書き換えているだけだ)


「これは……」


 シャルロッテが、低く笑う。


「妾の終災より、よほど性質が悪いの」


『……面白い』


 古代龍が、喉を鳴らす。


『力で押すのではない。ことわりで通さぬか』


 巨体が、ゆっくりと後退する。

 これ以上やれば、自らの存在定義すら危ういと悟ったかのような動きだった。


『よかろう』


 翼が、大きく広がる。


『貴様の勝ちだ。今日のところは、退こう』


 古代龍はそう言うと、エリナ達に目を向ける。


『いいものを見せてもらった。感謝するぞ。次があれば、更なる決死の覚悟で向かってくると良い』


 ドォォォォンッ!!


 翼が、空を裂く。

 古代龍は音速を超える速度で、雲を突き破り、特S区の彼方へと消えていった。



 静寂が、戻る。

 風の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


「……終わったん、ですか?」


 ティコが、小さく尋ねる。


「ああ」


 エリナが、息を吐きながら答える。


「シオンに助けられたな。……私たちも、まだまだということだ」


 シャルロッテは、シオンを見る。

 その目は、どこか楽しげで、そして少しだけ哀れんでいるようにも見えた。


「……つくづく、罪な男じゃの」


 シオンは、肩の力を抜いた。


「ふぅ……。いいところで退いてくれた。ありがとう、ラジア」


『あの程度の敵、造作もない。主がいるからこその力だ』


「もっと穏便に済めばよかったんだけどね」


『それは』


 ラジアは静かに言う。


『主が立つ場所が、それを許さぬ』


 金の粒子が、ゆっくりと薄れていく。


 ティコが、ゆっくりと周囲を見回す。

 足は、まだ少し震えていた。

 だが、それは恐怖よりも――理解が追いついていないことによる震えだった。


「……生きてます? 私」


「透けてはいないぞ」


 エリナが冗談めかして短く答える。

 その声はいつも通り冷静だったが、視線はまだ、完全に前を離れていない。


「ただ――」


 一拍。


「“運が良かった”」


「……ですよね」


 ティコは乾いた笑いを浮かべる。


「私、さっきまで“戦ってる”つもりでしたけど……」


 言葉を探し、やがて諦めたように続けた。


「戦場に立つ資格すら、なかった気がします」


 沈黙。

 それを破ったのは、シャルロッテだった。


「それでよい」


 珍しく、からかうような調子ではない。


「気づいた者から、世界は変わる。

 今日、お主は一つ賢くなっただけじゃ」


「賢く……?」


「“勝てない相手がいる”と知った」


 シャルロッテは、くくっと喉を鳴らす。


「それは、強者の入口じゃ」


 ティコは、思わずシオンを見る。


 さっきまで戦場の中心にいたはずの少年は、もういつもの無気力そうな表情に戻っていた。

 特別な余韻も、達成感もない。

 まるで、面倒な仕事を一つ片づけただけのような顔。


『主よ』


 静かな声が、シオンの肩口から響く。

 ラジアが、金の粒子を纏ったまま、低く頭を下げた。


『均衡は保たれた。

 だが――』


 金の瞳が、遠くを映す。


『再び歪みが生じれば、

 今度は“戻す”だけでは済まぬ』


「分かってる」


 シオンは、短く答える。


「だから、あんまり出たくないんだ」


 ラジアは、わずかに嘴を歪めた。

 それは、笑みのようにも見えた。


『それでも、呼ばれれば応じよう』


 その言葉を最後に、梟の姿は光へと溶けていく。

 完全に消える直前、ラジアはもう一度だけ、シオンを見た。


『――主が壊れる前に、な』


 光が、消えた。

 後には、ただ静かな森だけが残っていた。

 

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